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2006/08/14

南ア北岳から塩見岳を歩く(1)ご来光

   <間ノ岳からご来光を仰ぐ>
2006o811pict0055 2006年8月9日台風一過、いそいそと新宿発最終23:54に乗り甲府へ。駅前の吉野家店頭から流れ出るバックグラウンドミュージックを聞きながらバス停のベンチでまどろむこと一時間半、ローソンで朝のおにぎりを仕込んで04:00のバス乗って一路南アルプス市広河原へ向かいました。南アルプスは山の奥の奥、どうしてここまで市と呼ばなければいけないのか、誰が望んでいるのか不思議な思いがします。32年前泊まった山上の「村営北岳小屋」も今では「市営北岳山荘」です。僕の左脳にはたった一晩で「村営・・・」が刷り込まれてしまっています。

               20060810pict0034            <北岳山頂付近のチシマギキョウ>
 数日前に女性が転落して亡くなった大樺沢のコースを遠慮して、草すべりを花を愛でながら急登しました。北岳(標高3194㍍第三位)頂上付近で岩の裂け目に一輪咲くチシマギキョウを見つけました。植物の不思議を実感する一瞬です。
 多くの植物は己が落ちて一生を終えるところを選べないまま、ただひたすら命をつなぎ、種を蒔きます。せめて次代の子孫だけはもう少しまともなところに根付いて欲しいと祈っているようにも見えます。
 台風の影響で登山客もまだ少なく、市営北岳山荘布団一枚のスペースを確保できて今日はラッキーな一泊です。翌朝03:00星空の中、ヘッドランプも負けそうな、明るい月明かりを頼りに、間ノ岳(標高3189㍍)を目指します。目的はただ一つ山頂のご来光です。最近は折角のご来光を仰ぐ登山者はほとんどいません。今朝もたった一人で、でき立てのお粥を啜りながら、この神々しさを独り占め、縦走路で出会う感動の場面です。
 河合隼雄は著書「昔話の深層」(講談社+α文庫)の冒頭でこの神々しさについて書いています。ユングが東アフリカのエルゴン山中の住民のところに滞在中、住民がこの神々しさを崇拝するのを知って、住民に「太陽は神なのか」とたずねると、馬鹿なことを言う、といって否定したといいます。中天に昇った太陽は神ではないが、東から昇る太陽は神であるというのです。太陽が暗闇から昇る瞬間のご来光こそ神だといったのです。ユングは自伝にこう述べたそうです。
 「人間の魂には、始原から光への憧憬があり、原初の暗闇から脱出しようという抑えがたい衝動があった・・・・・・・太陽の生誕は、圧倒的な意味深い体験として黒人たちの心を打つ・・・・光の来る瞬間が神である。その瞬間が救いを、開放をもたらす。その瞬間の原体験であって、太陽を神だといってしまうと、その原体験は失われ、忘れられてしまう」
 日本の神話もイザナミの命が日本の国すべてを生み出した母であり、そのイザナミは黄泉の国の支配者でもあるとあります。そのイザナミに連なる天照大神は日本の至高の神です。太陽は物質に過ぎませんが、そのもたらす光が地上のすべての命の根源であり、日本人の祖先もこの太陽の光の輝きを神として崇めたのではないでしょうか。

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コメント

雲水さん
こんにちは懐中電灯です
コメントありがとうございます
シャッターをひとしきり押した後に、深呼吸をしたりしています。運水さんの言われるチャクラというものは瞑想で言われていることですね。
 日の出前後一時間ほどいますし、だれもいませんから、今度登ったらしっかり気をもらってきます。大自然から気を貰うのが一番ですね。それを周囲に分けるようにするといいのでしょうね。

投稿: 懐中電灯 | 2006/08/17 11:27

ご来光の写真、絶品ですね。良い氣が出ているのが感じられます。パソコンの背景に早速利用させて頂きました。

自然界の氣には、山の氣、海の氣、月の氣等色々ありそれぞれ特徴がありますが、太陽、特に朝日は最高です。手を広げて「老宮」を中心とした手掌、眉間にある「印堂」胸の中心にある「壇中」、これらのチャクラから目一杯太陽の氣を取り入れると気分爽快です。お試し下さい。

