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2005/01/30

「勝ち組と負け組」と「強者と弱者」

 あまり好きな言葉ではないのですが、「勝ち組と負け組」という言葉が流行っています。なんでも簡単に区分けをします。これに類する言葉に「強者と弱者」があります。この二つの対の言葉があいまなまま使われています。負け組が弱者で勝ち組が強者という解釈です。これは結果から、負けたから弱い、勝ったから強いと決めています。「勝てば官軍、負ければ賊軍」というわけです。僕は「勝ち組と負け組」と「強者と弱者」とは次元の違う言葉だと思います。勝ち組負け組は強者の世界の話で、強者が闘争に負けた姿が敗者です。弱者は自分の弱さを知っていますから、自ら積極的に闘争に参加しません。したがって敗者にはなりません。弱者が敗者になる場合は強者同士の闘争のとばっちりを受けたときです。イラクでも一般庶民にはアメリカ軍とテログループのとばっちりを受けています。アフリカ、アジアの難民も同じです。現在の日本でも大手流通業の店舗拡大闘争のとばっちりを受けて、町の商店街はいずこも瀕死の状態です。その闘争をリードした一方の雄ダイエーは長い闘争の結果,淘汰の時を迎えています。当然闘争の結末で淘汰されないといけないのですが、再生機構という名の政府は新たに100店舗作る再生案を作っています。またまたゾンビのごとく闘争の世界に蘇ってくるのです。それでなくても店舗面積過剰の時代に、勝ち組のイトーヨーカドーやイオンにとっても迷惑な話です。本来救うわなければいけないのはとばっちりを受ける一般社員、中小の納入業者です。セーフティネットは弱者が強者の闘争のとばっちりを受けて敗者になりそうなときに救うべきものです。ダイエーが再生したら、とばっちりを受けた全国の中小商店の経営者は浮かばれません。それなら俺にも権利をよこせと、化けて出たいと思っているに違いありません。
 「弱肉強食」が自然界の掟だから「人間社会も弱肉強食」といってはばからない人が大勢います。僕は子供のころから弱虫だったので「弱肉強食」という言葉が大嫌いです。食べられてしまう側ですから当然ですね。しかし自然界が弱肉強食だというのは、強者が自分に都合のいいように曲解しているだけではないでしょうか。鰯を食べる鯨、シマウマを食べるライオンという食物連鎖は弱者と強者の関係ではなくて大自然の摂理です。したがって必要最低限の量しか食べません。人間のように残したり、貯蔵(富の蓄積の始まり)しません。捕食者が異常繁殖したり沢山食べて獲物が減れば今度は食物が減って捕食者が減ることで調節されます。強者と弱者の関係は同じ鯨の内、ライオンの内の関係です。だから争っても殺しあうまでには至りません。勝ち組負け組ではないのです。人間以外の生物は原則としてカニバリズムもありません。人間界だけが「弱肉強食」といって生存権以上に奪い合い殺しあうのです。本来生物は個々の個体としてはみな弱者です。だから鰯は群れて全体として大きく見せながら回遊しています。もし捕食者に襲われたら、どの個体が生き残っても大丈夫、鰯としては生き残っていくことができます。敗者とは自らの力では再生できないほど痛めつけられてしまった状態になったものです。
 ”弱肉強食”勝負”ナンバーワン”ダーウィンの進化論”努力が報われる社会”直接税より間接税”自己責任”といったスローガンはすべて強者のものです。”共生”オンリーワン”棲み分け”分散”致命傷を避ける”強者と一定の距離を置く”は「弱者の生きる知恵」といっていいのではないでしょうか。今年の大河ドラマの”義経”では、我々に古い摂関政治と戦う新しい平清盛像を提示してくれそうですが、勝ち組も一時のこと、義経、頼朝そして北条と、すべては歴史の中で敗者として消えていきます。弱者はその「諸行無常」「盛者必滅」を念じ、黒澤明の七人の侍を思い出しながら生きるのみなのでしょう。七人の侍どこかにいませんかね。

