2018/12/03

「全体と個」の絶対矛盾的自己同一から見る日産の今日的問題(2)

20181203

1. 1.資本も「いのちの活き」

「資本もいのちの活き」の視点から図(1)(2)を図(1-2)(2-2)に書き直してみた。貸借対照表の借方(左)に企業を成り立たせている資産が計上されている。生きものに譬えれば身体だ。その身体を成り立たせている「何か」が貸方(右側)に計上されている。生きものに譬えれば「いのち」だ。そのいのちを資本と名づけている。しかし経営用語としては、なにげなく、「資金調達」と云う。資金とは貸借対照表の借方の項目のことだから“こと”の本質からいうと、正確には「資本(いのちの)調達」というほうがその役割に気づきやすいと思う。そして他人資本とは「他者のいのち」のことであり、己れの未来のいのちの活きによって贖うものだ。株主資本は株主という「他者のいのち」のことだ。かつて株主資本を過去の内部留保も含めて自己資本と名づけていた。企業固有のいのちと錯覚していたのだ。本来企業という存在も、“今ここ”の関係性を生きている存在だから、自己自身として所有するものはなにもない。人間と同じ企業という自己(主体)も、虚無(からっぽ)の器だ。日本の株式市場に上場している企業人の多くが未だにこの変化を確かなものとして受け止めていないのではないだろうか。

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2018/11/24

「全体と個」の絶対矛盾的自己同一からみる日産の今日的問題

201811224 「経営とは何か?」を学ぶ若い方々にとって、今日の日産の経営問題は、格好のそしてなにより生々しい生きた教材だ。それだけに、カルロス・ゴーンさんの金銭に関わる個人的なことがらを善悪や好嫌といった二元論的視点に囚われない俯瞰的な視点が必要に思う。


1.「いのちの活き」

 「いのちの活き」は生物固有のものではなく、家族、部族、民族、国家といった人間が集う集団にも、集団を構成する個の命とは別の、集団固有の「いのちの活き」がある。だから企業には企業固有の「いのちの活き」がある。日産の今日的問題も「日産のいのちの活き」という視点から凝視する必要があるし、そこが経営的課題ではないかと思う。

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2018/11/05

マイケル・ムーア監督映画「華氏119」を観て。

いよいよ明日はアメリカ中間選挙。112日公開初日にマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「華氏119」を観た。20年後の日本社会の姿を暗示しているようにも観える。変化のスピードを考えるとさらに10年は早まるのかもしれない。映画で強く描かれていたことは、ブッシュ親子、トランプといった共和党政権、クリントン、オバマといった民主党政権、保守とリベラル、赤と青と区分けされていたはずの政権の活動資金の出所が同じだということだ。これがアメリカ社会の格差を広げてきた大きな要因だと映像は訴えている。リーマンショック直後ブッシュ政権からオバマ政権へ、共和党から民主党へ政権が移行した折、政権交代のはざまで7兆米ドルの資金が巨大金融機関の救済に投じられていた。当時からすでに語られていることではあるが。

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2018/10/27

<「自己責任」と「自己の責任」と>-己れの命は己れで守る-

20181027

ジャーナリストの安田純平さんの救出劇を巡って、またまた「自己責任」なる言葉がマスコミやSNS上を飛び交っている。この言葉を流行らせたのは、小泉・竹中政権だったと記憶しているのだが。

 15年前の2003年8月10日還暦記念にと、赤いちゃんちゃんこを持参して北アルプス裏銀座を縦走した。照れくささも手伝って山頂で三脚を立て、いそいそとちゃんちゃんこを纏ってカメラの前に立った己れを思い出す。初日の烏帽子岳の山頂に真新しい少し華奢な鎖が垂れ下がっていた。鎖の前に立て看板がある。「岩がもろいので『自己責任』で」と書いてある。当時「自己責任」の言葉は反射的に時の大臣竹中平藏さんの顔が浮かんでしまう。「むっと」して思わずシャッターを切った。山小屋に入ると食堂にも「自己責任」の張り紙がある。さらに「むっと」して、泊まるのをキャンセルして、次の山小屋まで3時間歩いた。着くころにはすでに日没が迫っていた。

