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2006/11/21

「核保有の議論」是非か非か

麻生外相や中川政調会長は「『核保有の議論』をせよ」と声高に叫んでいます。北朝鮮の核実験を世論喚起の好機到来と考えているのでしょう。戦争の悲惨さを知らない世代がどういう議論をするのでしょうか?
 議論の先の答えをべき論で二つ想定すれば結論は簡単です。
     1.日本も核武装すべきである。2.核武装すべきではない。
  「目には目を、歯には歯を」と単純に突き詰めていくと、核が拡散していく現代で、日本ほどの経済大国は当然持つべきで、持たなければ国際的な発言に重みがない。だから持つべし。と1.の結論に達します。果たしてアメリカは日本が核を自ら作って核武装することを認めるでしょうか。日本がアメリカから自立をすることを認めるはずがないのです。 
 

 唯一の被爆国日本、非戦闘員を殺してはいけないはずなのに、絨毯爆撃で日本中の都市という都市を廃墟にされた日本です。あの恐怖を右脳に焼き付けたアメリカが出す答えは「まだ懲りないのか」という一喝でしょう。中国、ロシア、南北朝鮮、アメリカを敵に回して孤立した日本が再び「栄光ある孤立」の道を辿ることがどういうことか目に見えています。
 それでは非核三原則を「作らず」「持たず」の二原則にして、アメリカが日本を守る証に、アメリカの核を「持ち込む」ことにしよう。という結論に達することでしょう。そしてそのための資金を要求してきます。要議論派の落とし所です。
 どうせ持てないのに「持つか、持たないか」の議論をしないで、なぜ核を作る技術、作る資金を十分持っているのに「なぜ戦後60年持たないできたのか」「持たないことの大切さを高らかに訴えて、核を持たない弱者連合の先頭にたって核廃絶の運動に資金を使ったほうが得策ではないでしょうか。
 
 

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コメント

コメントありがとうございます
<会長さん>
議論するには、最低限原爆資料館をみて欲しいですね。中学か高校の修学旅行に義務付けて原爆資料館を見学するといいですね。持たない覚悟をすることは、しじみさんのいう覚悟もしておく必要があります。
 日本沈没は地震と原爆を置き換えたら、日本人の同じ姿が想像できます。

投稿: 懐中電灯 | 2006/11/23 19:20

初コメントになります。
唯一の被爆国、日本、、、
戦後60年以上経ち戦争のことなんて若い世代にはなかなか理解できない所があります、
キューリー夫人は世の為人の為と研究に明け暮れて自身も放射能に犯され死んでいったのに戦争で使われるなんて思っても見なかったことでしょう、
俺も小学生の頃は、はだしのゲンなどを読んだり
広島の原爆資料館に見学に行ったりしました、とてもむごくて
悲惨な出来事があったんだなと胸を痛くした思い出があります
そんな事を考えると、核を所有するってことが
どんなに重いものなのか判っていないようなきがします。
チェルノブイリの原発事故もむごいものでした、、、
自分自身核の恐ろしさがどのようなものなのかは計りしれません、、、
だけど日本は核を保有するべきではないっ!!!!!


投稿: 会長 | 2006/11/22 00:32

コメントありがとうございます
<雑草さん>
この時期になぜこういう発言をするのか?発言の背景を読むことが大事ですね
<三代目さん>
江戸時代の武士は刀に紙縒りを結んでいたそうです。抜刀するには紙縒りをきらなければならない、刀を抜けば家名断絶ですから、よほどの覚悟をしなければ刀を抜けなかったようです。象徴として刀が必要だったんですね。
 FTA(自由貿易協定)が各国と結ばれていくこれから、食料自給率(カロリーベース40%)を上げることは難しいでしょうね。金額ベースの自給率は70%を超えていますから、技術力営業力のある農家は日本およびアジアの富裕層をお客様にして、安全で美味しいものを提供することで生き残ることが出来るのではないでしょうか?三代目さんのビジネスにも関係ありそうですね。ラディッシュポーヤが伸びているようですね。
<坂道登さん>
安倍政権の目的は憲法改正で、教育基本法改正はその第一歩、お二人の発言も憲法改正を目的とした発言でしょう。アドバルーンを揚げているのではないでしょうか
<アントニオさん>
 国の誇りは国家の成り立ち、そのベースになっている文化ではないでしょうか?日本は世界に誇れる平和国家です。天下分け目の関が原も半日で終わりましたし、封建制から近代への転換である明治維新の諸大名の武力を無血で取り上げた廃藩置県も無血でしたから。時間をかけて戦っていたら、当時のアジア諸国と同じ植民地のなっていたでしょうね
 ただ権力者が国の誇りとか愛国心を持ち出したとき、庶民は要注意です。庶民にとっては、そんなもの糞食らえです。家族が無事幸せであればいいのです。
<しじみさん>
 勇気のいる発言ですね。誰も認めたくない事態です。実は僕の心の底にはしじみさんと同じものがあります。もし仮に日本が核武装したとしても、日本人は、広島、長崎のトラウマがあり、先に使うことはできません。
 現実にはアメリカの属国になってしまった今、アメリカが持たせるはずがない、結論は見えています。憲法を改正して、集団自衛権を認め、非核二原則(今でも水面化で持ち込まれている)そして日本のために自国を危険に晒すはずはないので、もし日本に核が投下されたら、その段階で見捨て休戦になるでしょう。
 すでに沖縄から海兵隊もグアムに引き揚げていきます。集団自衛権を認めると、対中国の最前線を日、韓、台が担うことになるでしょう。韓、台は歴史的には中国に近いわけですから、日本だけが最前線に取り残されるシナリオもあります。その覚悟をすると、しじみさんのいう覚悟が必要ですね。徹底して平和を訴えていくことが、日本の存在理由だと思い定めることでしょうか。

