« 渡良瀬遊水地の葦焼き | トップページ | 「実習生」という仕掛品を売るお店 »

2006/04/01

「国家の品格」とは老中の品格

藤原正彦著「国家の品格」がベストセラーになっていますね。この本がこれだけ売れるということは、今多くの日本人がこの失いつつある「品格」を取り戻したいと願っている証なのでしょう。この本を話題にお酒を飲んだ友人から藤原てい著「流れる星は生きている」(中公文庫)をいただきました。著者は作家新田次郎の奥様で、作家としてはむしろ奥様のほうが先に有名になっていました。山歩きが趣味だった僕は、新田次郎の作品はほとんど読んでいますが、藤原ていさんの著作は縁が無く、一冊も手にしたことがありませんでした。藤原正彦さんは藤原ていさんの次男で昭和十八年生まれです。ちょうど僕と同年、藤原ていさんは僕の母と同年輩です。

いただいた本を読み始めて、友人が僕に「流れる星・・・」をくれた理由がわかってきました。この本は藤原ていさんが三人の子供を連れて命からがら満州(新京)から引き揚げてきた苦闘の物語だったのです。僕も正彦さんと同年、満州(ハルピン)から母に抱かれて引き揚げて来て、昭和21年9月博多港にはじめて日本の土を踏んだのです。本を読むと僕と母とは、おそらく藤原母子と同じ引き揚げ船で帰国したのです。僕の母は日本にたどり着いた翌年、父のシベリアからの引き揚げを待たずに冥土へ旅立ちましたから、引き揚げの苦労話を聞くどころかハッキリした母の顔も記憶になかったのです。「流れる星・・・・」は母の苦労話を六十歳を過ぎてはじめて聞く思いで貪るように読みました。あらためて今日まで“生きていること”の偶然性と有難さを味わうことができました。気づかせていただいた友人に感謝しています。
 「国家の品格」の内容は僕もうなずくことばかりですが、著書を読んでうなずくだけでは、その品格を取り戻すことは出来ません。“品格”を建て前で語るのではなく、もう一度個々人の、日々の行動の中で、自ら襟を正していく以外にないのではないでしょうか。若いホリエモンが獄に繋がれ、日々マスコミから集中砲火を浴びています。しかし大人、とりわけ六十歳以上の方々は少し考えて欲しいのです。ホリエモンの事件は、いまだ未熟な青年が、未熟(いかがわしい)な新興市場(大人が作った)で極めて短期間に起こした不祥事です。
 
先日カネボウの前経営者に執行猶予付きの判決がでました。同じ粉飾ならカネボウのほうがとてつもなく罪が重いと思うのです。すでに創業100年を超える名門という信頼の裏で、長期にわたって歴代の著名な経営者が、途中の引継ぎで過去を断ち切る(棄てる)こともせず、継続的に行ってきた不祥事です。歴代経営者だけでなく歴代幹部社員(すでに定年で退職した方々も含めて)の多くも当然以前から社内では分かっていたはずです。
  我々老中は“品格”というとステロタイプに若者の品格をあげつらって自分達が失った”品格”を隠蔽しようとしてはいないでしょうか。“品格”を問われるとすればまず我々老中世代です。したがってまず襟を正すのも我々老中世代なのです。むしろ若い人々はその弊害を受けている被害者ではないでしょうか。国家をマネジメントしてきた官僚、政治家それを選んできた我々世代に大きな責任があります。国債残高800兆円といっていますが、政府、地方公共団体、道路公団のような特殊法人の隠れ借金を合わせると、次代へのつけはおそらく1、000兆円を超えているはずです。その金を使った世代と負担する世代、そして使った責任は誰にあるのか。
 
使った世代は今もって「定年延長」「青春とは・・・・!」と声高に叫んでいます。団塊の世代が大量退職する2007年問題でも「技術の伝承が出来なくなる」「日本のよさが失われる」「団塊の世代が開発したコンピュータシステムもメインテナンスする人がいなくなる」と騒いでいますが、これらは団塊の世代におもねっているに過ぎません。本当に問題が起きるとすれば自分達の仕事のやり方に問題があったことを恥じるべきです。
 2007年問題は未来の問題です。自分達がしてきた仕事に遺漏がなければ問題は起こりません。もし起こったら「ごめんなさい」次の世代に解決をお願いする以外にありません。2007年問題は競馬に喩えれば、団塊の世代が第四コーナー目前にして、未だ見えない最後の直線、ホームストレッチへ出て行く前の心構えの問題です。団塊の世代そして、一歩先を走っている我々老中は「国家の品格」を問う前に自らの過去を断ち切って未来に生きる“楢山節考のおりん”の品格に学びたいものです。かくいう自分も第四コーナーを回る直前はかなり迷い逡巡したものでしたが、「案ずるより・・・」の諺どおり「生むが易し」の日々です。人生のホームストレッチも二十年あります。二十年あればなにがしか、未体験のことも一つくらい出来るのではないでしょうか。歴史を振り返っても、人類は自分達の世代の過ちを自ら正すことができた試しはないのです。過ちをさらに上塗りするか、先送りするくらいが関の山です。せめて次代の行動の妨げをしないで、次代を信じて委ねることにしてはいかがでしょう。

(注)楢山節考については2004/11/1当ブログ(生き方)に「老中のための楢山節考」と題して書きました。ご参照ください。

|

« 渡良瀬遊水地の葦焼き | トップページ | 「実習生」という仕掛品を売るお店 »

コメント

 この内容はよく咀嚼すべき内容と思います。
 それだけ奥の深い、そしてこれからの日本に必要不可欠な考え方です。私は団塊の世代ですが、おっしゃる通りだと思っています。しかし、世の中の激しい濁流の中で溺れ死にそうになっている世代でもあるのではないでしょうか。
 私は団塊の世代こそこれからの日本をちゃんとしなければならない世代なのに、定年したら日陰に隠れて安楽な道を進む事を夢見ている様に思います。
 冗談はよして欲しい。我々団塊の世代が、今日のゆがんだ社会システムを建て直すべき責任があるのではないでしょうか。あの学生運動華やかなりし頃の情熱をもう一度より前向きな未来へと突き動かす力として発揮して行きたいものです。

投稿: 對馬省次 | 2006/04/03 09:14

私自身未熟者で、よく感じます。今が良ければいい。「ばれなければ」何してもいいと危険な考えになる時があります。その時は孫悟空を思い出すようにしています。

投稿: 雑草 | 2006/04/02 08:11

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50017/9307334

この記事へのトラックバック一覧です: 「国家の品格」とは老中の品格:

« 渡良瀬遊水地の葦焼き | トップページ | 「実習生」という仕掛品を売るお店 »