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2004/09/28

孫悟空の金の輪と経営理念

<お釈迦様の掌と孫悟空 >
Photo まずご存知西遊記のくだりから、石から生まれた石ザルの孫悟空は持ち前のエネルギーを持て余し、天界で大暴れします。あまりの乱暴狼藉に怒ったお釈迦様は孫悟空を大岩の下に閉じ込めてしまいました。それから月日は流れお釈迦様の予言どおり、三蔵法師が天竺へ向かう旅の途中、大岩の下敷きになって動けないでいる孫悟空の前を通ります。三蔵法師の祈りで大岩の下から出ることができた孫悟空は予言に従って、三蔵法師の天竺への旅に随うことになりました。出発に先立って三蔵法師は金の輪を孫悟空の頭に嵌めて随伴の印にします。
 旅の途中孫悟空は自分の持ち前のエネルギーを持て余し繰り返し悪さをします。いよいよ手がつけられないほど暴れると三蔵法師はお経を唱えます。三蔵法師がお経を唱えると孫悟空の頭に嵌められた金の輪はじわじわと孫悟空の頭を締め付けていきます。痛みに耐えかねた孫悟空はしぶしぶ三蔵法師のいいつけに従うことで窮地を脱します。金の輪に締め付けられる痛さを忘れては、悪さをし三蔵法師のお経に苦しめられることを繰り返しながら、天竺への旅を続けていきました。  

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2004/09/24

サル!草履を持て!

ガッツ石松の「サル!草履を持て!」のCMを見ると子供の頃読んだ太閤秀吉の出世物語のマンガを思い出します。ご存知のように冬の寒い深夜に信長が部屋から飛び出してきます。日吉丸は、懐から暖めておいた草履を差し出します。日本人なら誰でも知っている名場面です。きっと「冗談じゃないそんなゴマスリまでして偉くなんかなりたくない」と思った男の子が多かったに違いない。私もその一人。しかしそれが間違いだったのです。あの信長がそんな単純なゴマスリで部下を引き上げるはずはないのです。あれはたとえ話なのです。
 秀吉は常々「信長様は次はなにをするのか」と想像を巡らせてたのです。「信長様は次は美濃攻めだな」それには「墨俣に城がいる」それには「川並衆の力」がいる、それならと「蜂須賀小六と誼み」を通じて待っています。墨俣の築城に上役が次々に失敗するのを横目で見ながらじっと自分の番を待っています。「サル!草履を持て!」さあ出番です。サッと墨俣の城を一夜にして差し出します。草履はたとえ話、常に信長の次の行動を予測して準備をし、与えられた仕事を120%こなした結果の出世物語だったと思います。「信長様次はなにをするつもりですか?」と聞いたらきっとその場でお手打ちだったでしょう。
 お客様への対応も同じではないでしょうか?お客様に、次はなにをしたら、喜ぶかどんな商品を提示したら買ってくれるのだろうか?お客様がまだ気づいていない、商品、サービスを一歩先んじて提供し続ける、「一歩先のお役立ち」が「サル!草履を持て!」の裏の問いかけだったのではないでしょうか。
 昨年還暦記念旅行でエジプトへ行き、ナイル川をファルーカという大き目のヨットでクルージングする機会がありました。アラブ人の少年が歌を歌い巧みに小船を手で操りながら、係留されたヨットの周囲を回っています。歌っている歌がなんと昔流行した「ヤームスタアファ」「今や悲しき六十歳」でした。たとえ話の裏の意味に気づいたら「今や・・・・・・・」なのかもしれませんね。

