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2005/12/23

コストの表と裏(1)

いただいたコメントの中に次の言葉がありました。「みんな、安いのがいいはず、1円でも安ければ、自転車で買い物に行くし」この言葉そのものには反論の余地はありません。ただし買う側の立場(表)としてという条件付です。では同じ商品・サービスを売る(作る)側の立場(裏)から見たらどうなるのでしょうか?

買う側の立場のひとは、常に表ばかりで裏の側に立つことはないのでしょうか?自分も商品・サービスを作ることに参加してその対価として賃金を受け取らない限り生きていけないのですから、自分も誰かに買われていることになります。とすれば「みんな、安いのがいいはず」を徹底すれば、自分自身も安く買われることになるのです。そのことを覚悟の上で「安いのがいい」といわなければいけません。同じ三次元の世界で生きている以上”自分は別にして”というわけにはいかないのです。このことを理解することはそんなに難しいことではないと思うのですが、いかがでしょうか?
 人間が貨幣を発明し、お金がなければ生きることができない社会を作ってしまった以上、そしてその貨幣社会で生きる以上、自分自身が常に買う立場(表)と売る立場(裏)の表裏一体であることから逃れることはできません。そしてニワトリトと卵、あえて順序をつけるとすれば、売る立場すなわち”裏”が先”表”が後になります。「安いのがいい」とすればまず自分が安く買われることになります。人間自身一人一人状況によっては人を殺すこともやってしまいますし、騙すこともできてしまうものです。「安いよ!」「安いよ!」を餌に騙すひとも出てくることも思考の内にいれておかないといけません。。「一円でも安ければ・・・・」すなわち「安ければ安いほどいい」と本気で考えていると、そんな悪いひと(悪い部分が表面に出たひとに騙されることになります。すべての事象に”目に見えるものと目に見えないモノ”があり、ひとによって、条件によって「見えるもの」が違うことを日々心に留めて生きることが大切なのではないでしょうか?

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コメント

その通りです。日頃から見えないものを見る、見えないものにお金を使う癖をつけておく必要がありますね。価値とは常に目に見えないところにあると心がけたいですね。自分ですでに見えているものは、もう当たり前、すでに価値ではないと思わないと、なにしろ目に見えないものですから。

投稿: 懐中電灯 | 2005/12/23 13:07

「人それぞれ価値観が違う」ということは、大切ですよね。同じ商品でもディスプレイや新たな使い方を提案してみると値段以外に選択基準を作ることになるのでは?と思うのですが

投稿: 雑草 | 2005/12/23 08:41

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