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2005/01/28

金子みすゞの詩

八重洲のビルの一角で友人との待ち合わせをしました。時間より少し早くついたのであたりを見回していました。するとビルの一角に山口県の物産を紹介しているコーナーがあり、そこに金子みすゞの詩がありました。そういえばテレビの番組で見た記憶があります。その時は詩集を買って読むには至らなかったのですが、悲しい切ない思いをしながら見た記憶が蘇ってきます。テレビを見ていたときの自分、いまこのビルの一角に立ってこの詩を読んでいる自分、やっぱり自分が変わっているんです。「わたしと小鳥と鈴と」最後のフレーズが効いているように思います。詩の背景にしっかり自立した姿を感じます。「星とタンポポ」の詩にも目に見えないもに向けられた作者の視線があります。弱者のしなやかさというのでしょうか。
<わたしと小鳥と鈴と>
わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが 飛べる小鳥はわたしのように 
 地べたを早くは走れない
わたしが体をゆすっても  きれいな音は出ないけれど あの鳴る鈴はわたしのように
 たくさんな歌は知らないよ
鈴と小鳥と それからわたし みんな違って みんないい
<星とタンポポ>
青いお空のそこ深く 海の小石のそのように 夜がくるまで沈んでる 
 昼のお星は目に見えぬ  見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ
散ってすがれたタンポポの  川原のすきにだぁまって 春のくるまで隠れてる 
 強いその根は目に見えぬ  見えぬけれどもあるんだよ  見えぬものでもあるんだよ
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/misuzu0,.htm


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2005/01/24

希望格差社会の傾向と対策

パラサイ・トシングルという言葉をつくり流行させ、日常の言葉として定着させた著者がまたまた「希望格差」という言葉で、日本社会のおかれた状況を解き明かしてくれました。著者は日本社会はいま90年代バブルの精算を通して勝ち組、負け組という言葉に代表される二極化、リスクの普遍化が進行していて、将来に希望が持てる勝ち組と格差に絶望した負け組に分裂する過程にあると指摘しています。その分裂が社会をさらに不安定化していく、そんな日本の現状を希望格差社会と命名しました。昨年出版された「人口減少経済下の新しい公式」(著者松谷明彦)「封印された不平等」(著者橘木俊詔)との三冊を読むと21世紀の日本人が置かれている状況(足元)を認識することができます。
 まずおかれた状況を認識した上で、はたしてそこから抜け出すにはどうしたらいいのだろうか。それにはあらためて「希望」なるものを定義してみる必要がありそうです。そこには別な希望があるかもしれません。戦後の日本は格差を縮めることで成長してきたのではないでしょうか。都市と農村の格差、学歴格差、男女格差、地方と中央様々な様々な局面で格差を縮めることが経済成長を実現する種でした。私が小中学生のころは、お米屋、お酒屋さんが御用聞きに来る家はお金持ちと決まっていました。だからビンビールビンででガチャガチャ音がすることが大事でした。ミシンもピアノも大きな音がするから売れたのです。我々老中には耳元に「いつかピアノが持てたなら・・・・・・」金八先生の歌声「隣の車が小さく見えます」「大きいことはいいことだ」メーカーの掛け声が懐かしく聞こえてきます。高校生のころ夏休みのアルバイトで自転車の後ろにリヤカーをつけ体重の三倍、30貫(約120キロ)の氷を積んで東京の下町の豊かな家を一軒一軒回りました。電気冷蔵庫のなかった時代お金持ちの家ではその氷で冷蔵庫を冷やしたのです。目に見えるモノはすべてが憧れであり、スティタスシンボルだったのです。その目に見えるモノの格差は高度経済成長によって見事に消滅したのです。というより格差を解消することで高度経済成長を成し遂げたというべきでしょう。学歴格差も同じです。終身雇用制の下で高卒と大卒、大学と名がつけば有名無名とりあえず大きな差もなく、能力によって昇進に差はあっても、給与では目に見える差のない社会を実現したのです。行き着く先は課付課長、部付部長と屋上屋を重ねる組織を作って見た目の昇進さえ、見えなくしてしまいました。”もっともっと”と死ぬことさえ忘れて永遠の希望(?)に満ち溢れていました。一瞬格差が消滅したかに見えたその沸騰点がバブルだったのではないでしょうか。ブランドモノを買い漁り、少々多額でも背伸びをして住宅ローンを組めば誰でも持ち家を持つこともできました。目に見えるモノの格差という希望がすべて叶ったと思った瞬間でした。気がついたら二世代ローンで子供の未来まで巻き込んでいたのです。 ところがバブルの精算がはじまり15年、目の前で不沈戦艦だったはずの銀行、大企業がばたばたと倒れ、今は”もっともっと”悪くなるかもしれない、”もっともっと”失うかもしれないという不安に襲われて恐れ慄いています。
 これではまるで蜘蛛の糸を登りつめた犍陀多のようです。これまで希望という蜘蛛の糸を登ってきたとすれば、勝ち組は犍陀多、負け組は後に続いている罪人なのでしょう。糸が切れたら皆で仲良く元の地獄に落ちるだけです。糸が切れるか切れないか、犍陀多の心がけ次第かもしれません。逃げ切り世代と言われる我々老中も、やはり犍陀多のひとりとして後に続く次世代との格差を縮める努力をしなければいけません。糸が切れないうちに?それとも著者の論じるようにすでに犍陀多の下で切れてしまったのでしょうか。芥川龍之介は蜘蛛の糸を子供の童話として書いたのですが、これは芥川龍之介の創作ではなく、アメリカの宗教学者ポール・ケーラスの「カルマ」が下敷きになっているそうです。芥川龍之介は書かなかったのですが、その「カルマ」の最後に、地獄は「自分さえよければという利己心」であり、糸の先にあるであろう蓮の池は「いきとしいけるものの幸せを願う心」だと書いてあるそうです。著者が希望格差と喝破した日本は所詮地獄の中の有り様にすぎないのでしょう。アルボムッレ・スマナサーラ(スリランカ仏教会長老)と養老孟司(科学として解剖学を究めつつ仏教哲学に到達した)の対談「希望のしくみ」(宝島社)の中に一つの答えがありました。「希望という名の渇愛が不幸の因」とあります。

