2016/10/10

南ア前衛の山鳳凰三山を歩く(ドンドコ沢から三山経由青木鉱泉)

<南精進滝>
20160927dsc03451b2016年9月27日(火)~28日(水)10:30分青木鉱泉からドンドコ沢を歩き始める。過去に二度下ったことがある。下るたびに、ここは登る道ではないと思った道だが、今日はひょんなことから登ることになった。鳳凰小屋まで一日急登の連続だ。
 沢筋を登るので、展望はない、がここは美しい滝を3つも鑑賞しながら歩ける希少な道だ。余裕を持って下ると3つの滝を楽しめるのだが。
 まず2時間ほど歩くと南精進ヶ滝に出会う、ここは登山道から少し入るだけなので、二段の滝を楽しめた。
  白糸の滝、五色の滝は樹林の間から垣間見るだけただひたすら一歩一歩あるくのみ、「だから登るな!といったじゃないか」と己れが己れに文句を云う。いつもの悪い癖がでる。

   
                                                                <地蔵岳から夜明け前>
                            20160928dsc03461b
鳳凰小屋についたらすでに18:00、消灯は19:00だと言う。一皿のカレーライスを急ぎ胃袋に流し込んだ。初めて泊まる小屋だが、食堂は土間夕食はカレーライスと昔の山小屋の風情が色濃く残っている。
 梅酒をひとなめして就寝、いつもの調子で1:30頃に目が覚めて小屋の外へでる。空は満天の星、明日のご来光が楽しみだ。               
                         

 

                                                             
                                      
                                                                                 

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2016/08/30

立山三山縦走(2)雄山→別山→劔御前一雷鳥沢→室堂

<黎明の雄山山頂>
20160811dsc02383b3:30分満点星の下、小屋を出る。いきなり直登が始まるが、山頂まで小一時間の行程だ。4:30分予定通り雄山山頂に着く。流石に日本三大霊山に似つかわしく大きな社務所がある。
 山頂は神域になっている。鳥居をくぐって山頂に立つには500円を払う。

                            <後立山連峰の黎明>
                      20160811dsc02397b
  鹿島槍ヶ岳の右肩から太陽が神々しく昇ってくる。500円で鳥居をくぐった10人ほどの登山者、若い神主が邪気を払い、祝詞を上げ安全の祈願をしてくれる。初めて山頂で、お神酒をいただいた。西に見える白山霊場、東南に見える富士山霊場でも、祈願をしているのだろうか。
 
 

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立山三山縦走(1)室堂→龍王岳→一の越山荘

<イワギキョウ  >
20160810dsc02331b2016年8月10日11:30分室堂平に立つ。浄土山への上り、今年は冬の雪が少なかったせいか花はすでに終わりに近づいている。浄土山への登りにイワギキョウが咲いていた。

                                                                                             <五色ヶ原・薬師岳・黒部五郎岳>
 20160810dsc02313b龍王岳の山頂からの五色ヶ原の緑、その後ろに薬師岳、黒部五郎岳が白雲に遮られながら続いている。歩いて行く己れの後ろ姿が見えるようだ

いのちありて
いつか来た岳
往った峰
今雲の中歩いているか
     -雛鳳-

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2016/06/29

書名「堕落論」 坂口安吾著

NHK100分de名著坂口安吾”堕落論”
2016年7月4日(月)22:25分~50分第一回「生きよ堕ちよ」
再放送 7月6日(水)12:00分~25分
 毎々伊集院光と指南役との対話も洒脱で興味深い。今回の指南役は大久保喬樹東京女子大学教授、時宜を得た一冊伊集院光も水を得た魚のように語るのではなかろうか。
書  名 堕落論
著者名 坂口安吾
出版社 角川文庫
20160628 角川文庫の帯には「人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ」そして裏表紙には「人間は生き、人間は堕ちる。このこと以外に人間を救う便利な近道はない」とある。なにやら親鸞の悪人正機説「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」に通じるものがある。「人間とは何か」「日本人とはいかなる生きものなのか」腹の底から吐き出すように語っている。逆接、逆説に満ち満ちた警世の書だ。

