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2005/06/11

「クレジット社会へ危険な社会へ」と突進する日本

二日ほど前、帰宅するなりかみさんに「なんでサラ金なんかからお金を借りたのよ!」といい年の老中が怒鳴られ、身に覚えのない罵声に身をすくめてしまいました。しかし突きつけられた預金通帳をみるとしっかり金利が引き落とされています。さて一ヶ月前なにがあったのだろうか、なかなか思い出せないのです。やっと銀行のATMで預金を引き出したことを思い出しました。急いでいたのできっとうっかり銀行のATMにクレジットカードを突っ込んでしまったのでしょう。暗証番号は一緒ですから、シームレスにお金が出てきてしまいます。自分では自分の預金を引き出したのであり、借りた自覚はなかったのです。せめてコンピュータなのだから「カードが違います」とか注意を促してくれてもよさそそうなものですが、銀行にとってもクレジットカード会社にとっても、シームレスのほうが「お客様に便利」=「カモを捕まえやすい」ということですね。こんなに簡単にお金が借りられてしまうことは恐ろしいことです。

 老中の僕はクレジットカードも使い始めて、すでに40年になろうとしていますが、当時はこんな消費者金融カードではなく、持っていることが希少価値で、ステイタスだったはずなのです。いつの間にか使うとレジで必ず「一回ですか?」と聞かれていやな気分になってしまいます。分割にすると?そうです金利を取れるのです。昔はステイタスだったクレジットカードも今では消費者金融の一端に堕っしてしまいました。「高利貸し→消費者金融→クレジット」と名前をソフトに変えるたびに垣根が低くなり、ボーダレスになったその分だけ庶民の危険度が増していきます。今ではクレジットカード、銀行はいうに及ばず、インターネットのポータルサイト、携帯電話、コンビニ、はてはスイカまであらゆるポータルがクレジットという名の消費者金融へとシームレスに誘(いざな)いはじめています。一方で消費を煽る宣伝も巧妙になり、「お金を稼ぐ苦労は知らないけれど、お金を使う楽しさだけは忘れない」という社会が出来上がりつつあります。また一方で借金の怖さを知らない世代がすでに大人になっていて、はたしてその次の世代はどうなってしまうのか心配です。アメリカのように月額返済額を決めて、そこまではいくらクレジットを使ってもかまわない、返済額ぎりぎりまでくるとまさその返済枠を大きくして先延ばし、破綻するまで先へ先へと伸ばしていく、未来の自分のエネルギーを先食いして破滅するという社会です。日本も近未来にアメリカ型のクレジット社会が来ることは必定でしょう。芥川龍之介の杜子春を思い出します。幸い杜子春は仙人に両親が地獄で鞭打たれている姿を見せられて正気に返り、その孝心のお陰で普通の暮らしに戻ることができました。昨年NHK特集でネパールの農民を取り上げていました。両親と子供が借金奴隷として二世代にわたって農奴として働かされているのです。その借金は祖父の代の借金です。祖父の代の借金が親子二代の生きる自由を奪ってしまうのです。その祖父は自分の遺伝子二代のエネルギーを先食いしてしまったのです。先進社会では借金奴隷というような悲惨さは影を潜めてしまい、クレジットのパッピーな部分しか表に見せませんが一端破綻したらその悲惨さは想像を絶するものがあります。多くの人は見たくないから見えないのです。すでに償還不能な国債を発行し孫の代までエネルギーを先食いした今の日本はどうなるのでしょうか。杜子春は仙人からもらった財産を自分で贅を尽くして蕩尽してその結果自ら気付いたのですが、我々日本人はアメリカ国債にエネルギーを吸い取られてしまったのです。冷凍食品は解凍すれば美味しく食べることができますが、アメリカ国債に凍結された日本人のエネルギーはすでにアメリカによって使われ、一部はブーメランの如く、日本に外資として舞い戻って日本企業の買収に使われてしまいました。果たして日本人の前に仙人は現れるのでしょうか。
 近年小中高校生にビジネスや株式投資を教えようという動きが活発ですが、とても危険なことだと思っています。教える先生たちがお金の意義を分かっているかどうか心もとないのです。是非周囲の子供たちには借金(忘れがちですがクレジットは借金である)を含めてお金の意義を正しく教えてあげて欲しいと思います。お金は人類が地球誕生から今日まで地球から取り出した大自然のエネルギーが形を変えたものですから、上手に使えば生活の活力になりますが、間違って使うと身を滅ぼす暴力になってしまいます。クレジットは自らの未来の命を先取りする行為なのです。返済できなくなれば自らの命であがなう以外にないのです。

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コメント

個人の借金と事業の借入金は違うものです。この違いが分からない中小企業経営者、コンサルタントが多いのです。個人の借金は自分の未来の命を現在この一瞬の楽しみに費消することですから、クレジットで未来を先取りする過剰消費です。事業の借入金は過去の他人のエネルギーを未来に生かすためのものです。 ハードの老化は能力の再生産のコストをかけてこなかったことに原因があると思います。能力の再生産のためのコスト(減価償却費)を十分回収するだけの売上高を確保していかないと企業は衰退消えていきますね。厄介なのは設備、店舗など目に見える資産の劣化より、経営力、社員の新しいものを取りいれていく能力、変化の劣化です。日本の社会も能力の再生産に失敗しつつあります。
 新事業を考えるのはいいことですが、現状からの逃避になっていないか、住んでいる町のキャパシィティや人口減少社会のこれからを考えているかどうかよくよくシミュレーションをしてください。

投稿: 懐中電灯 | 2005/06/12 12:53

一昔前は自己破産という言葉は珍しかったのですが最近身近でもよく聞きます。つい先日同業者の身にもふりかかりました。私の周りを見渡すと創業者世代から二代目、三代目へと世代交代が進むと同時にハードが老朽化していき設備の改修、補修が必要な会社が増えています。現在の設備の改修、補修は売上増より経費負担が大きくなるような気がし難しさを感じます。私も今その時期です。私の中では『おしん』が主張を強めています。環境問題、体で学ぶ能力開発(先日、部屋の中で出来るロッククライミングがあると聞きました)そのようなことを事業化できないかなと、思ったりします。

投稿: 雑草 | 2005/06/11 08:05

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