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2005/01/23

素直に語ろう

老中を生きるようになって、夫婦で観光旅行にでかけるようになりました。あるときツアーで同席した老中の男性(Aさん)から「ご夫婦でいいですね」と声をかけられました。「私は65歳になり完全リタイアしたので、夫婦で海外旅行をしようと思って10年のパスポートを取ったのですが、家内は一度も使うことなく急逝してしまいました。」その後のAさんの言葉がつまらないのです。「お陰でパスポートを取った費用が無駄になってしまいました」Aさんのご本人の心の中はけっしてお金が無駄になったことを悲しんでいるのではなく、人生の長い旅を苦楽を共にしてきた奥さんと老中を楽しもうと思ったのにそれができない、この世の無常を想いつつ、心の中で奥さんを偲びつつ旅をしているように見受けました。それなのについ照れ隠しに「お金がもったいない」と表現してしまうのです。率直に「だからいまでも家内の形見を持って旅をしている」とか「おかげ二人分楽しませてもらっている」と素直に語ったほうがいいのではないでしょうか。
 今の日本人はとかくお金の無駄とか経済に置き換え語らないと、建前、きれいごと、青臭いと思われがちです。思われがちというより思われると、みんなで思い込んでいるのではないでしょうか。相手がどう思うかではなく、いま自分がどう思っているのか、率直に表現する言葉を持って表現することが必要なのではないでしょうか。お金の話になるとこれまた反対に率直に語れないのです。突然「カネじゃないよ心だよ!」を持ち出します。「素直になろうよ」といいたいのです。相田みつをの日めくりに「お金が人生のすべてではないが、あると便利、無いと不便です。便利なほうがいいなあ」とあります。何事も率直に本音で語るこの境地に達したいと自戒する日々です。

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2005/01/20

農村部を豊かに出来るか?

昨年暮れにペルーを駆け足で観光してきました。日本の3.5倍の国土ですが、長い海岸線に沿ってほとんどは砂漠、緑のあるところはアンデス山脈から流れ出る川に沿ったオアシスと標高3,000~4,000メートルのアンデスの高地です。農耕地はほぼ日本の面積と同じ位でジャガイモ、とうもろこしが主な農産物です。貧しい農村部から都市へ流入する農民は町を外れた国有地の高地に板や布で囲った掘っ立て小屋を建てて棲み始めます。少しお金が出来ると日干し煉瓦で壁をつくりいつの間にか定住する家ができ集落になっていくようです。国有地といっても砂漠でなにも育ちませんから政府も取り締まりもあまりしないのでしょうか。その人々を目当てにタンクローリーで毎日水を売りにくるといいますから、常に格差の中に商売ありです。それにしても極貧の農業国です。カンボジャなど東南アジアでも農村部と都市部の格差がとても大きいのです。絶好調の中国経済でもバブルっているとか、貧富の格差が暴動を生むからまもなく破裂するといった議論がなされています。それなのに日本のリーダーたちは、急速に格差が拡大する方向に舵を切ってしまいました。日本のこれまでの成功は農村部と都市部の格差などあらゆる格差を縮める努力をしてきたことにあると思います。政府が積極的に保護をし、税金で補助金をつけ、お米を高く買って国民に提供してきました。そのおかげで農村部も格差が縮小してテレビ、冷蔵庫、自動車と工業製品のお客様にしてきたのです。
 一般論にすると、貨幣経済の下では時間の経過とともに腐ってしまうものを持っているものが不利なのです。漁民、農民は収穫物は売らずに抱えていれば腐ってしまいますから手放さずに手元に置くことはできません。一般労働者も自分の時間を切り売りしているので在庫をすることができないのです。そこで買い叩かれ値段が下がってしまいます。ところが資本は眠っている間も増えていきます。放置すれば格差は広がるばかり、その格差を縮める努力が必要です。経済とは「経世済民」の略だったのですがすっかり忘れ去られています。格差はあらゆるところで、弱いところに出てきます。世のリーダーの方々には是非弱いところに注意を向けていただきたいのですが、一方自分は弱者だと認識できた人は、帰らざる河の激流を無事下っていくために「自律」「自己責任」の覚悟する以外にないようです。これからの日本の農業は製造業と同じように高技術で、高品質、高付加価値を目指していく以外にないようです。
 

