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2004/09/05

棲み分け進化論で考える

進化論といえばダーウィン、ダーウインの競争進化論が正統派進化論として広く信じられています。生物は個体が突然変異によって獲得した生存に有利な身体的特徴を生かして、弱者を淘汰して子孫を増やしていく。よく例に挙げられますが「ライオンに追われたシマウマはより早いものが子孫を残し遅いものは淘汰される」進化=進歩がダーウィンの進化論です。結果としてライオンに襲われるシマウマをイメージして弱肉強食を当然視するようになります。
 このダーウィンの進化論に敢然と異を唱えたのが今西錦司です。今西錦司は著書「進化とはなにか」の中で、生物全体社会その部分を構成する種社会、その部分を構成する個体それぞれ相互に影響しあって安定的に生物全体社会を維持している、その前提に棲み分け共生があると述べています。さらに同著の中で「いつごろからか人類は、戦争による相手方の殺傷を是認するようになり、いまではゼノサイドといった恐ろしい言葉まで使われるようになってきたけれども、それだからといって人類は、大昔から平気で大量殺戮をやっていたように考えたり、動物の社会ではいつでも弱肉強食が横行しているかのように考えたりするのは、どちらもものの見方をまちがえている。

闘争が絶対にないというのではないが、できるかぎり無駄な闘争やそれにともなう殺傷をさけて、種族維持の万全をはかるというのが、私の見るかぎりどうやら自然の変わらぬプリンシプルであるらしい」と述べて、「生存闘争が進化の前提だ」とダーウインの進化論を振りかざして、闘争、戦争を肯定していく方向に警鐘を鳴らしています。
 翻って現在の日本、1990年以降の風潮だと思いますが、「勝ち組、負け組」論を声高に語り始めています。「一億総中流」以前はもうすこし遠慮がちだったように思います。はっきり勝負が見えてしまったからでしょうか。ところが不思議なのは仮に「勝ち組負け組」という区分があるとすれば、とうに負け組に入っていると思われるひとびとの多くも「ビジネスは闘争」「人生は勝負」といって憚らないのです。まだ本当の自分のポジションを認めたくないのでしょう。この風潮は「弱いものはより弱いものを」という連鎖を生み、さらに貧富の差を拡大していきます。仮に「勝ち組負け組」いう区分があるとすれば、負け組に区分されるであろうひとびとが、子孫を勝ち組に入れようと勉強勉強と尻を叩き、ニンジンをぶら下げ一流高校、一流大学、一流会社と一流を目指して追い込んでいきます。これが不登校児やニートを生む土壌になっているのではないでしょうか。
今朝のニュースでも北オセアチアのテロで330人(しかもそのうちの150人は子供)の殺戮が報じられています。テロを肯定するつもりはありませんが、ロシアとチェチェン、アメリカとイラク、弱者は絶望的なテロに走り、その被害は一般のさらに弱い人々が蒙ることになります。学問的にダーウインが正しい、今西錦司が正しいということより、生物に本来備わっている棲み分け共生という性質に目を向け、日々の生き方を変える努力をする以外に未来に我々子孫の生きる場所はないのではないでしょうか。われわれ老中世代には今西錦司フアンも沢山おられます。フアンの方は今一度1941年に刊行された「生物の世界」、1974年の「進化とはなにか」今西錦司の世界を隣人に語ってください。まだ触れたこののない次代を担う若いリーダーの方は、是非一度「今西錦司の『棲み分け』の世界」をのぞいて、新しい”思考の篩い”のひとつ加えてただきたいと願っています。次回は「経営戦略に『棲み分け』を!」経営と棲み分けについて触れる予定です。

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