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2006/01/21

「男達の大和」に泣きました

男達の大和を見ました。戦艦大和は我々世代までかもしれませんが、子供の頃から憧れた日本の力の象徴のようなところがあります。当時世界最先端の技術を駆使して建造した世界一の最新鋭の戦艦です。この憧れの象徴をわざわざ原寸大で精巧に作った上で、アメリカの飛行機の波状攻撃でなぶり殺しにして、完膚なきまでに男の子の幻想を打ち壊してしまった映画です。もうどこかにいってしまいましたが、自分で苦労して作ったプラモデルが目の前で踏みつけて壊された悲しさが残ります。

角川春樹はどんな先進の技術でも使うところを間違ったらなんの意味も無い、といいたかったのでしょう。戦争映画でありながら、15~17才の少年兵、下士官の艦上の姿を中心に描いて、意思決定の中枢であるはずの軍の上層部も戦艦大和以外の戦闘艦も出てこなくて、戦艦大和一隻が米軍の航空機の波状攻撃で3、000余名の命と共に嬲り殺しにされます。見た目の勇ましさをまったく描いていない、今までの多くの戦争映画とまったく違うところです。まったくの無駄死にだと分かっていながら、意思決定の中枢の無能に反論も出来ず、それぞれ
「母の住む故郷を守る」
「恋人のいる日本を守る」と己の命を捧げる目的を見出して死んでいくのです。
両手を後手に回した長島一茂扮する白淵大尉は語ります。
「進歩ノナイ者は決シテ勝タナイ 負ケテ目覚メルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ハ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニ先駆ケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」
 四月7日の白淵大尉は21歳7ヶ月だったそうです。当時の若きエリートの矜持が窺えます。母と子の別れ、恋人との別れ、生き残った男が生き残った命に新たな目的を見出していった戦後60年、映画の中には大袈裟に泣かせる演出があるわけではないのですが、見る者の想像力をかきたてるのか、随所に涙が滲んできます。昭和二十年四月七日不沈艦大和を祭壇にして生贄に捧げた命、その生贄で守るはずだった恋人は八月六日広島の原爆で死に、家族も故郷も日本中は八月十五日まで、無差別爆撃に晒され大量虐殺されていきました。僕はとりわけ無駄死と分かって死んでいく3千二百余名の無念に涙しました。
 現実の記憶にはありませんが、僕も敗戦確定のたった一週間前の、八月八日満州ハルピンで母に抱かれて父との別れをしていたのです。その後シベリアから抜け殻になって戻った一兵卒の父の姿が重なってしまいます。
 1987年のプラザ合意は第二の敗戦とも言われています。あれから20年数々の大企業が倒産していきました。倒産した企業の社員の多くも経営者の無能の犠牲になっていきましたし、リストラで再生した企業も犠牲になったのは意思決定の中枢ではないのです。大和の男達とダブってみえます。それでもそれぞれ己の行動、置かれた己の立場に意義を見出していくことを忘れなければ、その無念はいつか誰かに、たとえ直接の自分の縁者でないとしても、再生の喜びをもたらすことで報われるのだと信じさせてくれる映画でした。白淵大尉の遺言がそのまま戦後60年に蘇ってきます。

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コメント

最近この映画の影響もあると思いますが、戦争の話を聞きました。「日本は人命を軽視していた」とおっしゃっていました。それを聞いて今を切り抜けることばかりを考えてはいけない。生きていればどんなチャンスが訪れるか解らないと、思いました。

投稿: 雑草 | 2006/01/23 09:29

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