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2006/02/18

ライブドアの株価暴落とギャンブル(1)

マネジメントゲームの経営体験をベースに財務・経営教育を長い間やってきました。受講者から多く出る言葉は、「ゲームは苦手」「ギャンブルは苦手」という声がでます。日本人にはゲームは嫌い、ギャンブルは悪と思っているひとが多いようです。それなのに日本は実は政府公認のパチンコ、競馬、競輪、宝くじ、ロトシックスなどギャンブル氾濫の国なのです。このギャップに、ライブドア株で老後の生活資金を雲散霧消した老人の悲劇や信用取引で多額の借金を負ったお定まりのバブルの悲劇が起きています。賭け金はたった一ヶ月半で10分の一(794円→84円)になってしまったのです。

書店の店頭でもインターネットのブログでも、証券会社もこぞって、「分割銘柄を狙え」「分割銘柄で億万長者」と囃して、ライブドアの手法に追随させたのですから囃した方々の見識を疑わざるをえません。どうしてあの手の危ないものに手を出してしまうのでしょうか。自己責任という重宝な言葉が定着して、薦める著者も出版社も読者の”自己責任”と切捨ててしまうのかもしれませんが、それは間違いです。便乗して印税を稼いだのですから、やはり己の不明を恥じて、謝罪すべきでしょう。それにしても日本人の多くはギャンブルの真の意味を十分認識しないで、自分の欲のおもむくままに情報を取り都合よく解釈して、後で泣くひとがなんと多いことか。
 ギャンブルとは賭け事です。広辞苑で”賭ける”を引くと”失敗した時はその物を犠牲にする覚悟である物事を断行する”と記されています。「己の一挙手一投足すべての行動に、行動と同時に、目に見えなくても、裏に犠牲(リスク)が裏打ちされている」ということです。人生を「生きること」そのものが日々賭け事しているのです。進学、就職、結婚すべてその都度いくつかの選択肢から選んでいると思っている人が多いのですが、実は選んでいるのではなく、他の可能性を捨てているのです。捨てておけば後で「こんなはずではなかった」と後悔することはないはずです。たとえ苦しくとも覚悟はできているはずです。
 ライブドア株に賭けた瞬間に、うまく株価が上がり売却できたら得られるはずのお金のために、賭け金は一度捨ててしまったのです。捨てておけば、捨てられる範囲の”賭け”に留めておけば、暴落にあっても致命傷にはならないのです。人生において最も大きな賭け金は、自分の命です。しばしば「命懸けで・・・・」「乾坤一擲・・・・」と軽く言ってのけるひとも多いのですが、命を懸けるような行動は一生の間に一度か二度にしておかないと危ないのです。一度成功すると、味をしめてまた命懸けのことをやる、ついには失敗して命を犠牲にするまで続けることになります。
                                                 (続く)

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コメント

先生。小田原の米屋です。経営もギャンブル、賭け事その意味を考えていました。
なるほど賭け事にはそのような意味があるのですね。ひとつの可能性を選ぶ、それに賭けてみる、大いなる選択なのですね。ならば投資もそうですが、半端な気持ちは捨てなければなりませんね。選択に己を賭けることです。
ありがとうございました。

投稿: ライタ | 2006/02/19 21:01

本当にその通りですね。沢山の選択肢の中から一つの可能性を「選んでいるのではなく、他の可能性を捨てているのだ」という言葉がとても印象的でした。人生をおくる中で、自分で捨てているのだから、誰のせいにも出来ませんね。

投稿: さるとび38 | 2006/02/19 18:21

ブログを読んで「賭ける」の意味が解りました
”失敗した時はその物を犠牲にする覚悟である物事を断行する”なのですね。
私は、自分が都合悪くなった時「こんなはずでわなかった」と後悔した事が何度あったか?
今からは、有意義な賭けをします。

投稿: 雑草 | 2006/02/19 08:07

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