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2006/11/24

松岡正剛著「フラジャイル」自他共に「弱さ」を認めると楽になる

書名   フラジャイル (弱さからの出発)
著者   松岡正剛
出版社 筑摩書房(ちくま文芸文庫)

 いつから大人がこれほど意地汚くなってしまったのでしょうか?教育委員会の不甲斐なさ、校長は報道陣の前で頭を下げて、「いじめは無かった」と平気で嘘をつきます。テレビの前で全校生徒はもちろんのこと、自分の家族も見ていることを忘れているのでしょうか?
 企業の不祥事でも同じです。報道陣の前で散々「不祥事はなかった」と会見していながら、最後は『実はありました』部下から報告がなかった」と部下に責任を擦り付けて、頭を下げて終わってしまいます。
 企業のトップはいかなる問題も、社内においては部下の責任は部下の責任です。しかしいかなる問題も、企業と外部との問題は、全ての責任はトップが負うものです。テレビの前でお客様、社員やその家族、自分の一族もテレビを見ています。
 子供のころ母親はよく「お天道様が見ているぞ」父親は「天網恢恢疎にして洩らさず」といっていましたが、極貧の中で育ったので、「そんなの嘘だ」と叫びたい局面に何度も遭遇してきました。

 しかし老中の下り坂を歩くようになって、同世代の権力を握った人たちの悲しい姿をみるにつけ、「天網恢恢・・・」父母が口うるさくいっていたことが、間違っていなかった、まあまあ言うことを聞いてきて、今の姿でよかったのかと思ったりします。
 「いじめによる自殺」、それを苦にして「自殺する校長」「欝に落ち込んでしまうビジネスマン」ともに共通するなにかがあるように思えます。
 その何かとは「自他共に己の中の弱さを封印」してしまったことではないかと思うのです。
「勉強ができないのは努力が足りないから」→「努力しなかった自分が悪い」
「いじめられるのは弱いから」→「強くなれない自分が悪い」
「目標未達は、行動力がないから」→「できなかった自分に責任がある」
「根性が足りない」→「なんて俺は情けない」などなど

 自他共に、個人から組織から社会から「弱さ」を封印していまいました。「強い」からこそ権力中枢に辿りついたのでしょう。だったら最後まで「強く」あって欲しい、頭を下げないで欲しいのです。頭を下げたひとは、正しいと思ってやってきたのではなく、他人の「弱さ」につけ入る「強さ」」を持っていただけなのではないでしょうか。
 どれだけ弱い人を傷つけてきたことでしょう。頭を下げて、やっぱり私も「弱い」といわれては、傷つけられた弱い人は立つ瀬がありません。「お前も同じだったじゃないか」と飛んでいって殴りたくなります。それとも厚顔無恥を「強さ」とでもいうのでしょうか。
 このブログを通して何度も「弱さ」について書きましたし、「擬似体験を通して『会社経営』を学ぶ」という視点で足掛け三十年企業人対象に研修をしてきました。毎回必ず今西錦司の「棲み分け進化論」を紹介して、

「どうしたら競争しなくてすむか」
「進化の『進』は『時の流れ』
「『化』は『変わる』」
「『時の流れ』の中で企業を『変えていく』ことが真の経営戦略です」
経営戦略の中に「棲み分けをいれて欲しいと訴えてきました。

 自分が「強い」と感じるのは相手が「弱い」からです。「強さ」の裏に「弱さ」があります。自分にも「弱い」部分はあるのではないか、己の「弱さ」に目を瞑ることではなく、「弱さ」に気づいたとき「進化」が始まるのではないかと思います。自らも周囲からも「強者」と思われていた大手スーパーも産業再生機構を経て、解体作業が始まっています。
 日本人は「祇園精舎の鐘の声・・・・・」に「諸行無常」を聞き、「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」方丈記の川の流れに「生々流転」を見てきました。
 「儚さ」を広辞苑で引くと「はかとは目標量」とあります。「儚い」は目標通りにはいかないということだったのです。「人生は儚いもの」と己の「弱さ」を肯定しないと、発狂してしまいます。今こそ「弱さ」を積極的に認める時代が来ているように思います。
 苛められて家に帰ると母親が「弱虫、泣き虫」と怒ります。「多勢に無勢」といっても言い訳としか聞こえないのです。仕方が無いから「涙腺が太いんだ」といって泣いたことを思い出します。時には「三十六計逃げるにしかず」です。
「努力する才能を親から貰っていない」
「知能指数も親から貰っていない」
「腕力も・・・」と開き直って遁走するのもいいのではないですか。