投稿: 懐中電灯 | 2006/11/21 23:24

以下石原慎太郎氏の11月6日、産経新聞に載せられたエッセイです。
石原氏らしいひとつの現実論です。議論を深めるために乗せさせて頂きます。

>最近になればなるほど、昔司馬遼太郎氏がよく口にしていた言葉を思い出す。「日
本人というのは不思議な人種やなあ。多くの連中にとってある種の観念の方が目の前
の現実よりも現実的なんやから」と。
 国家民族の存亡に関わる「平和」についての日本人の考え方捉え方についてもしみ
じみそう思われる。平和を望まぬ者などどこにもいはしまいが、「平和」とはある国
家なり社会の現実に在る姿であって、その安定した姿が確立されていなければ「平和
」は平和として成り立たない。平和を願って成立させるためには、現実的なさまざま
な配慮手立てなくしては有り得ない。

 田中美知太郎氏の至言に、「憲法で平和をいくら唱えてもそれで平和が確立する訳
はない。ならば憲法に、台風は日本に来てはならないと記すだけで台風が防げようか
」とあったが、平和にしろ何にしろ、多くの人間が願う理念の実現には現実的な手立
ての積み重ねが要るし、それを脅かしかねぬものが在るとするならその排除、防御が
現実の手立てとして必要となる筈だ。

 多くの同胞を誘拐拉致し、多量の麻薬を持ちこんで売りさばき、多量の偽ドル札を
横行させている、まさに強盗に匹敵する隣国がさらに加えて核兵器を開発して、それ
をかざし日本を瞬時にして火の海にもして見せると我々を恫喝(どうかつ)している
時、それを防ぐ日本なりの手立てとして日本の核開発について議論せざるを得まいと
いう、与党の政策責任者の中川昭一氏の発言が、非核という理念をかざして非難され
るという現象は司馬氏の慨嘆を借りるまでもなく滑稽、愚かとしかいいようない。あ
る種の理念の前では自由な現実的議論さえ封じられなくてはならぬというのだろうか。

 そうした非難の前提にはアメリカの核の抑止力への盲信が透けて見えもする。核戦
略の技術は刻一刻変化進歩しているが、日本人の核に関するある理念を表象している
、佐藤内閣時代にいい出された非核三原則なるものが踏まえた当時のアメリカの核戦
略の抑止力のメカニズムそのものも、NORAD(ノース・アメリカ・エア・デイフ
ェンス)とSAC(ストラッジ・エア・コマンド)の仕組みからして当時の日本には
全く及ばぬものだった。沖縄返還の際に言い出された非核三原則なるものの空虚さに
ついて、驚くことに日本の政治家としては初めて現地を視察した私にNORADの司
令官が明言した通り、アメリカの核戦略に関する警備体制はその名の通り北米大陸の
みを対象としたもので日本への攻撃の察知には全く役に立たないものでしかなかった。

 当時の参院議員予算委員会で「核は作らず、持たず、持ちこませず」という三原則
は語呂合わせの阿呆陀羅経のようなもので、作らぬ、持たぬが故に持ちこまさせるべ
きはないかと質(ただ)した私に佐藤首相は、「これは国是だ」とつっぱねたが、佐
藤氏の兄の安保を相務条約として改定した岸信介首相の所信はあくまで核二原則で、
故にも日本への核の持ちこみ是としていた。

 ごく当たり前の話しで、従来現実日本に寄港するアメリカの重要艦船が搭載してい
る核兵器を、寄港の前にどこで外して下ろすかなどという話は聞いたこともないし有
り得る話しでもありはしない。