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2004/09/22

財産の継承はラグビー

「事業の継承は陸上競技のリレーのイメージで」と書きましたが、おなじ継承でも財産はラグビーのイメージ、それも自分ではトライできないラグビーです。財産(ボール)を持って先頭を疾駆しています。敵(継承に纏わる諸問題)が執拗に絡んできます。ゴールに近くなればなるほどこちらの脚力は落ち、敵が纏わりついてきます。ついには倒れて敵が覆いかぶさってくるのです。財産の継承で揉め事にもよく出会いますが、もめる原因の多くはボールを最後まで持って離さなかったひとの欲にあります。この世にいる人間はあらためてボールを抱えゴール目指して走らなければならないのですからもめるは当然です。ボールを持ったひとは、自分ではトライできないボールをどのタイミングで、後ろを走っている味方の誰にどれだけパスするか、すべてボールをもったひとの責任なのです。早くパスしてしまうにも無責任なら最後まで持ったまま押しつぶされるのも自分の責任、タイミングがむずかしい。自分で思っているより少し早いパスを心がけたほうが結果はいいようです。
 中小企業の継承が難しいのは、事業と財産が分かち難く一塊になっているからです。事業のバトンは一人の未来の走者に前を見ながら手渡し、財産というボールは後ろを走ってる複数の走者に、振り向きながら投げてパスしなければならないからです。ともするとバトンもボールも後ろの走者に投げてしまったりします。
 大企業では権力をボールと間違ってしまうのでしょうか、ついボールに執着して後ろの走者と一緒に持って走っているシーンを見かけます。そのうち二人の足がもつれて、転倒すると、バトンはすっ飛び、ボールは方向感なく跳ねていきます。権力もバトンです。持った者の責任として、未来の走者に陸上競技のバトンとしてしっかり手渡したいものです。老中を歩きはじめ、周囲で転んだり跳ねたりしているのを見るようになると、自分には縁のない一抹の淋しさを味わいながら、だから岡目八目よく見えるのだと納得してます。

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2004/09/20

”棲み分け”でプロ野球問題を考える

今西錦司は生物全体社会は常に安定を志向している、生物全体社会を構成する種社会、その種社会を構成する個体は、全体と個の共生、共存、競争を通して安定を維持していると説いています。仮に生物全体社会を産業全体、種社会をプロ野球業界として、球団を個体と当てはめると11球団、次に10球団と個体数が減っていくことは種社会としては種の滅亡へ直結していますから好ましくないのです。プロ野球全体としては球団が増えて競争が盛んになったほうが都合がいいはずです。個体を構成する選手にとっても細胞が競争によって活性化します。球場、ホテル、弁当、ビールなどなどプロ野球を取り巻く近縁の産業も共生して潤っているので、狭義の球団が儲かっていない、それなのに選手のギャラが高いなどと問題を矮小化しては全体が見えなくなってしまいます。もしプロ野球という生物だったら当然のことのように年老いた近鉄とオリックスの合併、ダイエーとロッテの合併も進み、楽天、ライブドア、シダックスが新球団として誕生するでしょう。福岡と釜山という立地からもダイエーとロッテが一緒になれば今後アジア野球の拠点としても面白くなるのではないでしょうか。一リーグへという意思の働きこそ、競争進化論に毒されているようにみえます。今はファンの嫉妬心を掻き立て「選手の年俸や契約金が高い」という枝葉の問題にファンの目を向けて、問題を矮小化して選手とファンの間を分断してはいけないのです。プロ野球という種社会が縮むということは産業全体にとっても大きな損失です。
プロ野球の今日的問題は経済全体に共通する問題でもあります。形ある物を売る時代は終わったのです。情報社会はエンタティメントという目に見えないものを売る社会ですから、エンタティメントがわからないわれわれ老中世代はそろそろ控えて、若い世代にすべてを委ねたほうがいいのではないでしょうか。権力を握っている老中の英断がいま求められています。事業は未来へのバトンタッチです。 