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2016/06/10

目標達成力と目的思考力

 マスコミは舛添都知事の金銭問題で持ちきりです。ですがこういう批判に同調していては、他者を己れの鏡とすることはできないと思うのです。今の日本を映した姿として提示された問題でもあると思うのです。「他者は鏡」ですから。 
 目標達成力と目的思考力という視点から見るとこの問題を「己れの姿を映した鏡」として捉えることができるのではないでしょうか。

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2016/05/14

パナマ文書に見る合法と非合法の狭間

パナマ文書に掲載されていた企業名、個人名がインターネット上に公開され話題を撒いています。日本でも一流の企業名、一流の方々の個人名です。皆さん余裕綽々とテレビカメラの前で釈明しています。異口同音に「合法です」「ビジネスの一環です」と流石に優等生的弁明です。

 これらの報道を見ていて、ふと、リーマンショック直後の或るパーティでの私的会話を思い出しました。CDSバブルが弾けリーマン・ブラザースを筆頭に世界の大金融機関が弾け飛んで世界経済は大混乱しました。時を同じく、日本では牛肉偽装事件で大騒ぎしていました。ファイナンス系の学者Aさんと、ファイナンスど素人の僕との乾杯の合間の短い会話です。以下ファイナンス系の学者さんをA、僕をBと略して会話を再現してみました。

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2016/04/08

今読む 書名「日本的霊性」 著者 鈴木大拙

書 名「日本的霊性」
著 者 鈴木大拙
出版社 岩波文庫・中公クラシックス
書 名「神殺しの日本」
著 者 梅原猛
出版社 朝日文庫
Photo 曰く「日本を取り戻す」「日本は素晴らしい」「日本のおもてなし」「日本のものづくり」このところ日本国内に「日本」「日本」の大合唱がこだまする。外国人観光客が日本国内で消費することをインバウンド消費というらしい。日本語の便利な表現形式に外来語を片仮名表記する方法がある。インバウンドを外国人観光客と意訳したのだろうか。英語には「in-bound」は境界内、内向きという意味があるそうだ。国民の国内消費が低迷しているから、外国人のお金を当てにしようという意味にも取れる。一方で第二次安倍政権の経済政策、円安誘導で輸出企業が潤いトリクルダウンが起きるそうだ。結局ここも外国人頼みに見える。共に内向きの姿勢の表出ではないだろうか。
 取り戻す「日本」とは何なのか、日本文化のことか、戦前の天皇制のことか、愛国心のことか、日本人の心のことか、日本の領土のことか。日本を取り戻さなけれえばならないとすれば、今の日本は日本ではないのか、誰から取り戻すのか。へそ曲がりの僕は「ちょっと変だぞ!今の日本人」と首を傾げたくなる。日本人の文化は、自分のことをあからさまに自慢するの嫌う文化ではなかったか。人間の尊厳とは、一人の人間として他者に依存せず、個として自立した心の有り様ではなかったのだろうか。

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2016/03/05

中央アルプス千畳敷雪中散歩(2)黎明の南アルプス

   <甲斐駒ケ岳の朝>
20160302dsc02114bここはホテルの部屋に居ながらにして南アルプスの稜線から昇る朝日を拝むこともできる。夜は満点の星空だ。
 とはいえ5:30分スノーシューを装着してカメラを首に千畳敷カールへ出る。
  


                                     <仙丈ヶ岳の朝>
 20160302dsc021262b_2
南北に走る伊那谷を挟んで東に南アルプス、西に中央アルプスの稜線が連なっている。6:08この季節甲斐駒ケ岳と仙丈ヶ岳の間から朝日が昇ってくる。甲斐駒ケ岳から仙丈ヶ岳の稜線が赤と黒、天と地とを切り裂いて神々しい。

 

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中央アルプス千畳敷雪中散歩(1)千畳敷

<八丁坂を乗越浄土へ先導する若い登山者>
20160301dsc01991b2016年2月29日(月)ロープウェイで一気に標高2,612㍍の千畳敷カールに立つ、そこにホテル千畳敷がある。山頂駅とホテルは直結している。外は強風と横殴りの雪でも、凍えることなくフロントへ直行、山好きには有頂天なホテルだ。

