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2006/12/10

映画「武士の一分」に「弱者の一分」を観た!(2)

 老藩主の映画の中ではセリフはたった一言、庭先で平伏している下士(弱者)自分のために盲目になった新之丞に廊下を走り抜けながら「大儀」のたった一言です。
 ところが家禄安堵は島田籐弥の口添えではなく、己の身代わりとなった藩士に対する労いのための藩主直々の意思決定だったのです。家禄もそのまま、家名安泰(子々孫々まで安泰)です。言葉はたった一言でしたが、これが弱者を労わる強者の一分です。

 島田籐弥は自分では取り成しもしないで、弱者を弄んでしまいます。それを知った新之丞は、騙された妻の恥とそれを離縁した己の「武士の一分」通すために剣の修行をします。免許皆伝の上士(強者)と盲目の下士(弱者)の果し合いは、腕を切り落とされた上士の敗北に終わります。「勝ち組」島田籐弥が「負け組」に落ちる切所がここにあります。
 「止めを」と叫ぶ下僕徳平に「もうよい」と新之丞の一言が単なる復讐ではない「弱者の一分」が光っています。生かしておいたら復讐される恐れがあります。復讐は危機を脱した「勝ち組」の常です。ところが腕を切り落とされ城中に運ばれ、恥ずかしい思いをした島田籐弥は、果し合いの経緯も相手の名前も明かさず、残された腕で切腹して果てたのです。もし経緯を明かせば、己も敗者に落ちますが、新之丞も上士に刃向かったかどで切腹は必定でした。藩は深く詮議することなく「沙汰止み」として収めてしまいます。ここにも老藩主の行き届いた政治を垣間見ることができます。
 老藩主には強者の一分を観ることができました。木村拓哉の新之丞には「武士(強者)の一分」と「下士(弱者)の一分」二つながらの「一分」を観る思いです。さて敵役、坂東三津五郎の穏やかな渋い演技が、島田籐弥が単なる「勝ち組」ではない雰囲気を漂わせています。 山田洋次監督の藤沢周平への深い想いと読み込みを感じさせる演出です。
 けっして単に上士(強者)の立場を利用して加世を手篭めにしたわけではなく、若い頃からの思慕が背景にありました。そして最後に黙して語らないまま、切腹して果てることで、武士(強者)の一分を取り戻し、「負け組」になることを免れたのではないでしょうか。
  果し合いを終えて戻った新之丞は、芋の茎の煮物を食べながら「知らないままでいたほうがよかったのではないか、いやいやそうではないはずだ・・・・・・・・」と独白します。独白しながらそのご飯、その芋の茎の味に加世を感じています。その夜の食事は徳平が密かに呼び寄せた加世が用意したものだったのです。
 長い歴史の中で日本人の中に培われた”一分”それは強者にも弱者にもあって、それを失ったとき、人は皆「負け組」になるのではないでしょうか?
 今の日本の世相をみるにつけ「知らないままでいたほうがいいのか、いやいやそうではないはず・・・」の新之丞の独白は、そのまま我々弱者である庶民の耳に囁いています。「知らないままでは庶民は皆『負け組』になるぞ」と。

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コメント

コメントありがとうございます
<三代目さん>
「分をわきまえる」いい言葉ですね。「分相応」も大事な言葉です。現代の市場経済はおカネの魔性」で「分」を壊わしていく、それが欲望社会です。「願望は実現する!」「夢は実現する」も危険な煽動です。願望の中身、夢の正体が問題で、多くは目に見える「欲望」過ぎません。
 「分」は封建的、人間みな平等という美名で壊されてしまった、「一分」を取り戻さねばいけませんね。「弱者の一分」

<seanさん>
 単なる夫婦愛とか、復讐といった視点で観ては、結局現代の歪んだ視点から目を逸らすだけ、むしろ同じ歪んだ目で観ていることにならないかと危惧します。
 ことさら加世は身寄りのない、行く先のない天蓋孤独の身の上を強調していました。その夫から見て、弱い立場の加世をなぜ離縁したか?あのとき「強者の一分」を取り戻したのだと思うのです。
 そして事実は?今この瞬間に目を逸らさず、向き合って、事実を掴むことの大切さと、怖さを教えてくれました。
 研修などで若い方と接する機会が多いので、時折先生面をして「分を弁えろ!」と言いたくなる場面に遭遇します。慌てて口にチャックしますが、間に合わないこともしばしばあります。
 今の日本では我々老中が「楢山節考」のおりんを思い出して、分を弁えないと、若者の未来が悲しいことになります。
<yumenosimaさん>
 「一分」を通して老中を生きましょう。「老中の一分」は若者を信じて、若者に道を譲ることでしょうか?道を譲れる若者を一人でも多く、育みましょう。

投稿: 懐中電灯 | 2006/12/11 09:51

観ました。
こうした物語こそ、人々に勇気を与えてくれるのですね。
日本の男性がラスト侍の心を取り戻し武士の一分を通せば、
この国は確実に蘇えることでしょうね。

投稿: yumenosima | 2006/12/10 18:56

うーん、参りました。
この映画にそこまで深い意味があるとは思いませんでした。
「分」の持っている意味は大きいのですね。
それ程とは知らず、子供がまだ学生のころに「本分を弁えろ」
とよく言ってました。

投稿: sean | 2006/12/10 10:12

 まだ自分が結婚する前、今は亡くなってしまった親父殿に「分を弁えろ!」と、何かにつけ、よく言われました。
 懐中電灯さんのブログを拝読させていただき、親父殿の言葉の真意が何となく解ってきたようにも感じます。
 

投稿: 三代目 | 2006/12/10 09:08

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