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経営に終わりはない

1.第一級の経営書
 1986年11月文藝春秋社から藤沢武夫著「経営に終わりはない」が出版されました。藤沢武夫は本田宗一郎と二人三脚で創業し今日のホンダの基盤を作り上げた方ですが、本田宗一郎を表に立てて、自らは裏方に徹して、マスコミにも出ず、講演も、書くこともほとんどなかったのです。この本は著者が引退から十四年経ち、「本田-藤沢」の創業理念と、二人三脚で作り上げてきたホンダの経営のタテ糸を語ったものです。ときあたかもプラザ合意の翌年、日本経済は、未曾有の円高で呻吟し、方向感を失っていたときでもあります。太平洋戦争の廃墟から立ち直った日本経済はそれから四十年、、ジャパンアズナンバーワン、世界一の経済大国ともてはやされたましたが、1985年のプラザ合意で鉄槌を下されて、目にはみえませんが再び廃墟と化したのです。日本のビジネスマンにいまこそ原点に帰れと著者が贈ってくれたエールだったのかもしれません。何度読み返しても涙がにじみでる本です。
2.夢→念→仮説→検証
 企業は大きな矛盾を抱えて誕生します。生きとしいけるものの命は有限なのに、無限の命を求めていく宿命を負っています。起業しても幼児死亡率が高く1/3は三年以内、2/3は十年以内に死を迎え、首尾よく成長軌道に乗った企業も創業者の命の衰えと共に”創業の理念”も老いていきます。企業の技術、商品、サービスは経営理念を源泉としているのですから、温泉騒動は他人事ではなく見た目こそ違ってもそのまま企業の問題なのです。
 だれが言い出したのか「P→D→C→A」をマネジメントサイクルと言いますが、私は常々それが間違いのはじまりだといってきました。それは管理(コントロール)のサイクルであり、マネジメント(経営)サイクルというからには「夢→念→仮説」の第一のエンジンサイクルと検証の第二のエンジンサイクルが必要です。この第二のエンジンサイクルが「P→D→C→A」なのです。企業の経年変化で第一のエンジンサイクルが点火しなくなり第二のエンジンサイクルのみで回るようになって衰退へ道をたどっていきます。第一のエンジンサイクルが経営理念なのです。ホンダが1954年に「日本一のオートバイメーカーになるぞ!」「マン島のT・Tレースに出場する」と宣言した話は多くの方が知るところですが、宣言したまさにそのとき、手形が落ちる落ちないの危機にあったことを知っている方は少ないのです。けっして現実から目をそらすためではなかったことは、五年後に優勝し、七年後には一位から五位まで独占したことで検証されたのです。
3.万物流転の法則から逃れる
 企業といえども生々流転、「生あるものはすべて滅する」という大自然の法則の下に支配されています。技術の天才本田宗一郎の遺伝子を次代に伝えない限り、ホンダは本田宗一郎と共に衰退します。ホンダにとって空冷から水冷低公害エンジンCVCCの開発は大自然の法則から免れた瞬間でした。
4.自灯明
 この本を貫いているのは「たいまつは自分で持て」「自灯明」です。資金調達で「銀行が貸してくれない」ではなく、借りられる条件を「自分で整える」こと、「売れない」「売ってくれない」ではなく「売れる状態を自らつくる」こと、自分自身で他人を頼りにしないで意思決定すること、「自分の足元は自分で照らせ」ということです。私のようにその自信の無いものは「法灯明」、法の灯火で足元を照らして歩く、この本は多くのビジネスマンにとって「自灯明」が灯るまで、足元を照らしてくれる経典になるでしょう。
5.別れ
 ひととひとの出会い、男と女、夫婦、親と子、友との出会い、すべての出会いに別れがあります。藤沢武夫と本田宗一郎との出会いと別れは友と友涙の滲む「美しい出会い」と「幸せな別れ」です。私にとってはまさに「法灯明」の出会いと別れです。引退のときの二人の会話です。
   本田「二人いっしょだよ、おれもだよ」
   本田「ここらでいいことにするか」
   藤沢「そうしましょう」
   本田「幸せだったな」
   藤沢「本当に幸福でした。心からお礼をいいます」
   本田「おれも礼ををいうよ、良い人生だったな」
6.棲み分け
 読み終えても、トヨタ、ニッサン、GMといったライバルメーカーの名前はいっさい出てきません。藤沢武夫は万物流転の法則を乗り越える進化を、競争の中に求めてはいなかったのです。創業のときから、主体的に方向性をもって二輪車から四輪車へ進化し、日本からアメリカへと遷移していった姿は今西錦司の棲み分け進化論そのもの、そして創業者の遺伝子を継承した次代のひとびとは、ホンダをさらに進化させていくことでしょう。あとがきは次のようにむすんでいます。「二代目、三代目・・・・・・彼らが仕事をしやすいように、経営のタテ糸をこわさず伝えるということは、創業者のつとめなんですね。次代のひとが仕事がしやすいように配慮しなければならないのです。このようにして”たいまつの火”が次から次へと受け継がれてゆくことによって、はじめて本田技研は万物流転のさだめを免れることができる。」
7.経営とは
 広辞苑をひも解き「経営とは?」と問うと「力を尽くして物事を営む」と答えが返ってきます。この答えに従うならば「経営に終わりはない」この本は、「自灯明」に進化するまでの「法灯明」として個人、家庭、会社を問わず人生の様々な場面で足元を照らしてくれます。

