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2005/03/21

老中のための童話

芥川龍之介の童話は蜘蛛の糸や杜子春など幾つか子供の頃に国語の教科書で学んだことこもありましたが、子育てに追われ、ビジネスに明け暮れて、読むものは直接ビジネスに関るものばかりになって子供の頃の童話など振り返ることも忘れていました。花咲か爺、こぶ取り爺さんなどには必ず欲のないひとのいい爺さんと強欲な欲張り爺さんとが対になって描かれ、必ず欲のないひとのいい爺さんが幸せな老後を暮らすストーリーになっています。

ユング派の精神分析医アラン・B・チネンは「成熟のための心理童話」の中でこれはけっして二人の話ではなく、人間ひとりの中に棲む二つの側面だといいます。強欲意地悪爺さん的側面は、人間が成長する若いうちは人生の荒波を乗り切るため、成長、向上のために必要な、ネバーギブアップの精神を代表するもので、この側面は若者が成長していく過程では必要なものだといっています。しかしそれも若いうちのことで、中年になったら、そろそろそのこの側面を克服して、自分の中のもう一人の側面花咲か爺にスイッチする自己改革が必要だと説いています。自己改革は老中にこそ,必要というわけです。サミュエル・ウルマンの青春の詩を座右の銘にしている中高年ビジネスマンや老中も沢山います。わたしもそのひとりですが、「青春とは人生の或る時期をいうのではない、心の有り様をいうのだ。・・・・・・・歳を重ねるだけでひとは老いない理想を失ったときはじめてひとは老いる・・・・・」この詩を金科玉条に「終生現役」といって後進に道を譲らない老中の人々も大勢見かけますが、人生は一度きり、強欲いじわる爺さん的側面をそろそろ卒業したほうが自分にとって幸せな人生になるのではないでしょうか?青春の詩を掲げるのはむしろ40歳から50歳まで、第三コーナーを回る頃には引き出しの中にしまってときどき取り出して懐かしむくらいにしたほうが、楽な老中を送れると童話は語っています。かくいうわたしも積極的に赤いちゃんちゃんこを着てスイッチしたつもりいますが、まだむくむくと鏡の中に欲深じいさんがでてきて困っている自分がいます。

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コメント

童話、昔話に対するイメージが村上龍著『おじいさんは山へ金儲けに』を読んで変わりました。権力者が無知な民衆を統制するのには本当に良い方法ですね。私はこれを読んで無知を装いつつ、強かに行くのも面白いかなと思いました。

投稿: 雑草 | 2005/03/22 08:25

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