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2018/10/01

今読む!書名「未来を読む」著者ジャレド・ダイアモンド他

書名「未来を読む」-AIと格差は世界を滅ぼすか-
インタービュー・編-大野和基
著者 ジャレド・ダイアモンド/ユヴァル・ノア・ハラリ/リンダ・グラットン/ダニエル・コーエン
出版社 PHP新書(2018年6月23日初版)
書名「情報の文明学」 
著者 梅棹忠夫
出版社 中公文庫(文庫版1999年初版)
20181001_3 トランプ政権の誕生で分断されつつあるアメリカ社会のその分断が露わになってきたように思う。同じように日本社会でも安倍政権の誕生以来分断されつつある日本社会の分断が露わになりつつある。しかしこの露わになった多様な分断線は、第二次世界大戦の混沌(廃墟)から70年余の帰結なのかもしれない。さらに遡るアメリカ建国以来、日本では明治維新以来の様々な線引きの帰結なのかもしれないとも思う。とすると、”今ここ”の分断線に眼を奪われていても解決策は浮かばない、解決策なんてあるわけがないのかもしれない、唯一の解決策は再びの混沌に戻ることなのか?と思いつつそれでも「よい処方箋はないものか?」と書店の店頭を渉猟してみた。「犬も歩けば棒に当たる」の格言通り本書に当たったのだ。「しめた!」と思った。
 新書であり、インタビューをまとめたものではあるが、著者は、「銃・病原菌・鉄」のジャレド・ダイアモンド、「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ、「LIFE SHIFT」のリンダ・グラットン、「経済成長という呪い」のダニエル・コーエン、といったすでに日本でも著名な方々、既にこれらの著作を読まれた方も多いことと思う。西欧の碩学の読む「未来とは?」。立ち止まって耳を傾けて、少し遠くの未来を見ておくことは己れ自身の未来の処方箋を考えるうえでも貴重なことではなかろうか。
 サブタイトルには「AI,格差、滅ぼす」気になる漢字も踊っている。AI、人工知能の高度化、IPS細胞、ゲノム編集といった医学分野の高度化は人間社会の未来に何をもたらすのか。

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2018/06/04

映画「万引き家族を観て」-「家族とは何か?」・「本質とは何か?」-

 昨日(6月3日)都心に出なければ観ることができないと思っていた映画が二日間だけ隣町で先行上映されると聞いて慌てて出掛けた。そして映画館を出た。家内の第一声が「パルム・ドール賞をもらったというけど、フランス人にわかるのかなぁ」。映画のテーマは“今ここ”の日本人家族の物語に観えるが、「家族とは何なのか?」人間社会の家族の普遍的な本質を、日本社会の家族にまつわる“今ここ”の諸々の現象を社会現象としてではなく、生のままの家族の有り様として提示することで、表現した物語だと思う。もう一段階普遍的にいうと観客に「本質とは何か?」を問いかける物語でもあるのではないか。今この日本列島に生きる我々に「『本質とは何か?』を問うこと」を問いかけているようにも思える。

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2018/05/03

今読む「新・生産性立国論」デービツド・アトキンソン著

書名「新・生産性立国論」

著者デービッド・アトキンソン著

出版社 東洋経済新報社
Img_1218_2 近頃多くの企業経営者や政府(官僚)が「生産性」「生産性」と声高に語っています。しかし「生産性」なる言葉を声高に掲げる方々の多くが「生産性とはなんぞや?」と、その意味をまともに捉えていないように思うのですが、いかがでしょうか。その現れが国会の「働き方改革」法案に現れています。政府(官僚)はデータを偽ってまで「働き方改革」法案を通そうとし、経済界もそれを歓迎しています。しかし「生産性とはなんぞや?」と真面目に問い直せば、この法案はどう贔屓目に見ても「働かせ方改革」法案にしか見えないのです。
 イギリス人の著者デービッド・アトキンソンは元ゴールドマン・サックスの金融人。そしていま現在は、なんと神社仏閣、国宝・重要文化財の修復を専門に手がける小西美術工藝社代表取締役社長というから驚きです。この本の帯に「『労働者の質』はトップレベル「『無能な経営者』こそ問題だ」と著しています。