                              <ホテル千畳敷>
 12:20分20160301dsc01989b高速バスで駒ヶ根に着くと地元に暮らす40年来の古友が待っていた。会って話したのは両手で数えることができる。でも忘れられない友、今回の山行は古友との茶飲み話から始まる。久々に地元のB級グルメ「ソースかつ丼」を味わう。 
  突然携帯に電話、ホテル千畳敷からだ。強風で動かなかったロープウェイを動かすから14:15のバスに乗れと。バス停で、次回の再会を約し、車中の人となる。
 雪の中に建つ一棟のホテル、雪の千畳敷は異次元の世界に入り込んだ気分になる。宿泊者は4人、ということはロープウェイが動いたのは上り一駕籠のみ、あたり前のことだが、すれ違った駕籠は空っぽだ。

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2016/02/25

北八ヶ岳を歩く

    <北横岳山頂を仰ぐ>
20160116dsc01812b
 2016年1月16日12:00ロープウェイで北横岳坪庭の前に立つ。今日はのんびり北横岳ヒュッテ泊り。13:30分山小屋にザックを降ろして山頂へ。

                             <北横岳北峰から南八ヶ岳主峰群>                                                       20160116dsc01835b

  標高2,472㍍の山頂は北ア、中央そして南アと360度の大展望だ。

 

<北横岳南峰から北八ヶ岳の懐>
20160116dsc01850b
南峰からの景気は北八ヶ岳の懐の深さを実感する。南八ヶ岳の主峰群の奥にさらに山並が続いている。初めて泊まる小屋だ。初対面の二人組二組と計5人で囲む夕食の鍋がボリュームたっぷりかつ美味しい。若い方の山自慢、老中世代の山自慢を聞くのもまた楽しい。いつになく長い夕食になった。これもこの山小屋の魅力の一つなのだろう。

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2016/01/11

「居場所つくり」書名「もしイノ」岩崎夏海著を読む

書 名「もしイノ」
著 者 岩崎夏海
出版社 ダイヤモンド社

Photo  年末に日経新聞の広告を見た瞬間「もしドラ」の二番煎じか?、と思いました。ところがJR東北線車中の広告に「今度は『もしイノ』テーマは『イノベーション』みつけたのは『居場所』」とありました。おもわずつり革に揺られながら手帳にメモ、「居場所」という言葉が引っかかったのです。今日本を覆っている、そこはかとない居心地の悪さは、多くの人が個人としての居場所を失いつつあるという不安感にあるのではないでしょうか。それは世界を見回しても同じです。
 
イラク、アフガニスタン、シリアと国家という枠組みが崩壊し、その国の人々は居場所を失い、難民として流離っています。さらに年初にはサウジアラビアとイランの国交断絶が宣言され、周辺の小国も追随し全域に戦火の臭いが漂って、人々の居場所ではなくなりつつあります。アメリカ、日本、ヨーロッパと先進国に拡がる貧困でも人々は己れの居場所を失いつつあります。

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「いのちの居場所・居場所のいのち」書名「場の思想」清水博著を読む

書  名 「場の思想」
著者名 清水博
出版社 東京大学出版会

Photo_2<生命の二重性>
 生命科学者である著者はこう記していいます。物質と生命というが、生命とは生物という物的なもののことではなく、「生命とはいのちの活き」のことである、といいます。人間の身体に喩えると、細胞は個々の活きをとおして臓器として活き、臓器は臓器として活くことによって身体としては活く。その身体としての個々人は、身体を活かせることで、家庭人、企業人として活いて(働くではなく)います。「細胞→臓器→身体→家庭」とロシア人形のマトリョーシカのような入れ子の構造になっています一方で「細胞→臓器→身体→企業人」というマトリョーシカでもあります。個々人も家庭も企業もそして地域社会も多様なマトリョーシカを活きているのです。
 さらに細胞を構成している分子原子と遡っていくと、素粒子にいきつきます。その素粒子は粒子性という物的であり波動性という動的なものという二重性をもった存在なのです。

