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2006/08/10

格差と貧困と

繰り返し格差の問題を取り上げていますが、格差の話にも混乱があるように思います。格差を是認している、自分がいわゆる勝ち組にいると思っている方々は、日本の負け組は負け組でも発展途上国の格差とは違って、絶対的貧困ではないと思っているようです。
 テレビに映し出されるフィリピンのマニラのスモーキーマウンティンでゴミを収集している子供の姿と比較して、日本に格差が広がって、努力しない奴が負け組になってもこれは貧困問題ではないと思っているのです。

 確かに親の仕送りでモラトリアムをきめこむ若者もいます。親の財産でニートから抜けられない若者もいます。乏しい年金を自分のために使わず、溜め込んで孫に与えて喜んでいる老人もいます。他人の若者に介護で世話になりながら、高収入の己の子供を自慢している親もいます。その介護の現場は重労働な仕事なのにきわめて低賃金なのです。
 しかし親の資産で二代、三代と無収入で生活できる若者はそう多くはありません。日本は先進国で、格差を縮めることで経済発展をしてきた唯一の国です。都市と農村の格差、肉体労働と知識労働の格差、学歴の格差、能力格差を縮めることで需要を喚起し、誰もが夜中でも安心して歩ける犯罪の少ない真に豊かな社会を実現してきたのです。
 今のニートやフリーターも好き好んで、その立場に身をおいているわけではないのです。人類の生成から今日の歴史を見れば分かるように、人間は誰でも前向きに、生きたいという想いを潜在的に持っているのです。その想いが封印されてしまい、そんな立場に身を置き、抜け出せないでいます。
 能力のある勝ち組と称される方々が「もっともっと」と、さらに吸い上げていったら格差の拡大はスピードを増すばかりです。その格差が次代、次次代へと引き継がれていったら、いずれ東京の周辺のどこかに、トーキョー・スモーキーマウンティンが出来し、現在の格差問題は貧困問題へと変容していくのではないでしょうか。
 フィリピンはまだましかもしれません。インドはご存知のように、紀元前3000年頃インドに侵入したアーリア人(ヨーロッパ系)がカースト制度という身分制度を確立して、バラモン、クシャトリヤ、バィシャ、シュードラの四階級をつくり、さらにその下に不可蝕民をおきました。階層間の結婚などいまでもできないのです。インドの経済が離陸する気配をみせていますが、この気の遠くなるような5,000年の格差は広がることはあっても縮まることはありません。
 そのインドで一億人を超える不可蝕民といわれる人々の中に少しずつ仏教が広がり始めています。日本人の僧侶後藤恵照和尚は1970年代からインドに学校をつくり貧しい子供達の仏教や英語を教えています。今では高等学校もつくっています。インドで生まれた仏教はその平等思想ゆえに、インドではアーリア人が作ったバラモン教に駆逐されてしまったのです。
 世界で唯一大乗仏教を発展させ根付かせた国日本、日本ほど平等思想(山川草木悉皆仏性)の普及した国はないのです。その日本人が格差拡大を是認してしまっては勿体ないですね。アメリカはもちろんですが、格差を広げながら成長していく中国、インド、ロシアなどの発展途上国にとっても模範となるべく日本の平等思想を広めてはいかがでしょう。先に豊かになったものの務めだと思うのです。格差を国別に見れば、すでに日本やアメリカは、インドや中国とは絶望的とさえいえる格差が広がっています。 

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コメント

雑草さん、アントニオさん、yumenosimaさん
コメントありがとうございます
<雑草さん>
>皆が貧しかったから頑張れた
 そうですね。僕も同じで「なんとか人並みの生活をしたい」それだけでした。これから難しいのは、普通の人は普通を確保できない時代になります。それが怖んです。
<アントニオさん>
>所得の格差であり品位、品格の格差でありませんよね
 その通りですね。所得(現在の収入)と富(過去の所得の蓄積)の違いもあります。品格とはむしろ富の使い方にあると思います。富が未来の所得に大きな影響を与えるようになると、次代はチャレンジ不可能になってしまいますね。特に権力と富が一体化してしまったらどうにも太刀打ちできません。だから日本人は富を持つもの、権力を持つものほど、品格を求めてきたのだと思います。
<yumenosimaさん>
>「大羽鰮」の声が聞こえてなりません。
 同感です。真の強者は犠牲になったものの悲しみをわかる者です。犠牲にしたものを祀るという習慣もあったはずです。祭りと祀りは表裏一体だと思うのです。「格差は甘え」テレビの前で真顔で語るほとが大勢いることこそが日本の品格を貶めていると思っています。
 しかしこれから個人の能力差が所得格差を拡大する時代だということも認識しておく必要がありますね。

投稿: 懐中電灯 | 2006/08/13 08:15

金子みすずの詩は教科書にも載っているようですが、「みんな違ってみんないい」というところが都合よく解釈されていますね。

オンリーワン、ベストワン、探しに若者を煽っているのです。

朝焼小焼だ 大漁だ
   大羽鰮の 大漁だ

   浜は祭りの ようだけど 
   海のなかでは 何万の 
   鰮のとむらい するだろう

大漁を謳歌する勝組の裏側でオンリーワン、ベストワン探しに疲れた「大羽鰮」の声が聞こえてなりません。

投稿: yumenosima | 2006/08/11 11:50

格差とは所得の格差であり品位、品格の格差でありませんよね。ところで所得の格差が何が問題になっているかというと持つものと持たざるものの広がりがあまりにも多くなったということでしょうか?

ただここで注意しなければならないことはその持つもの桁が圧倒的に違うということです。ですが、その様な人たちは万人に一人ではないでしょうか?僕はそのあたりをスパッと消してしまえば
そんなに所得の格差はないとは思いますがどうでしょうか?

そして問題なのはその万人に一人という人間を商業メディアがおもしろおかしく取り上げ、見る人間の欲望をさらに喚起させることではないかなと
思います。

本当に伝えなければならないことは、所得の格差より品格、品位の格差を問題とするべきかなと思います。その昔、武士というインテリがあまりにも貧しいことに西欧の人たちは驚いたといいます。貧しき中にも格調高く生きる人間の存在を考えるべきかなと思いますが、懐中電灯さんの論点とはずれていますでしょうか?

投稿: アントニオ | 2006/08/10 23:17

豊かさとは、自分だけが豊かになっても本当の「豊かさ」とは言えないのですね。
 話は変わりますが、以前祖母や叔父、叔母に40,50年前の話を聞いた時「あの時代は、今よりとても貧しかった。でもウチだけじゃなくて皆が貧しかったから頑張れた」と聞いたことがあります。それを聞いた時は理解できませんでしたが先生のお話を聴いてなんとなく理解できるようになりました。

投稿: 雑草 | 2006/08/10 09:26

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