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2006/10/02

臓器移植の問題

臓器移植に絡んでとうとう恐れていた問題が起きましたね。乱読のすすめで紹介した「神殺し日本」の中で、梅原猛が脳死臨調で反対論を述べ、少数意見として記載された経緯を書いています。アントニオさんからいただいたコメントへの返事として9月29日に書いたものですが、たまたま宇和島で臓器売買の問題が起こりましたので、加筆再録しました。
 

 インドではカースト制度の四階層からも外された最下層の不可触民は、何千年と路上生活を続けています。その不可触を夜寝ているうちに連れ去って、麻酔を打って腹を切り開いて臓器を摘出し、再縫合してしまうのだそうです。本人は朝起きてみたら身体の一部が切り開かれて縫った後がありますが、臓器の一部が切り取られたことはわからないのです。臓器移植を認めてしまえば富める者と貧しい者との間に命の収奪さえ起きてしまうのです。いよいよ日本でもという思いがします。約束の金も払わなかったというのですから、なにをかいわんやですね。
 梅原猛は「死者への愛のために、死をできるだけ遅く認めることが人類のゆかしい風習であるのに、心臓が鼓動している、身体の温かい人間を死者として判定することは許されない」と述べ、その上で”家族の同意ではなく、本人の意思表示”による臓器提供、臓器移植は必ずしも反対ではない、何万分の一かもしれない生の可能性を放棄して他人の命を助ける菩薩の行為として容認する」と述べています。
 僕はこの論にすっかり納得して、それ以来家族にも納得してもらってドナーカードを携帯しています。ドナーカードを携帯していると、可能性が残っているのに、取られてしまうのではないかと心配で、親しい医師に聞いてみましたが「心臓が止まるのが少し早いだけだ。生き返ることはないよ」といわれ納得しています。生きているうちは、他人にそれほど役に立つことができるはずもないので、幾ばくか他人に役立てばいいと、今のところすべてに丸つけて携帯しています。自分の気が変わるのではないかと不安を抱きながら。
 

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コメント

コメントありがとうございます
<雑草さん>
 インドだけではなく、世界中昔からあったのですが、臓器移植という医療技術ができて、認められて、裏の世界のことが表の世界に沁み出してきているのです。消費者金融も合法化され、表に出てしまったことです。消費者金融は各種カードとシームレスに繋がって、マイルドになり静かに広がっていくでしょう。
<アントニオさん>
 そんなに格好のいいものではなく、山歩きと同じ感覚ですね。喘ぎ喘ぎ、悩み気がつき、少しずつです。ドナーカードを持って5年近くなりますが、梅原猛の論で納得したからです。ドナーカードのいいところは、持っているうちに徐々にその意味を消化していくことができます。はじめのうちは、気が変わったら、いつでも持つことをやめればいいと言い聞かせて始まりましたが、だんだん自分が納得していきます。
 梅原猛の指摘するように、”本人の意思表示”に限るとするべきだと思います。死後の摘出のみ認める、それも本人の意思なら臓器売買は起こりませんね。

投稿: 懐中電灯 | 2006/10/06 10:03

ドナーカードを持つ懐中電灯さん、死というものを生きている命の中でしっかりと押さえているのを感じます。それはより輝く生のきらめきを思います。与えることの大きな力。すばらしいですね。

投稿: アントニオ | 2006/10/05 21:46

映画やドラマのような話ですね。インドではそのようなことが行われているのですね。
「金さえあれば命も買える、金のためなら魂をも売る」言葉通りの世界ですね。

投稿: 雑草 | 2006/10/02 08:43

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