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2016/01/01

明けましておめでとうございます

20160101_3 明けましておめでとうございます。昨年は、原発再稼動、安保法案と日本のこれからを左右する重要な決断が幾つか下されました。21世紀を生きる日本人の方向も定まったように見えます。三蔵法師の智慧と孫悟空の勇気のエネルギーに助けられて、今年も干支の循環を回ります。日本列島に循環の思想の回帰を願いつつ。
 
本年もどうぞよろしくお願いします。

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2015/12/27

今こそ「歴史観」を鍛える好機(1)書名「世界史の誕生」著者岡田英弘を読む

Img_0077_4書  名 「世界の誕生」
著  者  岡田英弘
出版社   ちくま文庫
 今、日本と中国の間では南京虐殺事件をめぐって争っています。そして日本と韓国の間でも従軍慰安婦問題で争っています。共に歴史認識の違いとか歴史修正主義と罵り合っています。日本人の間でも二つの出来事を巡って大きな断裂が生じています。しかしお互いの主張を丁寧に見ると、それは過去の歴史(一般的な)の問題というより極めて今日的、政治的問題といえるのではないかと思います。歴史修正主義とか歴史認識と真顔で問題として捉えるなら、「歴史とは何か?」と、過去の歴史を丁寧に紐解いて、己れの歴史観を鍛えておきたいものです。
 著者岡田英弘はP82にこう書いています。「『歴史』という言葉は、漢字で書いてはあるが、中国語起源のものではない。現代中国語で『歴史』(リーシー)というのは、日本語からの借用である。日本語の『歴史』は、英語の『ヒストリー』の訳語として明治時代に新たに作られた言葉で、それを日清戦争(1894~95年)の後、日本で勉強した清国留学生たちが、、中国に持ち帰ったのである」と。今日の日本人にとっては興味深いものがあります。古代倭国末期日本の始めの頃、中国文明の影響を受けながらも創作した日本語が新しい言葉を造語して、中国文明へ戻っていく、互いに影響しあっていく「縁」の面白さです。
 さて今日、中国文明、中華思想、中華民族と語られるその成り立ちは、いかなるものなのだろうか。著者は随・唐王朝と称した中国王朝は漢字で表記されているがゆえに中国人の国と思いがちだが、実体は遊牧騎馬民族の鮮卑族の武力国家であったという。さらに遡ると、項羽と覇を競い漢王朝を建てた劉邦も、遊牧騎馬民族匈奴の武力を後ろ盾に成ったものだという。清帝国も満州から興った北方騎馬民族女真人ヌルハチによって建国されたものです。その清帝国を継承した毛沢東国家そして習近平率いる現在中国も今清帝国の版図を領土として思考しているのですから、遊牧騎馬民族国家的性格をも継承している国家とみたほうがいいのではないでしょうか。
 著者はチンギ・スハーンのモンゴル帝国の成立によって中央アジアの大草原を介して中国とヨーロッパが接触しユーラシア大陸が一つと認識され、世界史という概念が誕生したと記しています。日本人が学校で学ぶ世界史は西洋史と中国史が中心、それも西洋優位の歴史です。ところがローマ帝国の滅亡も遊牧騎馬民族のヨーロッパへの侵入が発端です。後にモンゴル帝国もウイーンまで迫り東ヨーロッパから中央アジアを支配し続けています。さらに後のオスマン帝国然りです。今世界史では「タタールの軛」と語られていますが、ロシア帝国、ソ連、そして今日のロシアも500年に渡るモンゴルの支配下にあったのです。西欧にもアジアにも馴染めない今のロシアの現在の姿の眼に見えない「因と縁」です。
  喫緊の東ヨーロッパの課題シリア難民、ウクライナ紛争、そしてトルコ、ロシアと拡がる中東の紛争も、遊牧騎馬民族の興亡の歴史をたどることで見えてくるものがあります。混迷を深める21世紀己れの歴史観を鍛えるには最適の一書です。「歴史とは何か」、ずばり同名の新書があります。