1995年に出版された本があります。今までお奨めしたいたいと思いながら、できなかった本です。タイトルも不思議ですがサブタイトルがいいですね。高価だった単行本、貴重な単行本が、最近文庫本で再刊されるようになりました。軽くなって風呂の中でも読めるし、ありがたことです。

 

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コメント

コメントありがとうございます
<会長さん>
難しいテーマですね。僕自身、老中になって、それまで数々の失敗を重ねて気がついたことも沢山あります。
 研修の冒頭で「経営にとって大事なことは、考え抜いて正しい意思決定をすることではなく、間違ったらさっさと謝って、軌道修正することだ」と申し上げたのも、このことです。人間は万能の神ではなく、間違いをする、欠点だらけの、弱い者なんです。意思決定とそれに伴う行動は、自分や会社の未来を変えるものです。たとえ正しい行動だとしても、それは自分の立場として正しいことです。世の中、一億人には一億人の正しいことがあり、その影響のコダマで変化していきますから、未来は思い通りにはならないのです。
 だから間違ったら直ぐに謝って軌道修正すればいいんですね。テレビの前で頭を下げているのは、謝っているのではないのです。謝るということは行動を変えることが伴っていなければいけないのです。
 だから俺は強いと自認してきたひとほど、頭を下げるばかりで、行動を変えられないのです。それを傲慢というのでしょう。会長さんは後継者です。会社は経営者次第、日々自分も世の中も変わっていることを認める「弱さ」を認めてください。
 「生々流転」「諸行無常」は森羅万象、宇宙空間すべてのものは、日々変わっているということをいっているのです。世の中には「無常」を「非常」→「非情」と勝手に聞き違いをする人も多いようですね。

投稿: 懐中電灯 | 2006/11/25 11:57

「勉強ができないのは努力が足りないから」→「努力しなかった自分が悪い」
「いじめられるのは弱いから」→「強くなれない自分が悪い」
「目標未達は、行動力がないから」→「できなかった自分に責任がある」
「根性が足りない」→「なんて俺は情けない」
このようなことはよく思っています…
懐中電灯さんの日記を45分くらいずっと読んで意味を理解した上で
何が言いたいのか、自分はどうすればいいのか、考えました。
がなかなか理解ができない自分がはがいいです!!!
でも自分の弱さが判ればその弱さを肯定することも大事だって事は
判りました。
懐中電灯さんのコメントに弱みとして排除した事が原因だと
載せてましたが、それがちょっと高いけどいいにつながるんだなーと
納得させられましたよ。。。

