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2006/07/29

日本の国際競争力の誤解

坂道登さん、コメントありがとうございました。
 コメントへの回答を兼ねて弱者(負け組ではない)の勘違いを解きたいと思います。
「国際競争力を強化しろ」「このままでは日本は駄目になる」この錦の御旗に日本人は弱いんです。この錦の御旗の下に進んでいるのが、小泉・竹中改革であり、その過程でいま勝ち組、負け組のレッテルが貼られようとしています。
 マネー経済の下では、在庫できない、腐ってしまうものを売っている者が一番弱いのです。だから時間しか売るモノのない労働者が最弱者です。その中でも超弱者がアルバイト、パートです。そのさらに超超弱者が日本に来ている中国人の人々です。最低賃金のことを書きましたが、日本で働く外国人だってその対象とすべきなのです。日本中が下へ下へとお互いに叩きあっています。これでは日本列島沈没です。

「日本の国際競争力」という概念はごまかしです。もし国際競争力強化を論ずるなら日本人個人の個別企業の個別農家の国際競争力を論じなければいけないと思います。そしてそれを是とするなら、国際競争力をつけたそれらの「『個』日本人」が国内の勝ち組であって、それ以外は負け組、いずれその負け組は、さらに国内の中国人を「我々の職を奪った」といって石で追うようになります。勝ち負けは相対的で、より弱いものが連綿と下へ下へと叩いていくことになります。昨年暮れにインドへいきましたが、インドの最下層の人々の悲惨さはカメラを向けることさえ憚るほどです。古代アーリア人の支配のシステムが連綿と続いているのではないでしょうか?
 勝ち組、負け組は自分でラベルを貼って安心しているのです。ブランドのバックを持つのと同じです。青山も銀座も世界のブランドショップが軒を連ねています。西欧のブロンド物の売上は日本が世界一なのです。ブランドの語源は牛の焼印、誰かの所有物という意味です。ブランド物を持つことで、勝ち組に入ったと自分でラベリングしているのです。
 勝ち組も負け組も自分でラベリングしているのであって、他人がラベリングしているのではありません。自分が負け組と思っているひとは、その物差し(価値観)はなんでしょうか?物差しをマネーにするからではないでしょうか。それでは勝ち組と同じです。物差しは自分で選ぶものです。物差しが違えば負け組にはなりません。今多くの日本人に求められているのは、マネー以外の自分に合った物差しを自分で見つけることではないでしょうか?
 

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コメント

「自分なりのの物差しをもつ。」とてもいい言葉です。
 私は今まで、お金もそうですけど、他人に評価されることが幸せであると考えてしまいます。
だからいつも、他人が定めた物差しで物をみてしまいます。
具体的には、
①他人に合わせるような行動をとる。
②自分よりも相手の考えのほうを優先させてしまう。
③他人を怒らせた時は自分がそうさせてしまったと考えてしまう。
といった感じです。
 「自分の物差しを持つ」こと、他人に流されないような強い自分を持つことは難しいですが、このことができないことには自分に進歩はないと痛感させられました。

投稿: qwerty | 2006/08/01 17:43

足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることができる。われ ただ たる をしる。すばらしい言葉ですね。マネーに焼かれない方法、日本文化にあり。こんなことを世界に発信できたら、日本はもっと尊敬されるのではないでしょうか?経済的には2流であっても誇り高き国。僕もそうなりたい。ですが、頭は煩悩だらけです。

投稿: アントニオ | 2006/07/29 16:46

アントニオさんが、そういう物差しを持っているから、同じ物差しを持っている人と出会うんですね。
 自然界は弱肉強食だ。だから人間社会も同じだという馬鹿なひとが多いのですが、それは間違いです。生物の食物連鎖は、強者と弱者の関係で大自然の法則です。強者が貪れば弱者の個体数が減って、強者の個体数も自ずから調節されます。ところが人間という厄介な生物が誕生して、恐怖心や想像力を持ってしまったので、その大自然の法則を乗り越えてしまったのです。そこで大自然に変わって自らをコントロールしてくれる神を必要としたのでしょう。それが宗教だと思うのです。
宗教観を持つことが唯一、マネーのパワーに焼かれない方法だと思います。「吾唯足知」
 「ビジネス感性を磨く」のところで、マネーの話を深めていきましょう。

投稿: 懐中電灯 | 2006/07/29 14:50

たしかにラベルリングするのは他ない自分自身ですね。自分の価値の物差しを作れば良いことには賛成です。しかし、それのラベルを流通させているのは、何でしょうか?メディア、マスコミ、各雑誌。言葉を捜すなら、時代精神、集合的無意識でしょうか?自由からの逃走という名著でフロムは、資本主義、マネーが神である社会においては、経済的価値が最優先されると論じています。スピーディーなこと、多くを持つことが価値あるということですね。

さて、その価値に対抗する思想、哲学が必要なわけです。神道、仏教、武士道等の価値でしょうか?

そんなヒントが昨日ありました。昔からの知人が鍼灸の店をやっています。ちょっと凝ったもんでその店に行き彼と話をしていました。最近の格差問題とか話していたのですが、彼いわく、僕年収300万以下だよ。子供も市から補助を受けているよ。でも彼は淡々として別にそれが悲しむべきものとも考えていない。それに、インドやカンボジアの里親もやっている。僕は彼に意地悪な質問をしました。マネーたくさん欲しくないの?うん?それは欲しいよ。まあそれはそれと。欲望はあるけどこころがそれにとらわれていないのです。この時代に対抗出来る人間だと思いました。実はかれは1ヶ月近く、インドで修行らしきものしてきたのでした。それから価値の変換が起きたらしいですね。ベースは仏教思想です。こんなことを思った次第です。


投稿: アントニオ | 2006/07/29 12:08

「本当の豊かさとは何なのか?」ということですよね?今の私は、好きなことができる時間を持ってる人が豊かだと感じます。
これが今の私の「物差し」です。

投稿: 雑草 | 2006/07/29 08:57

>今多くの日本人に求められているのは、マネー以外の自分に合った物差しを自分で見つけることではないでしょうか?

まさにそう思いますね。ブランド物にしても高価だからと言うだけで安心しているのでしょうね、そのものが持つ機能性とか耐久性とか、トータルで見て自分のファッションに合っているとかは余り考えられていない気がします。差別化する、他と違う事で安心するのでしょうか。しかし、たまに町に出て道行く人を見ていますと、みんな一緒のブランド物のバックを抱えて歩いています、そしてそのバックだけが目立って浮いていることが多いですね。

マネー=物=豊かさになってしまい、マネーを得るために=物を得るために=豊かさを得るために自分の時間や体力、精力をつぎ込んでしまっているのでしょうね。マネーとは自分や家族、社会を豊かにしてくれるために必要な手段の一つにすぎず、マネーがあれば全てが豊かになる、解決するのではないのですね。

自分が(家族が、会社が)豊かになるためには廻りの社会も環境も皆豊かにならなくては成り立たないと思います。しかし今は自分も含めてですが皆が取り敢えず自分だけは、自分の家族だけは、我が社だけは豊かになれば後はどうにかなるのではと言う思い込みが強く、常に何らかの踏み台を探し上へ上へと登ることだけに精力を使い果たしていて、今反省し何らかの手を打たなければ、経済も社会も環境も後戻りの出来ない所まで来ているような気がします。


投稿: 坂道登 | 2006/07/29 08:01

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