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2015/11/15

ラ・ボエシ著「自発的隷従論」 を読む

書名 「自発的隷従論」
著者 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ
出版社 ちくま学芸文庫
Photo_4  書店の店頭を逍遥するのは子供の頃縁日の夜店を歩いたような、ワクワク感があります。一冊一冊が、「何か」を問いかけているように思えるのです。今春出会った一冊の文庫、十六世紀に十代の若者が書いたという、この論文は今我々に「何を」問いかけているのだろうか。十六世紀は、ヨーロッパ人が「新大陸を発見した!」と、アメリカ大陸へ殺到した頃ですから、すでに古典といわれるジャンルに属するものです。過去、日本でも翻訳されているそうですが、単行本として出版されるのはこのちくま学芸文庫版が初めてなのだそうです。初版は二年前の秋、僕が手にしたのは今年の春、すでに5版を重ねています。この古典は21世紀を生きる日本人に「何を」問いかけているのだろうか。
 人間の本性は自由を求めている。オリに入れられたり,頸木を嵌められるなら、命がけで抵抗する。と多くの人々は思っているのではないでしょうか。生物の本性とはそいういもの、人間も生物だから同じだ、と。もちろんかくいう僕自身もそう思っていました。
 ところが著者は「そうではない」といいます。十六世紀、国民国家、民主主義といった政治体制があったわけではない。がしかし、著者ボエシの解き明かした、自らすすんで服従する性癖としての「自発的隷従」は王制、独裁制、君主制、民主制等々政治体制のいかんにかかわりなく、21世紀の今日においても存在するものだという。この本の帯には「圧政に”自ら従う”奴隷根性は今も昔も変わらない」とあります。

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2015/10/31

バック・トゥ・ザ・フューチャーに見る現在過去未来(2)永遠の遅れと循環

<図2.永遠の遅れの自覚>
Photo_5
3.科学的思考の限界を
 縦軸に「相手中心・自己中心」を加えて4象限にしてみた。ここに言う相手とは他者、自己とは自我である。第一象限の「他者と未来」他者の視点から未来を考えるのが戦略の領域だ。右下の第四象限の「自我と未来」、未来を自己中心的に考えるのが、計画の領域だ。人間の 思考が自己中心になることからは逃れることはできない、それが主語述語という言葉で考える人間の思考の限界なのだから。計画はいかに利他の精神で考えても目標であって目的ではない。自己中心なのだ。 計画と実績に差がでる因(種子)がそこにある。
 「過去と自我」過去を自己中心的に考えるのが第三象限、管理の領域だ。計画と実績の差を「何があったんだ」「誰がやったのか、やらなかったのか」差異という結果から原因を因果論的に探すこと終始する。これはお釈迦様のいう「二の矢を継ぐな」だ。原因(犯人)探しをしても、出てしまった差異は埋まらない。差異を埋めるのは、“今ここ”の現在の行動に託されている。
 「過去と他者」相手中心に過去を見直すのが第二象限、分析の領域だ。実は過去の自分は、すでに他者なのだ。思考の上では対象として扱っているのだから。そこにも思考の主体としての己れが存在する。“今ここ”の一瞬の主体としての己れのみ唯一実在なのだ。いかに客観的に他者の立場で振り返っても、そこに他者であるべき過去の己れが介在する。科学的思考といわれる「Plan→Do→Check→Action」の構造とはこの縦軸に「他者中心・自我中心」横軸を「過去・現在・未来」とする四象限の永遠の循環なのである。計画と実績にズレ(差異)が出て当たり前なのだ。ズレの原因は二つだ。科学的思考には思考の主体としての、主語としての己れと、対象としての、述語としての他者とのズレ。一瞬も留まることのない刹那の時のズレである。すべてはその二つのズレによって循環的に変化していく。「P→D→C→A」のサイクルを回すだけでは。このズレは埋まらない。埋まらないズレは種子として未来へ引き継がれていく。いつか縁に出遭って、芽が出て膨らんで花が咲く。その花が自分にとって都合がいいか悪いかそれは咲いてみないとわからない。

