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2004/11/01

老中のための楢山節考

政府は年金の支払いを減らしたいために、定年延長を唱えています。当の中高年の多くも自分のことを考えると、確かに定年を延長してもらったほうがいいように思えます。しかしもし定年を65歳にしたらどうなるのでしょうか?団塊の世代もあと十年近く企業に残留することになります。アメリカ型になりつつあるとはいえまだまだ儒教精神の残る日本の職場で、かっての上司を部下にし、部下を上司にするお互いの気まずい空気の中で仕事をして、仕事が円滑に回るとは思えないのです。当事者同士では表立って発言できないタブーですが現実にはお互いに気まずい空気の中に日々を過ごすことになるのではないでしょうか。建前では割り切っても本音のところで割り切れないのではないでしょうか。老中(老いの中を生きる)にとって大事な人生のわずかな残りを気まずい空気の中で過ごすのは、企業にとっても本人にとってももったいないと思うのですがいかがでしょうか?
 さらに今、社会問題は若年層の失業率の高さです。「近頃の若い者は・・・!」といわずに若い世代に譲るとう発想をしてはいかがでしょう。拙著の中でも紹介したことがあるのですが、ピラミッドの壁の落書きを考古学者が必死に解読したら「近頃の若い者は!」と書いてあったそうですから、古来から綿々と続く年寄り言葉のようです。60歳以後も元気で意欲のあるひとは、新しい環境で過去の経験を生かして新しい仕事をしたほうが精神衛生上もいのではないでしょうか。そのためには第三コーナーあたりから「おカネ」以外のモノ、ゴトを大事にする価値観を身に着けておく必要があり、この価値観こそが第四コーナーを走り切るノウハウになると思うのです。

深沢七郎の短編小説「楢山節考」は、1956年発表された折、正宗白鳥が「人生永遠の書の一つ」といって絶賛した作品です。1983年には今村昌平監督が映画化しカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しました。テーマは日本の民間伝承に残る「棄老伝説」です。貧しくて食料不足が常態化している寒村では「楢山送り」といって、年寄りはみな70歳になると息子に背負われて楢山へ送くられ、生きたまま棄てられる風習があったのです。しかし「楢山節考」に描かれた「棄老」は「若い者」が年寄りを棄てるという話ではなく、「老の側」が積極的に退いていく物語として描かれています。このほうがより人間的な振る舞いではないでしょうか。主人公のおりん婆さん(坂本スミ子)は、70歳の正月を控えているのに、歯は虫歯もなく生え揃っていて、恥ずかしい思いをしています。歯が丈夫だと食欲もあり乏しい食料を食べてしまうと思われるから恥ずかしいのです。可愛がって育てた孫からも陰で「鬼婆」といわれる始末です。とうとう自ら健康な歯を石で叩き折って、歯が折れたことを確認してうれしのです。「楢山入り」前日村人に振舞うお酒もすでに用意し、三年前から山に入って座る筵も準備を済ませ、心の準備はすでに整っています。ところが息子の辰平(緒方拳)は心優しくて、ぐずぐずと楢山行きを承知しないのです。おりんはそんな息子のやさしさがうれしく、さらに楢山行きを急がねばならないと思いつつ、男ヤモメの息子に後妻を探すことに心を砕いています。隣村の後家さんを後妻に迎え、いよいよおりんは辰平に背負われ楢山へいきますが、おりんは息子の帰路の目印に道々木の枝を折って目印を残していきます。筵に座った母親に弁当を渡すと、持って返れと受け取りません。辰平が家に戻る頃、雪がちらちら舞ってきて、山を仰ぐと夕暮れの楢山は初冠雪に覆われてきます。「おばやんはまあ、運がいいや、ふんとに雪が降ったなァ」と呟きます。楢山節は「塩屋のおとりさん運がよい、山へいく日にゃ雪が降る」と唄います。雪が降ればすぐ死ぬことができるからです。おりんさんの幼馴染、隣家の又やん(辰巳柳太郎)も同じ日に楢山入りしますが、村人への振舞い酒もなく、袋に入れられ崖から蹴落とされてしまいます。お互いに義務を果たしあう関係と、権利を主張しあう関係さてさてどちらがいいやら。楢山節を村人が唄うのは老いて楢山入りをする心構え、悟りのための祈り唄だったのでしょう。
 小説が世に出た1956年は戦後11年経って日本経済はほぼ復興がなり、経済白書のタイトルに「もはや戦後ではない」と高らかに歌い上げ日本人が自信を取り戻した年でもあります。その後の高度成長でさらにジャパンアズナンバーワンとおだてられるほどの経済発展を遂げ、個々人も想像もできないほど豊かになった今日、老後といって楢山入りするわけではないのだから、おりんと辰平のような「老、若」相互の思いやりのほうが日本列島の居心地もいいのではないかと思うのですがいかがでしょうか?テーマとしては暗いと思われがちですが決してそうではありません。生きることだけで精一杯な時代に、自らの死が次の生に連鎖している喜び、日本人が年々歳々巡り来る春夏秋冬の中に生と死を見つめ、心に刻んできたことを思い出させてくれる未来を明るく捉えた作品です。それにしても太平洋戦争の敗戦から立ち直るのにたった11年、第二の敗戦プラザ合意から20年、立ち直るどころか、まだ新しい生き方すら見えてきていないようです。豊かさとはなんなのか、見つめ直すことが新しい生き方を見出す近道かもしれませんね。
 