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2018/02/04

北極星は動かない-瞑想の薦め-

   <北極星は動かない>
20180204 1.コトバから生じる自我
 人間が猿と袂をわかった生物的由来は二足歩行にあるといわれている。しかし決定的な別れ、現代人への別れの由来は5万年前に現在の言語発声の始まりとなった突然変異にあるといわれている。経済学者にして哲学者岩井克人さんは、著書「資本主義から市民主義へ」の中に「人間は言葉を使う猿である」と書いている。人間はコトバを使うようになって、主体と客体、自他の分別が生じ、空間認識をするようになった。と同時に、“今ここ”を中心に過去と未来を分別するようになった。この主体が意識的自己であり、自我の目覚めである。意識的自己は、自利(自己中心的価値観)を育て、未来の己れ(自我)のイメージを様々描くようになる。いわゆる夢だ。そして、その夢を実現するための目標を設定し「P→D→C→A」のサイクルを回すようになる。しかしその夢の多くは叶わない。その理由は簡単だ、意識的自己(自我)が描く夢は極めて自己中心的なイメージであり、他者の存在に思いが及んでいない。そこに常に不確実性が待っているからだ。

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2018/01/10

そこはかといない不安はどこから、?

<「生物的実体」と「社会的実体」の絶対矛盾を生きる存在>
20180110

1.生物的実体
 宇宙誕生の初めビックバンから138億年が経ち、地球が誕生して46億年が経つという、そして微生物が誕生して38億年経ち、人類の祖先が誕生して600万年が経っている。しかしニコラス・ウェイド著「5万年前」によれば、現代人の祖先は5万年前に出アフリカを果たした150人の集団から始まったという。5万年で72億人にまでに増えたのだ。またリチャード・クラインは著書「5万円前に人類に何が起きたか」の中で、で西アフリカで人類の言語をつかさどる遺伝子に突然変異が起きたのも5万年前だと書いているから、ひょっとすると、あたかもモーゼの出エジプトの逸話のように、その人々が紅海を渡った150人なのかもしれない。150人の遺伝子は72億人にまで増殖したことになる。この遺伝子は個体の世代交代を繰り返しながら情報を伝えていく、生物的遺伝子だ。  

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2018/01/04

明けましておめでとうございます(2018年元旦)

20180101明けましておめでとうございます。
 毎々のの賀状です。
 年末に塩野七生さんの「ギリシャ人の物語Ⅲ」が出版され、古代ギリシャの歴史物語が完結しました。今何故ギリシャなのだろうか?、民主政の勃興と成熟そして衰退、それに重なる都市国家アテネの盛衰の様を活き活きと描いています。
 民主政の盛衰と国家の盛衰、その過程で政治家は如何に行動し、有権者は如何に対応したのか。昨年の日本の政治の有り様も写し絵のようにもみえます。最終巻は古代ギリシャの辺境で王政を敷いていたマケドニア王国に現れた青年アレキサンダーの物語。「ローマ人の物語」以来欠かすことなく、年末に一巻ずつ上梓し続けてきた塩野七生さんの持続力は、パワー、エネルギーという表現より以上に我々読者への律儀さというに相応しいようにも思えます。律儀を貫くにも強いエネルギーが必要なのですね。

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2017/10/29

絵本「100万回生きた猫」が教えてくれる「お客様第一主義」

書名「100万回生きた猫」

著者 佐野洋子
出版社 講談社
   <選び・選ばれる関係>
20171028100  

.コペルニクス的転回

 

「顧客満足」とか「お客様第一主義」を標榜してはいるものの、なかなか実現できている企業は少ない。「売る」から「買っていただく」と言葉の上では丁寧になり視点がお客様に移ったようにみえるのだが、言葉が変わっただけで、自己中心的思考の方向は変わっていない。お客様第一主義は自己中心的思考から他者中心的思考へ、天動説から地動説への転換、コペルニクス的転回、質的転換なのだ。太陽とまでとはいわないが、せめて月面に立って地球を見るという立ち位置の転換なのだ。絵本「100万回生きた猫」はその質的転換を教えてくれている。 

