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2006/04/29

「生きること」と「死ぬこと」

ビジネスの場では”目的”を達成するためにはその目的に向かって”目標”を設定し、それを達成するための計画を立てるようにと指導します。このプロセスが習慣になるといつの間にか目標の先に目的があるものだと刷り込まれてしまいます。そのうち目的がだんだん遠くなり見えなくなってしまい、目標と目的との違いがわからなくなってしまうのです。そこで最近は「目標というな!手段といおう!」と提案しています。”目標とは目的を達成するための手段”のひとつに過ぎないのです。
 

 老中仲間が集まると、しばしば「死ぬこと」が話題になります。そして「死ぬこと」を考えて、はじめて「生きること」がわかるようになります。ともすると「人間最後は死ぬのだから」などと慰めにも悟りにもならないことをいってしまいます。「生」の向こうに「死」があるという考え方です。とすると「死」が目的で「生」が目標になって、しばしば「生」と「死」は表裏の関係にしてしまいます。そうすると「表が明るくて、裏は暗い」と決めてしまい、「暗い話はよそうよ」となるのです。
 ところが「死ぬこと」をあえて”手段”、「生きる」ための手段と定義するとはじめて「生きること」が人生至高の目的として見えてきます。「死ぬこと」が存在しなければ「生きる」ことも存在しないのです。死なないと仮定したら、働くことも、殺人も、暴飲暴食も、家庭もないのです。「自分はどんな死に方をしたいか」イメージができれば、きっとそれに相応しく「生きる」ことができるのではないでしょうか。
 

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コメント

GMの創業者ウイリアム・デュラントの話を以前マンガで読んだことがあります。世界に影響を与える大会社を作り上げたデュラントはその偉大な功績とは逆に亡くなる時は、とても寂しい最後だったと書いてあったのを覚えています。

投稿: 雑草 | 2006/04/29 08:25

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