 しかし種々技術の進歩で核兵器の運搬手段も変化し、現に支那海に遊弋しているア
メリカ原潜には迎撃困難な強力な巡航ミサイルが搭載されるようになりはしているが
、当のアメリカの国力の減退、孤立化傾向の中でそれでもなおアメリカの日本防衛の
ための十全なパートナーシップが期待できるか出来ぬかは将来論のあるところに違い
ない。前にも記したが、アメリカは多量の人命の喪失に繋がる軍事的コミットメント
にはますます躊躇するだろうし、その一方中国は毛沢東以来の伝統、半ば国是として
、千万単位の人命の喪失には無頓着でしかない。

 そうした状況の中でさらに強盗国家の北朝鮮までが核兵器の開発を提言着手してい
る現実に、日本が自力でどこまでどう対処すべきかを論じることそのものを非難する
という神経は売国的とすらいえそうだ。

 私がかつてアメリカの核戦略基地を視察した頃、当時の沖縄返還を巡っての非核三
原則とアメリカとの繊維交渉のもつれを踏まえて、毎日新聞が日本の核保有について
世論調査った結果は、その是非の数値が35対36という際どいものだったのに驚か
された。そしてNORADとSACの体験事実を踏まえて「非核の神話は壊れたか」
という論文を書いたことがある。その時点では、私は条件つきで日本の核保有は得策
ではないとしていたが、日本に決して好意的とはいえぬ中国の得体の知れぬ核軍備拡
張と悪意むき出しの北朝鮮の核開発という現況の中で、その気になれば簡単に成就可
能な日本の核保有の是非について、まず議論をしてみるというのは日本の平和と安全
の確保のために当然の姿勢と思われる。

 ちなみに中川氏の提言が、日本の核保有の可能性を熟知し一番恐れている中国外交
上にどんな影響を与えたかを眺めるがいい。

 中川発言は当然のこととして中国の北朝鮮の核保有に関しての姿勢を大きく規制し
たし、今後も深い影響を与えるだろう。発言は平和という一つの重要な「現実」を形
成していくために、現に強いインパクトをもたらしているということを、平和を願う
者たちこそが知るべきなのだ。

投稿: アントニオ | 2006/11/21 18:53

私の考えは極論でしょうか。
私はちっとも極論と思っていないのですが。
この種の議論にはひとつ抜けている所があると思います。
日本民族の永久的な保持が目的なのか、自然の成り行きに任せるのかです。
私は基本的に自然の成り行きに任せるべきとの立場です。
それが恐ろしい核の力によって全国民が滅ぼされたとしてもです。
それがいやだという人はこの議論が白熱していく事でしょう。
それは現実に起こるか起こらないのか予想がつかないし、核拡散を止めてもらえる地道な訴えかけしか道がないからです。
いわば我々の命は一部の政治家によって白黒つけられる弱い立場にあるのですから。
どうせ日本民族を含めて全地球上の生き物が壊滅しても宇宙は無くならないのですから。

投稿: しじみ | 2006/11/21 16:55

一昔前なら核における白日の議論はタブーでした。タブーが多いほど、非文明国であると僕は思います。核議論、憲法改正問題と日本もやっと成熟した国家へむかっているのかと考えます。
持つ、持たざると議論は多いに結構。議論の自由は保障すべきですし、核保有論者の話もじっくりと聞くべきです。
平和とは、観念のものでなく、ある現状維持を言うわけです。

核の恐ろしさは、民主的手続きをもったない国家が持つことです。
地政学的なリスクをもつわが国が、わが国民の安全と平和を維持するか考えざるを得ない現状があります。

国家が軍隊などの暴力的装置をもつことは必然であり、その装置の度合いが問題になっているような気がします。

僕は1961年生まれ、僕らの年代は、国を守るという観念がありません。国は、誰かが守ってくれるもの、これはアメリカの占領地政策の成功例でしょうね。国家としての独立とは誇りとは考えずに生きてきました。

懐中電灯さんは国の誇りとはどのように考えますか?

投稿: アントニオ | 2006/11/21 11:57

日本国憲法前文と第二章を読めば、戦争はおろかましてや核武装など、お二人が何を言いたいのか理解できません。

投稿: 坂道登 | 2006/11/21 09:27

議論することは、問題無いように思います。
結果「核保有は必要なし」と言うところに辿り着けば、私が思う理想ですね。

大きな力を持つことが、自らを守ることが出来るというのは、現代では違うようにも思います。
日本の昔、武士だって、むやみやたらに日本刀を振り回すバカは少なかったでしょう。

核を持つ持たないよりも、日本は自給率を上げることが大切と考えてます。

投稿: 三代目 | 2006/11/21 09:15

1.は感情が先行しているように感じます。
麻生さん、中川さんの発言は影響が大きいのでもう少し慎重になって頂きたいですね。

投稿: 雑草 | 2006/11/21 09:09

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