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2006/07/23

引き際の「爽やかさ」と「醜さ」と(2)

雑草さんからとてもありがたい質問をいただきました。コメント欄に回答したのですが、あらためて加筆して転載しました。
<雑草さんの質問>
 「正直私は、「個人の問題(除名処分)だけで良かったのではないか?」と思いました。球団を解散すると、そこに夢を持って入団した女の子や他のメンバーも途方に暮れるのではないかと思うのですが懐中電灯さんは、ここについてはどのようにお考えですか?」
<懐中電灯の回答>
  最近の企業の不祥事でも謝り方が下手なトップが目立ちますね。もう時代が変わったということを認識する必要があります。テレビ、インターネット等々情報がたちどころに伝わる時代です。情報が高度(迅速に、大量に、広範囲に)に伝わっていくと、実はこの高度は「情報の質」を問うているわけではないのですが、情報の質も見えてくるのです。情報社会は本質がむき出しになる時代です。相田みつをの詩にも「べんかいのうまい人間、あやまりっぷりのいい人間」がありました。これからは、あやまりっぷりのいい人間になりたいですね。
  

 当然極楽トンボ(山本)は事件の当事者である女性に対して、野球を愛している青少年に対して、仲間に対して、欽ちゃんに対して、責任を負わなければなりません。しかし欽ちゃんはチームの創設者でありトップです。メンバーが犯した罪は対外的には全責任はトップにあります。
 しかもこのチームの設立の目的は雑草さんも書いている通り「青少年の夢」を売る(提供)ことです。そしてここがマスコミ報道でも見落としていることです。「青少年の夢」を売る(提供)はずのメンバー(社員)が17歳の少女を弄んだのです。己のお客様を、己の商品(サービス)を弄んだと同じです。この時点でもう存在意義を一度失ったのです。
 もちろん「被害者の女性は、何故ついて行ったのか、ついて行った奴にも責任があるはずだ」と言う意見もありますが、それはお客様から出るのはかまいませんが、自分たちは一切考えてはいけないことです。それは外部の人たちがかってに評価することです。
 茨城G・Gの存続は、偏にお客様に委ねられているのではないでしょうか。欽ちゃんが演技でやったことかどうかは、お客様が判断することでしょう。
 ついでに僕が山本と書かずに、極楽トンボ(山本)とあえて書く理由です。相方の加藤さんが辛い立場に立っていますが、相方の不始末ですから、極楽トンボの一人としては逃げてはいけないと思うからです。ここは甘んじて受けて一度極楽トンボのまま死んで、潔く極楽トンボブランドを捨てて、加藤ブランドとして再生して欲しいですね。
 パロマの問題も同じですね。21人のお客様を殺したのです。欽ちゃんのように真っ先に対処していれば最少の犠牲で防げたはずですね。「社員が情報を隠した」は内部の理由であって対外的には常にトップに全責任があるのです。そういう姿勢を示してこそ、お客様も、商品やそれを提供する社員を信頼してくれると思います。
 さてトヨタの欠陥車の問題はどう見たらいいのでしょうか?社長は一度も謝罪会見にでてきませんね。大トヨタとしてはその程度の小さい問題なのでしょう。産業界では今年「松下のあやまりっぷり」の徹底振りの前例があるのに。
  

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コメント

そうですね。トヨタの社長は記者会見に出てきてませんね。「人命は地球より重い」は過去の話なのでしょうか?

投稿: 雑草 | 2006/07/23 07:59

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