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2004/09/18

古田に声援

古田がひとり光っていましたね。古田頑張れ!選手が商品、ファンがお客様であることを球団の経営者は理解していないようです。儲かっているいないは自分の責任、商品やお客様の責任ではないのです。それにしても一般企業の組合はストライキをする力も理由も見失っていますが、商品がストライキをするというのですから、時代の変わり目とはなにが起こるわかりません。
 私も30年前企業の中で組合の執行部としてはじめてスト決行という場面にいたことがあります。直接スト通告をする立場に立ったとき、蚤の心臓、気の小さい私は消えてしまいたいような気持ちに駆られ、眠れぬ夜を過ごしました。そして予定通り半日スト決行、古田の苦渋の決断がとてもよくわかります。プロの野球選手という自立したひとでも苦渋の決断ですから、一般の労働組合では執行部といえども、権利はあるといっても、出来ないものはムリもありません。資本家、労働者という単純な図式も、ベルリンの壁崩壊と共になくなりました。業種を問わず仕事をするものはプロ中のプロとして、自分の身を自分で守る気概が必要な時代になりました。今日のプロ野球選手のストライキは自立、自律の時代を象徴する出来事です。

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2004/09/15

事業の継承はリレー

中小企業の社長と後継者の間の関係を垣間見る機会がままあります。なかなかスムーズな継承ができていません。多くは後継者が十分育っていなくて手遅れというケースです。この場合とかく社長が偉大で、後継者に原因があるやに言われることが多いのですが、やはり育てていなかった経営者に原因があります。自分が若くて体力があるうちは、「嫌なら継がなくてもいいよ」と言っていながら、晩年になる弱気になって「戻ってこい!」これでは後継者はたまったものではありません。どこか頭の隅で、財産だけあてにしていたり、いざとなったら「戻ればなんとかなる」と思っているので、十分自立ができないまま今日まできています。社長も継承した後の喪失感がこわいということもあるのでしょうがとかく”終生現役””青春の詩”を曲解してしまいますが、うまくいっているケースをみると、早いうち若いうちに継承しているケースが多いのです。
 経営者も例外ではなく生きとし生けるものの命はすべて有限という宿命を負っています。ところが企業は無限の時空を生きていかなければならない宿命を負っています。生物と同じように遺伝子を残して命を継いでいかなければなりません。リレーを想像してはいかがでしょう。五輪で水泳のリレーが銅メダルを取りましたが、水泳のリレーでは駄目、陸上競技のリレーです。水泳は一瞬のタッチで交代です。これではフライングが心配で安心してタッチできませんが、陸上競技のリレーはバトンを渡します。しばらく併走して次の走者がしっかり握ったのを確認して邪魔しないように静かにおのずから離れていきます。早く渡してしっかり併走すればいのではないでしょうか。受け取るほうもひったくるのではなく、自然に抵抗なく相手の手の力を感じなくなるまで手を後ろに置いたまま助走して待てばいいのです。若いというのは時間という味方がしてくれます。事前に思っているより短いものです。
 多くの事業継承がリレーの場面をイメージすると、いつまでも自分で持ったまま全速力、突然倒れて放り投げてしまって次走者があわてて駆け寄って拾って走る姿だったり、息切れして青息吐息でバトンを放り出したり、はては次走者が満を持して待っているのに追い抜いてしまい次走者が後ろから追っかけている姿だったりします。陸上競技のリレーはバトンタッチの部分も練習をしますが、経営のリレーは一発本番ですから、頭のなかでしっかり陸上競技のリレーをイメージトレーニングして、経営者の足腰がまだしっかりしているうちに時間をかけた継承を心がけたいものです。この続きは「財産の継承はラグビー」です。
  