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2017/10/25

「時」は未来から現在へと流れている

    <会社盤の上を流れる時間>

20171026

人間にとって「時」とはわかっているようでわからない存在です。「時」そのものが独立して「実体」として存在するものではないからです。必ず「川の流れ」「太陽など天体の動き」、はては「己れの老い」といった客体(環境)の変化をとおして身体で感じているもの、アインシュタインが証明してみせたように、時間と空間は不可分のものなのです。それを言語化することによって意識化すると言語による限界で「時間」と「空間」とに二分して「時」は必然的に客体の変化として言語化することになります。 それは「過去→現在→未来」という意識化の方向、慣性(惰性?)の方向であって、「時」の流れそのものではないのです。今日の明後日は一日経てば明日に、今日の明日は一日経てば今日になるのですから、「時」は未来から現在に向かって流れているのです。

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「いのち」の蛻変をとおして「価値(mPQ)」は生まれる

<蝶々の蛻変と価値創造>
20171127キャッシュフロー全図はキャッシュ(現金)を人間の体内を循環する血液に喩えて、図にしたものです。エクセル教材の資金繰表の一行が変化すれば、瞬時に変化しています。人間の血液は眼に見えない「いのちの活き」でもあります。企業を生き物、経営者、社員等々利害関係者の寿命を超えて生きていく生き物とイメージできるならそこに生き物の「いのちの活き」も見えてくるのではないでしょうか。キャッシュフローを「いのちの活き」という視点から見るとどうみえるのでしょうか。  

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2017/10/21

「内部留保課税」は非富裕層へのリップサービス?、それとも簿記の原理を知らない言説か?

20171021_2
1.「いのち」に課税できるのか
大企業の内部留保が300兆円と増殖していることからこのところ内部留保課税を掲げる政治家や経済評論家が出現して、様々な意見が噴出しています。ですが、これは賃金減少に苦しむ非富裕層へのリップサービスのひとか、真面目に提起しているとすれば、複式簿記の構造を知らない無知のひとの言説です。図のように複式簿記は4象限になっています。右(貸方の合計と左(借方)の合計は必ず一致するのです。
 
 第一象限には「負債・資本」、第二象限には「資産」、第三象限には「費用(利益処分を含む社外流出)第四象限には収益(売上等)が記載されています。
上下二つに切断して、第一、第二象限を貸借対照表(以下B/S)、第三、第四象限を損益計算書(以下P/L)命名されています。

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2017/10/17

山小屋のブランディング戦略

  <圧倒的なTシャツの品揃え>
20171010dsc04573b 北アルプスに女性に圧倒的人気の山小屋があります。「もう一度泊まりたい山小屋No.1」子供を連れたファミリー登山客が多いのもこの山小屋の不思議です。その名は燕山荘、山小屋から片道30分のところに標高2,763㍍の燕岳があります。宿泊客の多くが山頂を目指すのではなく、燕山荘を目指して北アルプス三大急登の一つと語られる合戦尾根を登るのですから不思議です。槍穂高連峰、裏銀座の縦走路、立山連峰から後立山連峰を見渡す扇の要の位置にある山小屋ですが、登山者の多くはこの眺望は二の次、三の次燕山荘を目指して登るのです。
  

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2017/09/04

功徳牧場から山王峠スノーシュ散策(2017年2月15日(水)

    <光徳牧場>
20170215img_05342017年2月15日(水)奥日光光徳牧場から山王峠をスノーシューハイク。
 好天に恵まれ風もなく2月半ばというのに穏やかな日溜まりハイクを楽しんだ。

     <   >

20170215img_0538b



                    