投稿: 会長 | 2006/11/24 21:29

コメントありがとうございます
<雑草さん>
ストレスを感じるのは力に力で応じるからではないでしょうか?弱さを認めれば、「暖簾に腕押し」「柳に雪折れなし」ロシアのクトゥゾフ将軍もロシア軍の弱さを自覚した作戦で、破竹のナポレオンを撃退しナポレオン没落のきっかけを作りました。
 弱者が弱さを自覚したら敗者にはならない」が持論です。弱者が己の弱さを自覚すれば、助け合いもできるのではないですか。雑草さんが加入しているボランタリーチェーンも本来弱者連合のはずです。鰯は群れを作って、リーダーがいないのに、一糸乱れず行動しますね。マグロは鰯の群れを掻き乱して襲いますね。
 動物はオス同士の闘いでも背を向けて、尻尾を巻けばそれで終わり、殺すまで叩くことはありません。僕も子供の頃はよくいじめに遭いました。たとえ負けると分かっても、いじめの原因は自分ではどうにもならないことばかり、売られた喧嘩は闘ったものでした。それは負けても泣いたり、逃げれば深追いはしないという動物と同じ不文律がありました。それに数日経てば仲直りしていました。
<三代目さん>
 その通りです。フラジャイルとは「弱い」「欠けていることそのもの」であったり、辺境性、わびしさ、うつろいやすさ、といったものです。演歌の歌詞に多く歌われている感覚です。
 空手道場に通ったんですね。武道を習うと「柔よく剛を制する」に出会いますね。 
<アントニオさん>
自分の弱さに気づいたら、それを直すのではなく「生かす」ことが大事ではないでしょうか。数年前全国のお米屋さんの会合で講演をする機会があり、そのときお話をしたことがあります。
 お米屋、お魚屋、お酒屋、「お」がつく商いが軒並み駄目になっています。「御」は屋についているのではなく、米、魚、酒についているのに、いつの間にか屋についていると勘違いしてしまったことが原因ではないでしょうか?「御」という「強さ」に依存してきましたが、その「強さ」はもうないんですね。そのことに気づかないまま衰退しているのではないでしょうか。
 昔のお米屋、お酒屋、牛乳屋は御用聞きで配達をしていました。配達先は地域の富裕層です。お金持ちの証明書を売っていたのです。ビールはビンでガチャ、ガチャ音がして近所に聞こえることが大事です。牛乳瓶の受け箱が玄関にある家がお金持ちの証明でした。
 あの頃缶ビールでは売れないのです。誰でも飲めるようになって、スーパーで買うから、缶ビールでいいんです。牛乳瓶も音が不要になって紙パックになったのです。
 黙っていても売れていて、お金が入ってきて「御用聞き」なんて、「配達」なんて、と大事なものを、「いやなこと」「馬鹿馬鹿」しいこと、すなわち「弱み」として排除してしまったことが衰退の原因ではないでしょうか。「御用聞き」「配達」こそ商いの原点ではないでしょうか?ひょっとすると、ルイヴィトンと同じ?

雑草さん、三代目さん、アントニオさん、
左の袖の乱読の薦めにも掲載しました。是非「フラジャイル」を手にしてみてください。きっと座右の書になりますよ。

 

投稿: 懐中電灯です | 2006/11/24 20:37

懐中電灯さん、個人メールでも出した通り、今、僕は、僕自身、そして会社の弱さが見えてきました。
強がりをはっていた自分がいました。僕は違うよ、他の会社と違うよと現状を隠蔽していました。
しかし、今のビジネスモデルに亀裂を感じている中、見ざるをえない曲がり角に来ています。
僕はしっかりと自分の弱さを再確認し、そのモデルを作り直そうと思っています。
弱さを見つけ解体作業ですね。


投稿: アントニオ | 2006/11/24 18:02

 自分の中にある「弱さ」を認めることが「強さ」なのかと漠然に感じてます。自分はAB型の二重人格だから感じているのかな?とも思いますが(笑)。そこから、弱い部分を強さが諌め、強い部分が弱さを補っているように思います。
 10代の頃、喧嘩に負けて、強さを求め空手道場に通ったこともありました。空手の修行の中で学んだことが多々ありました。何事も足りないものや知らないことからのスタートのようにも思います。(「足りないものや知らないこと」を「弱さ」と考えるのも変なのですが)
 若輩の私の場合は、まだまだ考え方も浅いのですが、自分自身の中にある「弱さ」は理解しているつもりです。

投稿: 三代目 | 2006/11/24 11:05

ストレス社会という言葉を聞きますが、世の中が弱さを認めてはダメですよ(あの人が出来るのだからあなたもできるはずです)ということを信じている結果が現状なんでしょうね。
 でも今の世の中弱さを認めた人は生活ができるのでしょうか?

投稿: 雑草 | 2006/11/24 08:14

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