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2004/09/11

人生は競馬-60歳は第四コーナー-

   <人生は競馬>
Photo_2 「人生は競馬,60歳は第四コーナー」と人前で口にするようになったのは50歳の頃でした。多くのビジネスマンがゴールを60歳においています。現在の仕事の終わりを漠然とゴールとしています。ところが人生を競馬に喩えると60歳は第四コーナーなのです。とりあえず平均寿命を80歳とすると、60~80歳までが正面スタンドなのです。観客はこの正面スタンドで拍手を送っています。50~60歳の十年は第三コーナーから第四コーナーのカーブです。50手前までビジネスマンは前も、足元も見ずに無我夢中走ってきます。ふと気がつくと間もなく50歳、十年先のゴールが見えてきてあわてて「さてもうひと頑張り、一鞭あてるか」これが危険なのです。実際にはこの10年はカーブですから、いままで走ってきた向こう正面の直線のようにはいかないのです。丁寧に走らないと、足がもつれ落馬をしたり、足を折ったりします。好位置につけているひとは、先頭に立ちたくなり鞭をいれ、少し遅れたと思ったひとは先頭集団に追いついておかないといけないと鞭をいれます。ここがカーブだということを忘れています。第四コーナーを回って正面スタンドの歓声や拍手が耳に入るようになると愕然とします。ゴールだと思ったのに眼前に長い長い直線が待っています。なにしろ首が上がり息が切れてやっとゴールと思った途端に元気一杯、働き盛りの30~50歳を走ったと同じ距離を残しているのです。多くの方が茫然自失です。気を取り直して走り出すまでに、しばらくの時がかかります。
 そこでこの図を頭に置いて、いま馬場のどの辺りを走ってるのかイメージしてペースを作ってください。ところで正面スタンドに自分の馬券を買ってくれた観客はいるのでしょうか。気にしないでください、自分の馬券を買ったひとは一人もいないのです。女房ですら買っていないのです。ゴールを通過するときはたった一人なのです。誰のためのレースでもない自分のためのレースですから、他人の目を気にすることなく走ればいいのです。実際の競馬でも馬券を買うときはレース展開をイメージして勝ち馬を予想しますが予想ですから外れることが多いのです。結果としては思い通りの展開にはなりませんが、人生の競馬も自分が一位になった姿だけをイメージするのではなく、幾通りかレース展開をイメージしておいたほうがいいのではないでしょうか? 

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2004/09/09

ファンではなくお客様

熱心な野球ファンではないので、偉そうなことはいえないのですが、最近の合併問題のやり取りを見ていると、球団経営者も「ファンのことを考えて・・・・」選手会も「ファンを第一に・・・・・・」と口ではいっていますが、球団経営者にも選手会にもお客様の視点が見えてきません。ファンというのとお客様とでは決定的な違いがあるように思います。ファンという言葉には、「俺たちにかしずく、くしもべ」というニュアンスを感じます。さらに球団経営は巨人以外はみな赤字といっていますが、決算は公開されているのでしょうか。優勝セールのお客様の売上は球団に成果配分があるのでしょうか。球場でお客様が落とす飲食、物販の売上げは、さらに球場周辺のホテルの売上、鉄道の運賃などなど、野球がなければ発生しない売上、すべて連鎖しているはずです。テレビの広告収入などなど、経済も生物の食物連鎖のように繋がっているのです。お客様のためにと思ったら、選手の年俸のカットなども含めて球団経営のリストラクチャリングの方向も提示してもいのではないでしょうか。自分たちも努力しているという姿勢は伝わってきません。
球団オーナーは皆様名実共に名経営者揃い、すでに先刻ご承知のことでしょうが、ファンと思わずお客様と思わないと真の解決策は見えてこないのではないでしょうか。
 野球界にとっての環境はお客様(ファン)であり、その環境が変わりつつあるという厳然たる事実でしょう。今回の野球騒動の中にもダーウィンの進化論から抜けられずに呻吟している姿が見えてきます。

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2004/09/08

経営戦略に棲み分けを!

