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2006/11/02

北ア常念岳から蝶岳を歩く(4)自然は大いなる修繕屋

         <林道にはみ出したブナ>
20061007pict0003 タクシーは登山口までいかず手前で降ろされてしまいました。一時間あまり、余分に歩くことになりました。今夏の台風で、山懐に深く延伸されていたアスファルトの林道は山際まですっかり谷底に流されてしまい、ズタズタに寸断されてしまっています。所々山際に一筋人が歩くだけの道を新しく開いてあります。
 写真は地滑りしてはみ出したブナの大木ですが、すっかりアスファルトの林道を塞いでしまっています。昨夜の雨に濡れた林道を紅葉が赤く染め上げています。

                                                                       <路傍の野菊>
20061007pict0004 もともとアスファルトの林道を利用してきたのは、我々山を歩く人々だけが、時間稼ぎに、怠けてタクシーを利用していただけの道です。アスファルトの林道は、林業振興という名の公共工事だったのです。長野県の財政状態から想像すると、おそらくこの林道は、二度と修復されることはないでしょう。そしてこのように、かって公共工事のために山を崩し、山懐に深々と伸びていった日本中いたるところにある林道も、徐々に崩れて修復されないまま自然に戻っていくのではないでしょうか。意味もなく作られた林道は再建する意味もないのですから。
 崩れたアスファルトの道の路傍には露をまとった野菊が黙々と咲いています。どこでも見かける平凡な花でもアップして、一輪一輪をみると花はそれぞれ美しく咲いています。
 道路は地球から見れば、人間が自然を破壊し傷をつけた爪痕です。台風は道路を寸断し、アスファルトを谷底に流して、人間から見れば破壊ですが、地球から見れば、元に戻そうと修復しているのです。建設(破壊)するのは人間、自然はひたすら修復をします。地球誕生以来大自然はなにかに向かって合目的的に建設をしたことはなく、常に日々新たな均衡を求めて修復を繰り返していくのでしょう。生物(ただし人間を除いた)もその修復機能の一端を担っているようです。地球温暖化も人間が増やしたCO2の均衡を回復しようとしているのでしょう。

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コメント

>それでも近くの店が、客の心お店知らず、国道沿いに引っ越して
>しまいそうです。歩いていくにはしんどい距離です。

これも日本の戦後政治の誤りです。
大企業優先の経済政策がもたらした弊害です。
私たちの黒石でも昨年で町中の地元スーパーが姿を消し、
イオン系かセブン系に収束していく傾向で、
どんどん郊外に移動しています。
もはや住宅地の集まっている旧商店街から、田んぼの中の
ショッピングセンターに経済活動が移っています。
今困っているのは車を持たない市民、特に高齢者です。
私たちの地方は電車やバスがとても少なく不便なので
車を持っている家庭が多いのですが、都会に住む人たちよりも
それでなくても都会より低い所得に対して生活費の中の
車を維持する固定費が軽自動車で1台あたり4~5万円になります。
月収が15万円はいい方ですから手取りは12万円ぐらい、
これからアパート代が5万円、車に4万円支払ったら
3万円しか残りません。なんという事でしょう。
行政マンは市民のこんな事情を知っているでしょうか。
「自分たちの高い給与があたりまえで、所得が低い人は
頭が悪いから、能力がないから所得が低いのが仕方ない」
と心の中で思っているのではないかなぁ。

投稿: しじみ | 2006/11/05 06:44

コメントありがとうございます
<しじみさん>
林業振興、農業振興といって補助金を出しながら、結局日本人の悪い癖で、スーパー林道、道の駅、農面道路と箱物を作っただけで、農林業の生産性向上や品質の向上などソフト面の強化をしてこなかったことが、後継者不足や、本業不振を招いていますね。来年から中小農家の切り捨ても始まります。山を歩いていても行政の不始末がそこここに見えてきます。
<雑草さん>
日々の暮らしの中で少しずつ自然に親しむ習慣をつけることでしょうか?僕は車の免許も取らず、車を運転する生活は避けてきました。家の周りでは、自転車と徒歩を心がけています。スーパーマーケットもできるだけ徒歩圏内のお店にあるものは、他で買わないようにしています。それでも近くの店が、客の心お店知らず、国道沿いに引っ越してしまいそうです。歩いていくにはしんどい距離です。

投稿: 懐中電灯 | 2006/11/04 14:01

今の環境に慣れてしまった私達は果たして以前のような生活にもどれるのでしょうか?自然と共存できるのでしょうか?

投稿: 雑草 | 2006/11/02 08:23

おはようございます。
今回の部ログのコメント、まさにその通りだと思います。
道の真ん中にブナの木がスックと立ち上がっているのはみごとですね。
昔の人は自然の力をよく学んでいました。
自然に逆らわないで快適に過ごすための知恵を持っていました。
今はどうでしょう。
明治以降の日本の政治はどこか無理があるようですね。

投稿: しじみ | 2006/11/02 06:30

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