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2005/09/05

決めるということ

「決断力」「決められない」といったタイトルの本が書店の店頭に並んでいます。それほど世の中の多くの人々が、自分の意思を決めることができないでいるということなのでしょう。僕は長年「経営とはなんぞや」というテーマで企業の社員研修を手がけてきましたが、この「決める」すなわち「意思決定」が中心のテーマです。経営シミュレーションを通して意思決定の大切さを体験的に学んでいただいています。企業活動の中で日々当たり前にやっているようで、眼を凝らしてよく見ると一つひとつ意識して、声に出して「意思決定」「意思決定」と叫んでいないので、日常的に「意思決定をしていること」を忘れてしまい、いつのまにか「意思決定すること」そのものを忘れてしまっていいるのではないかと思っています。

個人の生活でも同じです。日々の一挙手一投足は気づいていても、いなくても自分の意思の積み重ねなのです。決めること忘れてしまうということは、歌を忘れたカナリアとおなじです。いっそ歌を忘れたカナリヤのように「後ろの山に捨てて」しまいましょうか。それとも「象牙の船に乗せ、月夜の海に浮かべれば」思い出すのでしょうか?
 決めた後のことがあるので、決めることをためらっているのではないでしょうか。「意思決定」という言葉は「Decision-Making」の翻訳です。だれが最初に訳したのか、Decisionは決断、Makingはつくるの進行形ですね。意思を決めるのではなくて、決断してそれを作り上げていくという意味が込められています。未来に力点が置かれています。決められないひとは、この未来に対する義務を自分でも気づかないまま、潜在的に避けているのではないでしょうか。決めると義務が発生し責任が生まれてきます。若い頃上司と昼食をともにする場面で、怒られたことがあります。上司から「お前は何を食べたいか?」と聞かれ、思わず「部長と同じで・・・」といってしまったのです。「自分の昼飯も自分で決められなくて、なにが『意思決定』だ!」上司してみれば「それでも幹部社員になるつもりか」というわけです。
 一億円の設備投資の意思決定をするには、一千万円の経験、一千万円の意思決定のためには百万円の経験、つまり意思決定は日頃の小さな意思決定の経験の積み重ねというわけです。「決めること」「決断力」という一言の中に<①自らの意思>→<②決断>→<③作り上げる>このホップ、ステップ、ジャンプを日頃意識して,今の姿は自分で決めたことなのだということを確認し続けることが肝心なのではないでしょうか。③の重要性を確認したうえで、ひとというものは「自らの意思」を決めれば、おのずから一歩踏み出していくもの「念ずれば花開く」ものだと信じて、みずから決める癖をつけるよう心がけてきたつもりですが、気がついたらすで老中ホームストレッチを走っています。老中が各々のスタイルでこのホームストレッチを走っていますが、そのスタイルが気に入らないひとは、それが己が過去に決めたスタイルであることを認めて、スタイルを変える決断をすればゴールへ向けておのずから変わっていくはずです。ただ焦ってスピードを上げるために自分に鞭を入れるような、若い頃のスタイルに戻ることは避けたほうがいいのではないでしょうか。

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コメント

「やはりやってよかった」という達成感が自分へのご褒美ですね。それが癖に、快感になるとしめたものです。よい癖を若いうちに癖をつけたいですね

投稿: 懐中電灯 | 2005/09/06 19:14

決断難しいですよね。決断したら動かないといけませんからね。私、昨日父が生前乗っていたスズキ・イントルーダー1400というバイクを動かそうと作業のしやすい所まで500メートル位300キロ近くあるバイクを押して移動させたのですが、その段階ですでに『やめとけばよかった』と何度も思いました。でも着いた時は持ってこれて良かったと思いました。例えが良いかどうか解りませんが、この様なことの繰り返しなんじゃないのかなと思うのです。

投稿: 雑草 | 2005/09/05 08:49

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