 私が今西進化論に出会ったのは30年ほど前、原価管理担当で工場中を「コストダウン」「ムリ、ムラ、ムダの排除」「次は部門別採算制」とキンキンがなりながら走り回っていた頃、会社の先輩から「お前はどうして、重箱の隅ばかりつついてるんだ」「競争、競争って騒ぐけど競争では会社は潰れない」「会社は潰れるべくして潰れるんだ、この本でも読んでみろ」と渡されたのが、今西錦司著「進化とはなにか」でした。それから今西錦司を読み漁りそれまでの超合理主義者からすっかり宗旨替えをしました。
 進化=進歩、経営戦略は競争戦略と考えていると、発想はライバルとの比較に終始し、「敵が新商品をだすから・・・」「目標マーケットシェアXX%!」「前年対比売上XX%up」と罵声をあげてしまいます。「ライバルが!ライバルが!」といっているうちに、さて「お客様はどこへいったのやら」お客様のことは二の次です。進化=変化という視点では、生物は環境の変化に合わせて、自らを変えていきます。同じ種の個体同士の共食い(カニバリズム)はタブーです。闘争も縄張りから追い出すのが目的であって、必要最低限の争いです。企業にとって環境はお客様です。進化=進歩ならライバル企業との闘争ですが、進化=変化ならお客様という環境にあわせて会社を変えていくことを重視します。いくらコストダウンして価格競争力をつけても、お客様に合わないものは買ってもらえません。顧客満足経営とはまさに棲み分け経営のことではないでしょうか。マーケットシェアを上げてバイイングパワーをつけてコストを下げるとか、経年変化で習熟してコストが下がるのは当然のことで、コストダウンとはいわないのではないでしょうか。マーケットシェアもお客様に選ばれた結果ですから、単に売上高でシェア比較をするのは意味が無いどころか変化を遅らせる原因をつくることになります。いつか来た道、生産能力過剰、売り場面積過剰で自滅します。生物も個体が異常発生すると自然に均衡するまで減っていきます。
 会社が変わるということは、経営者が変わり、社員が変わることです。競争戦略を信奉している方に「棲み分け」というと”逃げるなんて卑怯だ”と思うようです。正々堂々戦うのは勇ましいのですが、それは経営目的ではないのではないでしょうか棲み分けとはけっして逃げることではなく変わることなのです。リストラクチャリングもすっかり「切捨て」のイメージが定着していますが、本来は「リ・ストラクチャリング」ですから、まさに変わるための”再構築”、膨張しないで日々再構築ですね。
 最近「これからは『ナンバーワンより”オンリーワン”』になろう」という標語も目立ちますが、その会社の行動を見ると、相変わらず同業他社を見て似たようなことをやっています。これではオンリーワンにはなりません。同業他社と違うことをする、ロンリーワンに耐える強さが、棲み分け経営には必要になるでしょう。生物だってきっと新天地を求めて、新しい時空に飛び出していったときは必死だったのではないでしょうか。 

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2004/09/05

棲み分け進化論で考える

進化論といえばダーウィン、ダーウインの競争進化論が正統派進化論として広く信じられています。生物は個体が突然変異によって獲得した生存に有利な身体的特徴を生かして、弱者を淘汰して子孫を増やしていく。よく例に挙げられますが「ライオンに追われたシマウマはより早いものが子孫を残し遅いものは淘汰される」進化=進歩がダーウィンの進化論です。結果としてライオンに襲われるシマウマをイメージして弱肉強食を当然視するようになります。
 このダーウィンの進化論に敢然と異を唱えたのが今西錦司です。今西錦司は著書「進化とはなにか」の中で、生物全体社会その部分を構成する種社会、その部分を構成する個体それぞれ相互に影響しあって安定的に生物全体社会を維持している、その前提に棲み分け共生があると述べています。さらに同著の中で「いつごろからか人類は、戦争による相手方の殺傷を是認するようになり、いまではゼノサイドといった恐ろしい言葉まで使われるようになってきたけれども、それだからといって人類は、大昔から平気で大量殺戮をやっていたように考えたり、動物の社会ではいつでも弱肉強食が横行しているかのように考えたりするのは、どちらもものの見方をまちがえている。

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2004/09/02

メーカーに恋人の想いは届くのか?