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バック・トゥ・ザ・フューチャーに見る現在過去未来(1)未来はいつも白紙

<図1.未来はいつも白紙>
1 1)自分の未来は自分で作る 
 ロバート・ゼメキス監督の名作映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作のパートⅡで主人公のドクとマーティがタイムマシンデロリアンでワープした未来が2015年10月21日だったことから先週はテレビ報道でも話題が広がった。僕には、パートⅢのラストのドクの言葉が今でも強烈に残っている。独身だったはずのドクが妻子を連れて過去から戻ってくる。先に戻っていたマーティは、驚いてドクを問い詰める。「過去を変えてはいけない、過去を変えると未来が変わってしまう」と言ったのではなかったか、と。
 ドクはこう応える「過去にも行ってみた、未来にも行ってみた。結局、未来はいつも白紙なんだ、自分の未来は自分で作る」と。ドクのこの一言を聞いて、監督が、三部作を通してで伝えたかったテーマはこの「自分の未来は自分で作る」の一言に凝縮されているのではないかと思った。

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2015/10/06

南ア白峰三山縦走(3)奈良田へ

<西農鳥岳から日の出前の富士山 >
20151001dsc01574b2015年10月1日予定通りなら今日は最終日、己のタイムスケジュール通り歩けば、奈良田発最終バスギリギリ間に合うはずだ。
 3:30分小屋の管理人さん、お湯とコーヒーを持って来てくれた。4:00に出立する僕のためだ。

                          <西農鳥岳の御来光>                          20151001dsc01590b

 出立時の熱い一杯の飲み物は有難い。昨日の雲の様子からも今日は午前中から天候が崩れそうだ。管理人さんも早立ちをすすめてくれる。
 早くも4:15分タイムスケジュールに15分遅れた。ヘッドランプの灯り頼りに西農鳥岳を目指す。
 5:00西農鳥岳山山頂、標高3,050㍍。三脚を立てカメラを据えて、しばし行動食を食べながら日の出を待つ。昨シーズンから行動食にカルビーのフルーツグラノーラを持参しているが味もよく好きな量をいつでも、どこでも食べられて便利だ。賞味期限の切れたアンパンの残りも食べる。日の出前後30分の雲の色、山肌の色の変化が美しい。農鳥岳の先に富士山が雲海に浮かんでいる。

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2015/10/04

南ア白峰三山縦走(2)農鳥小屋へ

<櫛形山の黎明>
20150930dsc01478b9月30日4:30分玄関に用意された熱いお茶を一杯啜って御池小屋をでる。有り難い「おもてなし」の一杯だ。
 ヘッドランプを頼りに草すべりを登ること1時間、櫛形山の空が赤く染まり始める

                           


                               <夜叉神峠からの御来光>
20150930dsc01499b
 櫛形山と鳳凰三山の尾根の交わる、夜叉神峠から朝日が昇ってくる。いつどこで遥拝しても、昇る太陽は神々しく又美しい。
 7:00小太郎尾根の稜線に出る、風が激しく吹いている。ここから肩の小屋まで30分、北岳山頂へはさらに小一時間の距離だ。
 肩の小屋でホットココアを頂き、御池小屋の弁当で朝食を済ます。

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南ア白峰三山縦走(1)白根御池小屋へ

          <鳳凰三山>
20150929dsc01454b2015年9月29日11:00南アルプスの登山口広河原に立つ。歩き始めると立て看板がある。「登りたい山と登れる山の違いを・・・・」と記されている。

                             
                                  <白根御池小屋の秋>
 20100929dsc01472bドキッとする。さて今回の白峰三山は己れにとって、どちらに属するのか?
 なにしろ42年前30歳のとき上司から配属された18歳の新入社員と二人で歩いた縦走路、無邪気に先を行く若者に煽られて難渋した記憶が甦る。                        

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«北ア裏銀座を歩く(第四日)双六小屋から新穂高温泉へ下山