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コメント

コメントありがとうございます
<よしピーさん>
 何で「豊かさ」を感じるかが大切ですね。日本は成熟してしまったので、貨幣を物差しとするものだけで、「豊かさ」感じるのではなく、貨幣以外の物差しを持つ必要がありますね。
 年を取るにしたがって、目に見えないものの価値を重視することが大事だと思っています。
 目に見えないものは、場所を取りませんし、消えていきますから邪魔になりませんね。
 今の日本は、エリートの方々、そして我々老中が価値観を変えなければならないと思っています。
 先日友人と水割りを飲みながら、たとえ青臭い建前論に聞こえても、残りを青臭く語って生きようと語ったところです。青臭く語り合う仲間が減っていくのが残念とも。
 

投稿: 懐中電灯→よしピーさんへ | 2008/05/25 12:55

どこまで豊かになれば、満たされるのだろう。

20日、ある先生から、「世代をつなぐ鎖」という言霊を
聞いた。

人生の第4コーナーとあいまって、死生観を味わうことが
できた。

師とは、有難い。

投稿: よしピー | 2008/05/21 22:51

いつの時代も、子は親の背中を見て育つのですから、若い世代に問題があるとすれば、親の世代に責任がありますね。いま問題になっているプロ野球の一場選手の問題に凝縮されていると思います。僕の大学の後輩なのでなおさら不憫でなりません。受け取ったほうも悪いといいますが、それで親世代の責任を軽くしてしまうことこそ問題で、世の中は本音と建前があると称しておカネに対する価値観を親世代がゆがめて、自分のビジネスに都合よいように処理してしまい、若者の未来を汚してしまいます。企業の不正も子供たちがみんな見ていて、それが正しいと思ってしまいますね。強いものがやっていることを正しいと思ってしまう自信のない大人も多いので、それも若者をミスリードしてしまう原因です儒教とりわけ朱子学は体制維持のため権力にとって都合のよい学問ですから、親世代に都合のよい洗脳ともいえますね。

投稿: 懐中電灯 | 2004/11/06 00:00

「今の若い者は!」という前に、大人たちは、それだけのことをやっていたのかというと、そうではないことに気が付きます。自分の義務を黙々と行っている人は、「今のの若い者は・・・」なんていわないような気がするのです。
私も団塊の世代ですから、会社の定年が延びるのは良いのですが、年功序列の中では若い人が窒息すると思います。サラリーマンは、1年年上に対しては、飲んでいる時も「部長のおっしゃる通りですね」と敬語を使いながら、隣にいる1年年下の男に対しては「な!○○そうだよな!」とぞんざいな言葉を使います。日本語の美しい敬語というのは、本当は「権力者に対して、美しい日本語」ということを私は小・中学生時代から気が付いてしまいました。儒教の孔子さんが悪いのではありませんが封建時代に便利だっだ用語をそのまま使っていると、憲法に違反して50年もするとアジア全体を戦火に巻き込んだ反省もせずにイラクに派兵する、政治をきちっと正すこともできない「老人や大人達」に対して、「敬語を使いなさい」というおかしなことになるのでしょう。
 まあ、そんな大きなことではなくても、例えば、現在の流動化している労働力の中で、途中入社した人は、大変なのです。
入社した最初のころは、年下に対しても「○○さん、これどうなっているんですか?」と、敬語ではないにせよ、丁寧語で聞きます。ところが、少し業務に慣れてくると、「○○ちゃん、これどうなっているの?」と対等な口調に変えざるを得ません。さらに、自分の地位が安定して、上司となると「○○君、これどうなっているんだね!」と、言葉を微妙に変えるのです。
私の会社は、今そうしたリストラされた会社から多くの人が、入ってきているので、その微妙な変化の巧妙さに日本人ってすごいな、と感動しています。同時、封建時代の人間の内容より身分で差別して、「着る物、住む所、言葉」まで変えていた習慣の「年齢に対する言葉」だけを残している文部省の教育に感心します。もちろん殿様は居なくなりましたが、金を持った資本家が、それを欲しているわけですが。
今の若い者は、困り者かもしてませんが。それを育てている「老人や大人」達は、本当に大丈夫なのでしょうか。話題の本題から外れましたが、世界一の大国の大統領が、いよいよ「猿顔」に似てきているのを見ながら、ヒットラーを生んだ時代を笑っている分けには行かないな、とぼんやり思うのです。

投稿: 大形 草太郎 | 2004/11/05 12:39

定年延長をせず、新しい環境で新しい仕事をという考えに共感します。定年延長が世代交代の妨げになるのはよくないですね。

私のブログへのリンクありがとうございます。素晴らしい紹介文に感激です!!

投稿: Key | 2004/11/01 10:27

生き方というのは難しいですね。人は何があれば満たされるのか?10代、20代、30代それぞれあると思いますが、核としては平安な日々が送りたいということがあると思います。
私は一番にくるのは精神の充実だと思います。若い間(未熟な間)はしてもらうことでみたされる、年を重ねる(訓練されてくる)としてあげる奉仕することに喜びを見つけるようになるとおもうんです。
一日も早く奉仕することに喜びを見つけれるようになりたいですね。

投稿: 山本権兵衛に憧れて | 2004/11/01 08:01

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