 山を歩くひとはことのほかカメラ好きが多いように思う。一眼レフ、交換レンズ、三脚とカメラ周辺の荷物はかなりの重量になる。カメラにかける労力は相当なものだ。デジタルカメラになって怠け者の僕は「どうせ俺は芸術写真が取れるわけではない」と諦めてデジカメ一台にして楽になった。なにしろマクロ、から望遠まで、レンズ交換なしにシームレスに取れるから、急峻に喘ぎながらも路傍の花、雷鳥の親子にシャッターが切れる。
 もうかれこれ35年M社のカメラを買い換え続けている。35年といえば、女房以上の付き合いだ。ところがメーカーさんからは、いちども新製品の案内すら来たことがない。商品の中の「愛用者カード」ってなんなんだと思う。浮気を一度も(?)しないで買い換えて、一方的につき合ってる”のに”である。これだけ尽くして相手にしてもらえないのだから、そろそろ諦めても、と思いつつまた買ってしまう。今使っているデジカメは山を歩く度に「二度と買わないぞ!」と誓う。本体が気に入らないのではない、ケースなのだ。レンズフードをつけたまま、ケースをすると納まらなくてイライラする。いちいちザックにしまったり、レンズフードをはずしていては不便でたまらない。あと一センチ、ケースを深くしてくれれば。M社は写真を取る素人の姿をイメージできていないのだろう。新機種を前にためらうことしきりだ。これで最後にしようか?片思いの恋人への電話に似ている。ちょっと電話口にでてくれたら、十回に一回でも電話をくれたらそれで十分な”のに”恨めしくなる。
 銀塩カメラからデジタルへというような大きな技術革新のときに、長年の片思いをあきらめ、また片思いに終わる予感を秘めながら、思いを変えるひとも多いのではないかと思う。きっと予感は的中する。山小屋の野外ビールパーティでもお一人はX社のカメラ一筋20年の大フアン、X社もやっぱり同じだという。もう一人はなんと偶然X社の技術者、もしかしたら思いは届くのだろうか。山でのひとの出会いは事前に名刺を出したりしないし、また下界で再会してといった下心もない一期一会の出会いなのがいい。
 我が家にいつの間にか、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、・・・・・同じメーカーのものがずらり並んでいる。でもメーカーは商品のお客と思っていて、会社のフアンだと思っていない。Zクレジットカードも使いはじめてすでに35年、当時は使うことがステイタスだったはずが、いつのまに使うたびに「お支払いは一回ですか?」と聞かれる。「分割払い(昔は月賦というのがあった)」のため会員になったつもりはない”のに”と思う。でも”・・・・のに”を連発するようになったら老いのはじまりかもしれない。
 たまたま今日ニフティからメールがきた「今日9/2は会員登録7周年です。・・・・・・・」「そうかもう7年か・・・・!」インターネットの時代になり、「一回のお客を一生の顧客に」する可能性は高まった。そろそろ浮気も飽きた、結ばれたいと思っているお客様も多いと思うのだがいかが。

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2004/09/01

山小屋で語った顧客満足(CS)

高天原から雲ノ平と歩いて北アルプス通称裏銀座の稜線に出た。百名山の水晶岳をはじめ幾つかピークを越えているうちに、いつの間にか単独行の4人が集い、山小屋Mで早めの野外ビールパーティになった。霧の中に浮かんでいる槍ヶ岳の穂先を観音菩薩に見立てて会話がすすむ。突然「第一回戦が終わっていない方」と怒鳴りながら山小屋のアルバイターが小屋の周りを廻っている。誰か戦争でもしにきたのだろうか?まもなく第二回戦が始まり、第四回戦まであるそうだ。夕食のことだ。ここは我々には命の洗濯場でも、山小屋の社員たちにはてんやわんやの戦場なのだろう。
 小屋入りの時の対応から、へそを曲げていた宿泊者にとって追い討ちをかける言葉だった。ビジネスマン現役のわれわれ四人はつい「俺たちは戦争にきたんじゃねえ!」と話題は顧客満足(CS)になった。私は先入観が嫌い、自分で確かめる体験派なのでいちいち事前に予約したり、調べたりしないのだが一人が事前に調べていた。山小屋Mはインターネット上では大層評判が悪いようだ。裏銀座の要衝にあり、きっとお客に困らないのだろう。経営者の日頃の意識がアルバイターの言葉、受付の態度に出てくる。
 いまでもチラシの広告に”囮商品”で”お客を釣る”といったり、平気でターゲットとかいっている会社がある。社内だからお客様には聞こえないと思っているのだろうが、裏の言葉は社員の態度、物腰しっかり表ににじみ出てくるものだ。社内の会話から徹底して変えないと本当の顧客満足(CS)はできないのではないだろうか。当然のように語られる「コストダウン」「ムリ、ムラ、ムダの排除」も産業社会の製造業の標語であって、お客様の前で声高に語るものではない。「お客様第一主義」の標語とこれらの言葉が並んでいたら社員も、お客様も経営者の本音はどこにあるのか迷うに違いない。お客様第一にやれば、コストも嵩み、ムリ、ムラ、ムダもでる。そのコストをダウンし、ムリ、ムラ、ムダを排除する。順序を示さなければわからない。顧客満足(CS)経営とは「お客様第一、会社第二主義」はっきり重みをつけて宣言する経営ではないだろうか。山小屋のサービスの悪さから議論は進んだ。悪いサービスに出会うのも、「顧客満足とは何か?」を考えるきっかけになり感性を磨くきっかけになり悪くは無い。
 

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