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2017/08/23

書名「福岡伸一、西田哲学を読む」福岡伸一・池田善昭著

書名「福岡伸一、西田哲学を読む」-生命をめぐる思索の旅-
著者 池田善昭・福岡伸一
出版社 明石書店
Photo 美空ひばりの演歌の一節に「人生って不思議なものですね」とありました。こんな一節が口をついて出てくるのも年回りのせいなのでしょうかね。(苦笑)書店の店頭でのこの本と出逢ったときの感覚です。欠けているとは意識していなかったのですが、明らかに欠けていたジグゾーパズルのワンピース、それが見つかると、人生の未完成のジグゾーパズルの絵がまた少しだけ違ってみえてくるから不思議です。
 書店でこの本を手にした方は、理路整然と間違いを犯す、論理的思考からの開放、そして因果律の呪縛から解き放たれる一片の「不思議」のピースをこの本の中に見つけるかもしれません。
 生物学者福岡伸一さんは著書「生物と無生物のあいだ」で「生命とは動的平衡にある流れ」と定義しています。「もの」ではなく「流れ」です。帯には小さく「ロゴス<論理>対ピュシス(自然>」である」とも書かれています。

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2017/05/07

今読む塩野七生著「サイレント・マイノリティ」

書名「サイレント・マイノリティ」

著者 塩野七生

出版社 新潮文庫
Photo
「保守か革新か」「右翼か左翼か」「ネトウヨかネトサか」とFB、ツイッター等々SNS上はレッテル貼りに大賑わいだ。日本人はブランド好きといわれるけれど、ブランドというレッテルにはまだ多様性があるように思う。ここでは一刀両断、日本人はいつからこんなに多様性を見失い二元論者になったのだろうか。同世代の縁者とのお酒の上の世間話もいつも「お前は左翼だからなぁ」で終わる。帰宅して机の前で「どうして俺が左翼?」としばし自問する。

 塩野七生さんの著書「サイレント・マイノリティ」P154に「真の保守とは・・・・」がある。この中でイタリアの文明批評家ジュゼッペ・プレッツオリーニ(1882年~1982年)が挙げた保守主義者の条件を紹介しているさて己れは保守なのか革新なのか、それとも親しい縁者の云うごとく左翼なのか、久々に読み返してみた。なんと34項目もある。読んだ折にうなずきながら赤線を引いた項目が幾つもある。いくつか書き出してみた。

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2017/02/26

映画「沈黙」を観て

遠藤周作著「沈黙」をマーチン・スコセッシ監督が映画化したと聞いて、若い頃読んだまま記憶の底に沈んでいるストーリーを思い出すべく読み直して、上映されるのを楽しみに待っていた。監督が小説「沈黙」に出会い、映像化しようと30年の長きにわたって考え続けた作品だという。
 ご自身がクリスチャンでもある遠藤周作が日本人であるがゆえに持たざるをえなかった「神の実在」という信仰上の悩みの過程を、江戸幕府初期のキリシタン弾圧と信徒の棄教との関係に置き換えて語ったのだろう。
 遠藤周作の原作は発表当時西欧では発禁処分にした国も多かったと聞いている。日本人が映画化するには、小説のテーマをまともに描けたとすれば、映像であるだけに「神の実在を信じる一神教の人々には、小説以上に厳しい扱いをうけるのではないだろうか。
 とはいえ「神の実在」を宗教の本質とする人々が日本人の遠藤周作の日本人ゆえの信仰の悩みを理解して映像化するのも困難に思われる。遠藤周作の原作は神への冒涜とも読めるだけに難しいだろうと思うのだ。しかしマーティン・スコセッシ監督は構想30年、抑制...の効いた映像、脚本、俳優の名演技で見事に映画化してみせた。

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2017/01/02

明けましておめでとうございます(循環の思想と即非の論理と)

<顧客満足の循環>
20170101今年は酉年とあって、葛飾北斎の八方睨み鳳凰図を左端のスタートに置いてみました。
 ヨーロッパ、中東の混迷は深まるばかり、米国のトランプ大統領の就任で、日本を取り巻く政治、経済の環境も穏やかならざるものがあります。
 どう考えてもこのままでは混迷は深まるばかり、安倍政権も「成長!」「成長!」とエンジン全開ですが、おそらく国家の借金(国民が負う)は増大の一途、さてさて行く末はいかに。
 干支は循環の思想の表れ、そろそろ西欧の二元論を離れ、「森羅万象に神宿る」の循環の思想に思いを致す、最後のときではないかと思います。といってもこの図柄既に干支を二回りしてしまいました。((苦笑)

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«南ア前衛の山鳳凰三山を歩く(ドンドコ沢から三山経由青木鉱泉)