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2004/11/26

「努力が報われる社会」の嘘

このところしきりにT大臣や著名な経済学者がテレビ、新聞などで「努力が報われる社会」ということを喧伝しています。しかしよくよく耳を澄まして聴き、眼を凝らして観ると微かに『カネ」の二文字が浮んできます。実は「努力が『カネ』で報われる社会」と言っているのです。この世の中「努力すれば必ず報われる」といいきれるほど単純ではないことは、庶民はみんなわかっています。だから世のリーダーであるはずの政治家や大企業の経営者、テレビにしばしば登場する学者たち、テレビに登場して語れるほどすでに努力が報われてしまった幸運な方々がさらに「努力が『カネ』で報われる社会に」といわれると、一般庶民は「ここまで努力して報われないのにまだ努力が足りないといわれるのか」としらけてしまいます。さらに親や周囲の人達から努力する能力をもらい損なった者はどうしたらいiのでしょうか.。一億総中流が崩壊して二極分化(中流の没落)が鮮明になりつつある今日この流れを少しでも遅くするために、幸いにも努力する能力や向上心を育むことができた世のリーダー層に席を持つ方々は、是非「カネ」以外にももっと大事なものがあることを喧伝し、啓蒙することを切にお願いしたいものです。

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コメント

生きとし、生けるものはすべて環境の生物という視点でみるとはっきりしますね。
1.とりあえずひとに限って考えてみましょう。能力は生物的に遺伝子を通して貰ったもの(自分では選択できない)と以後の環境を通して身についていくものがあると思います。特に後者は親の背中を通して身についていくものが多いのではないでしょうか。努力するのも、向上心も癖(身につく)に出来るかどうかですから、親を中心とした家庭などの環境から貰ったものです。残念ながら幼い頃にそういう環境に恵まれないひとも多いのです。恵まれた者は恵まれたものを大事にし、恵まれない者のために生かす義務があると思うのです。
2.向上心とか努力すると能力とは永遠に継続する能力で、見返りを求めない能力”結果は神のみぞ知る”です。「こんなに努力したのに」と途中で投げ出すのは努力する能力が中途半端なのですね。かならず報われると”死ぬまで”信じきることが大事ではないでしょうか。それが青春の詩「青春とは・・・・」のテーマだと思っています。
3.そうですね。昔は貧乏な親の下に生まれてしまっても勉強して東大卒業すればなんとかなりました。今は東大入学するにも、塾の費用など親が金持ちでなければ入学できなくなっています。いまのように世の中のリーダー層の人たちが「カネ」「カネ」といっているとこの傾向がさらに加速されてしまいます。ニートの問題、最近頻発する子供が親を殺す事件も根っこに共通の問題があって「こっちが駄目でもあっち」とう価値観の多様化、「カネ」以外の物差しを持つことが唯一の救いになるはずだと思っています。この件については、近いうちに「機会の平等・結果の不平等の嘘」について書きます。

投稿: 懐中電灯 | 2004/11/28 10:01

幾つか疑問があります。
1、努力する能力、向上心をもらうとはどうゆうことなのでしょうか?
2、ここまで努力をしてまだ報われないのか?というところなのですが私は、やはり努力がたりないのでわ?とおもうのですが・・・
3、カネ以外にも大切なものとおしゃいますが努力する能力、向上心もカネが無くては育ちにくいように思いますがどうでしょうか?

投稿: 山本権兵衛に憧れて | 2004/11/27 10:29

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