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2004/12/12

「機会の平等と結果の不平等」について

最近とみに不平等論が盛んです。努力したひとが努力に相応しく報われないのは悪平等だ「努力が『カネ』で報われる社会」にならなければ経済は停滞する、能力あるひとが頑張って成果に見合った報酬を得ることができれば、能力あるひとがもっと頑張るから社会が発展する、日本も格差を認めようという声が大きくなっています。とても耳障りがよくて反論の余地もなさそうに思えますが、背景にアメリカ型の競争社会を是とする空気を醸成してるひとびとがいます。竹中大臣も機会が平等なら結果の不平等はいいのではないかといいます。年功序列、終身雇用は悪平等といって崩壊させてしまいました。
 しかし日本経済が戦後の荒廃から立ち直りここまで発展してきたのは、年功序列、終身雇用制の仕組みをつくり、所得税の累進課税を強化して「結果の平等」を指向してきたからです。人それぞれ得手、不得手があり、能力に違い(差ではなく)がありますから、機会の不平等を減らす努力は必要ですが、不平等はなくなりません。「機会の平等、結果の平等」はユートピアであって現実ではありません。そこで社会の安定のために、機会の不平等の欠点を補うために「結果の平等」を求めていく必要があります。企業内でしかるべき地位を得られなかったひとも給与の格差が少なかったゆえに納得しあきらめることもできました。しかし結果に大きな格差がでると、「機会の不平等」を問題にしたくなります。企業の人間関係も不安定になります。その影響が個々人の家庭に持ち込まれ、家庭も不安定になるという悪循環が止まらなくなってしまいます。
 この「結果の不平等」が貧富の差を広げていきます。日本もすでにこの格差が拡大する流れは止まりそうもありません。教育投資(僕の嫌いなことばですが)という言葉もあるくらい教育にもお金がかかる時代になり、貧しい家庭で育った子供はより貧しくなるという地獄の連鎖がすでにスタートしています。なんとかそのスピードを少しでも遅くしたいものです。

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コメント

能力の違いで悩みを持つとしたら、自分が持っていない能力で競おうとするからではないでしょうか。他人と比べないで、自分に出来ることはなにかを知ることだと思います。「活かす」という意味も「何のために活かすのか」を問わなければ答えはでないのでしょうが、「自立して生きる」と定義すると、自分として「なにをしたらひとの役に立つか」を考えて行動することでしょう。悲しいことですが、貨幣経済の下では「ひとの役に立つこと」をしない限り他人からお金はいただけないし、狩猟採集社会と違ってお金がなければ生きていけないのです。狩猟採集社会では富の蓄積ができなかったので共同社会を維持しやすかったのです。

投稿: 懐中電灯 | 2005/01/23 15:03

能力の違い(差ではなく)と書かれてありましたが、その能力の違いで多くの人が悩みを持っているように感じますが、先生はその能力の違いをどのようにしたら活かせると思われますか?

投稿: 山本権兵衛に憧れて | 2004/12/15 12:27

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