投稿: 雲水 | 2006/08/16 22:51

コメントありがとうございます
<はしやんさん>
 ありがとうございます。無事戻りました。四日の行程を三日で歩いたので、大雷雨にあわずに済みました。ムリが結果オーライでした。僕の山歩きは単に老中のエネルギーの放散です。若い頃に経験してあったので、ゴルフバックをザックに代えて、56歳から復活したんです。昔の登山は、ご来光を仰ぐのも目的の一つですが、百名山ブームのせいか、頂上を踏むことに目的が絞られているのか、ご来光のために早起きをしなくなっているようです。おかげでいつも独り占めです。
<アントニオさん>
 まったくおっしゃるとおりで、言葉にすると陳腐なものになってしまうのですが、その瞬間に出会うとつい「アー!」とか「オォ!」とか発してしまいます。それと真夜中に小屋を出て夜空を確かめ、拝めそうな天気なら、夜更けに寝床を抜け出して歩き出さずにいられないんですね。これもきっと刷り込みですね。 
 今回の山行は「昔話の深層」を再読しようとポケットに捻じ込んでいきました。

投稿: 懐中電灯 | 2006/08/15 11:31

太陽を神と言ってしまうとその原体験が命を失われ記号化されてしまうわけですね。その原住民達の経験は日々新しいものであり、その大いなる光のかなたにあるXというもの経験していたと思います。そのXというものは言葉で表現できないもの、表現してしまった途端、輝きを失ってしまうものではないでしょうか?
懐中電灯さんは、その光が来る瞬間瞬間に何を感じたのか興味深いですね。
ユング自伝、古い本棚から引っ張り出し再読をしています。

投稿: アントニオ | 2006/08/14 17:27

まずは、無事のご帰還おめでとうございます。
目的をしっかり持って成し遂げられる姿にはただただ感服の至りです。多くの方はご来光のすばらしさを味わっていないのはもったいないことですね。私もそのうち機会を作ってあの感動をもう一度味わいたいものと思っております。

投稿: はしやん | 2006/08/14 16:52

コメントありがとうございます
坂道登さん
林道の発達と百名山ブームで、百名山のピークだけつまみ食いする登山者が多いので、頂上付近は北アに近い賑わいになってしまいました。しかし山が深いので、縦走路は無人に近い静かな山歩きが楽しめます。涼しい樹林帯で30分も昼寝をしたりです。
漆山さん
 流石一流の山岳部、僕のような怠け登山では昭和三十年代にキスリングで芦安から縦走するなど考えたことなかったですね。今は北アとあまり変わりなく気軽に登れるようになりました。
 鳳凰三山は手ごろで楽しめる好きな山です。青木鉱泉に下って汗を流すと最高です。
雑草さん
 太陽が雲の下からゆっくり頭を出してきて、光が満ちて来る一瞬はとても長く感じます。日本の登山は山岳信仰だったのもうなずけます。この日の日の出は薬師、観音、地蔵と仏様の名が付いた鳳凰三山の方角から太陽が出てきました。仏様の名が付いた山が多いのも山岳信仰のゆえんですね。

投稿: 懐中電灯 | 2006/08/14 08:56

「光の来る瞬間が神である。」この部分に引き付けられました。

投稿: 雑草 | 2006/08/14 07:54

50年ほど前に、鳳凰三山~広河原~北岳~三伏峠を歩いたことがあります。懐かしい思い出ですが、様変わりの広河原はその後20年ほど前に訪れ、びっくりし増した。山のてっぺんは昔のままでしょうが。一人旅のご様子、よく歩きますね。感服します。

投稿: 漆山 治 | 2006/08/14 07:40

天気が良くて素晴らしい山行になったようで何よりです。南アルプスや北アルプスの3000㍍級の山々は高校時代から憧れの山です。
特に南アルプスは注目が集まる北と違ってひっそりと楽しめそうでいつか登ってみたいですね!

投稿: 坂道登 | 2006/08/14 06:40

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