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2004/12/26

こぶしの名の由来?(2)

20041002我が家の近くに足尾鉱毒事件(日本の公害の原点)で水没させたられた谷中村の遺跡があり、時折サイクリングします。ここにもこぶしの実がありました。阿蘇より一ヶ月遅いこぶしの実です。はじけると中からつやのある赤い実が飛び出してきます。枯れていく秋の中にしっかり次代へ繋ぐ息吹があります。一年で循環する春夏秋冬の中に日本人は「生と死と再生」を見ているのでしょうか。自分たちの再生の証である若者たちのためにも、国債残高を減らす努力がわれわれ老中に課せられているように思えます。
 ネイティブアメリカンのナバホ族の壁画に「母なる大地は祖先より譲り受けたものではない、子孫より借り受けたものである」と書いてあると聞いたことがあります。現代の日本人よりよほどオシャレでカッコイイ人々ですね。一度この眼で確認をしてみたい素敵な言葉です。

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2004/12/15

こぶしの名の由来?

20040914この写真今年撮ったものの中ではとくに気に入ったものです。こぶしは早春の青々とした空を突き上げるように枝を伸ばし、その先に真っ白い花をつけます。早春のシンボルです。今年阿蘇高原の中腹にあるT社の研修所の庭を、早朝に散歩していると変わった実が一房ブドウのように枝に生っていました。はじめてみるものですし、色の渋さに惹かれてシャッターを切りました。この実はこぶしの木に生っていました。そうこぶしの実なのです。はじめてのはずはない、どこかで見ているはずですが若い頃は目に入っていなかったのです。若い頃は早春の花、初夏の緑夏山の峰、秋はせいぜい紅葉の美しさと派手な勢いのいいものにカメラがむいていました。老中になって山歩きを再開し、しばらくして気づいたのがこのことです。足元の花、枯れた木々、苔の緑に視線がとまり気がついたらシャッターを切っています。デジカメになって便利になったのは、マクロから広角,望遠とレンズを交換しなくても写真が撮れます。重量も1/4気軽に歩きながらシャターを切ることができるようになりました。今年はデジタル一眼レフが各社から出でてきたので、しばしば物欲しげにカメラ店の店頭を眺めていますが、重さを考えると、開きかけた財布の紐を閉じてしまいます。山歩きにカメラの重量、レンズ交換の手間が惜しくなるのも老中なるが所以の所作かもしれません。しかしおのずからこぶしの実に視線が止まり、チングルマの朝露に目が留まるのも老中を生きる楽しみでもあります。

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2004/12/12

「機会の平等と結果の不平等」について

最近とみに不平等論が盛んです。努力したひとが努力に相応しく報われないのは悪平等だ「努力が『カネ』で報われる社会」にならなければ経済は停滞する、能力あるひとが頑張って成果に見合った報酬を得ることができれば、能力あるひとがもっと頑張るから社会が発展する、日本も格差を認めようという声が大きくなっています。とても耳障りがよくて反論の余地もなさそうに思えますが、背景にアメリカ型の競争社会を是とする空気を醸成してるひとびとがいます。竹中大臣も機会が平等なら結果の不平等はいいのではないかといいます。年功序列、終身雇用は悪平等といって崩壊させてしまいました。
 しかし日本経済が戦後の荒廃から立ち直りここまで発展してきたのは、年功序列、終身雇用制の仕組みをつくり、所得税の累進課税を強化して「結果の平等」を指向してきたからです。人それぞれ得手、不得手があり、能力に違い(差ではなく)がありますから、機会の不平等を減らす努力は必要ですが、不平等はなくなりません。「機会の平等、結果の平等」はユートピアであって現実ではありません。そこで社会の安定のために、機会の不平等の欠点を補うために「結果の平等」を求めていく必要があります。企業内でしかるべき地位を得られなかったひとも給与の格差が少なかったゆえに納得しあきらめることもできました。しかし結果に大きな格差がでると、「機会の不平等」を問題にしたくなります。企業の人間関係も不安定になります。その影響が個々人の家庭に持ち込まれ、家庭も不安定になるという悪循環が止まらなくなってしまいます。
 この「結果の不平等」が貧富の差を広げていきます。日本もすでにこの格差が拡大する流れは止まりそうもありません。教育投資(僕の嫌いなことばですが)という言葉もあるくらい教育にもお金がかかる時代になり、貧しい家庭で育った子供はより貧しくなるという地獄の連鎖がすでにスタートしています。なんとかそのスピードを少しでも遅くしたいものです。

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