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2005/01/14

自立化

昨年中小製造業の経営者、後継者を対象にした研修の仕事をいただきました。テーマは「自立化」です。昨年話題になった「自己責任」に通じるものがあります。自立化を製造業では一言で「脱下請け!」といいますが、製造業といわず,中小といわず,企業といわず、個人まで含めて日ごろから、原点から考えておきたいテーマです。「自立」という言葉を広辞苑で引くと「他人の援助を受けず自分の力で身を立てること」とあります。類語の「自律」は「外部からの制御から脱して自身の立てた規範に従って行動すること」と記されています。僕なりに整理すると「自分の命は自分で守る」ということです。例えばBSE問題で呻吟している吉野家も単品経営で大躍進しましたが、食材である牛肉の九十数パーセントをアメリカ産に依存して、好業績の影に大きなリスクを抱えていたわけですから、「自立化」という視点では失格です。「全頭検査は根拠がない、科学的根拠がない、だから早期解禁」は自分が利益のために切り捨ててきた自分の命の安全を優先して、お客様の安全をないがしろにした自己中心的な発言です。科学的根拠という錦の御旗が危険です。自立しているということは命の糧を分けておくことです。業界、得意先、などすべて1/3以下に止めておくことです。
 僕の就職は戦後最大の不況と言われた昭和40年不況のど真ん中でしたが、就職先を選択するに際して、企業を選んだ条件は、企業規模、知名度といった一般的な選択基準ではなく小さくてもいいから製造業で、自社ブランドの製品を作っている会社でした。プライシングを自社でできるかは大事な自立の条件です。選んだ会社は今では東証一部の上場会社、同期入社の仲間の多くも役員になりました。自分が12年勤務してドロップアウトしてしまったことは予定外、思い通り行かないのはむしろ自分のことですね。
 個人のことでは数年前にロバート・キヨサキ著「金持ち父さん貧乏父さん」がベストセラーになりましたが、この本の中で「収入の道をダブルに」、「持ち家は資産ではなく負債」といった日本人の多く方々の価値観を転倒するような話が沢山出てきました。この本のテーマも家庭の命の糧である収入をどうやって確保するのか「自立」がテーマなのです。年金も当てにならなくなった今日、宮仕えの個人の方々も自立化の備えをすることが家庭の命を守る自己の責任なのです。収入支出を管理する従来の家計簿だけでなく、貸借対照表をつくる必要があります。
 企業の決算書も損益計算書と貸借対照表がありますが、中小企業の経営者多くも家庭と変わらず、損益計算書しか見ていません。「自立化=自分の命を自分で守る」は貸借対照表を健全に保つことです。健全というとすぐ「無借金経営」を連想しますがそうではありません。無借金でも手元流動性(自由になる現金)がないといざというときに間に合いません。今日のような不連続の時代では借入金でもいいから手元流動性を厚めに持つことが安全の第一条件です。

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2005/01/08

マチュピチュでもCD-Rへのコピーサービス

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一度はインカの遺跡を訪ねて見たいと思っていましたが、念願かなって年末の暇をピンポイントしてペルーを旅してきました。安い観光ツアーに便乗したので、なんと滞空時間片道23時間という凄まじいもので、エコノミー症候群になりそうでした。最近はロングフライト症候群というそうですが、やはりエコノミーならではの症状です。おいおい旅の様子をご紹介しますが、まずはアマゾンの源流部標高3,000メートルに残るインカの遺跡マチュピチュでのこと。クスコからアマゾンの源流のウルバンバ川の流れに沿って鉄道で下ること4時間、小さなバスに乗り換えて発見者の名前のついた曲がりくねった道を登っていきます。登ること30分そこに空中都市といわれるマチュピチュがあります。雲の上のここだけはピサロの暴力も及ばなかったのか破壊を免れています。ここの観光土産の店でデジカメのメモリーをCD-Rにするサービスがありました。テレビや写真でみて想像していた以上の風景に出会い思いのほか沢山写真を撮ってしまて困った観光客がこのサービスのお世話になるのでしょう。IT時代の「需要の創造」がここにもありました。インカ族はピサロに追われマチュピチュへ逃げ込みました。急峻な斜面に段々畑石積みの家、当時5,000人が自給自足できたのですが、しばらく留まった後インカ族はこのマチュピチュを放棄し、アマゾンの原生林の中消えていったそうです。16世紀半ばのことです。以後マチュピチュはアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムに発見される20世紀初頭まで熱帯雨林の中、永い眠りのなかにありました。

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