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2007/01/30

東国原新知事の「小さいけれど、大事な決断」と「埋没原価」

個人の人生経営でも、経営者の会社経営でも、コストに対する考え方で判断を過つことがしばしばあります。
「ここまで努力して来たのだから」
「ここまでコストをかけたのだから」
「ここまでお金を投資したのだから」
といって未来の情況をしっかり確認しないまま、今やっていることを継続してしまいます。
 滋賀の新幹線の新駅も新しい県知事嘉田由紀子氏は、建設中止の旗を掲げて当選しましたが、建設賛成派は「すでに投資したXX億円がムダになる」といいます。ダムの建設でも、諫早の干拓も同じです。みすみすムダになるプロジェクトを止められないのです。

 この
「過去に投じたXX億円」
「過去に使ったコスト」
「ここまでの努力」
これらを埋没原価(サンクコスト)といいます。すでに過去に使ってしまったエネルギーです。さてそのプロジェクトを継続するか否かを決断をするときにどんな判断をすればいいのでしょうか?
 そのプロジェクトを継続する場合に新たに追加しなければならない「コスト、努力」と、そのプロジェクトが完成した折に得られる期待収益とを、比較勘案すればいいのです。これを”増分”といいます。過去に使ってしまったエネルギー(埋没原価)は無視して、未来の増分だけで考えなければいけません。
 多くのひとが「ここまでつぎ込んだのだから」と、過去につぎ込んだエネルギーに捕らわれて、多くの収益を期待できないプロジェクトを継続してしまい、大事なエネルギーをムダにしていまうのです。うすうす詐欺だと気付きながら、つぎ込んでしまう投資話、含み損を抱え込んでスリープしてしまう個人投資家も同じです。
 含み損はすでに発生してしまった過去です。その銘柄を保有し続けるかどうかの判断は、未来です。その銘柄の株価が上がると判断すれば、一度損を確定して、即座に同じ銘柄を買い直せばいいのです。かかる増分コストは買い戻す手数料だけです。損を確定することで、「そのまんま」ではなく、判断、決断が入ります。買い戻す手数料は、判断コストなのです。ここは「そのまんま」ではなく、判断、決断が大切なのです
 さて本題の東国原宮崎県知事の件です。サプライズ当選のことは報道に任せるとして、豪華な知事公邸に「入るのか入らないのか」の決断です。この判断でおおよそこの知事の今後が予想できます。
 豪華な知事公邸のすでに掛かった建設費は五億円、維持費は年間一千万円掛かるそうです。知事は「公邸には「入らない」と公約して当選しました。テレビの報道を見ると、知事自身も「一千万円は、入っても入らなくても掛かるんだよな」と少しトーンダウンした発言をしています。
 経済観念のないコメンテーターも「どうせかかるんだから、そのくらいいいのでは」「勿体無い」「そこまで清貧にしなくても」と持ち上げます。この周囲の”よいしょ”耳障りの良い、ゴマすり(本人は善意ですから気付いていません)が危険なのです。
 トップはいつも裸の王様、周囲の”甘言”も”諫言”も共にゴマすりの一形態と考えて、冷静に判断する必要があります。
 東国原知事が公邸に入っても、入らなくても既に支出した五億円は戻ってきません。一千万円の維持費も毎年掛かってしまいます。したがって東国原知事にとっては公邸に入る、入らないの決断には「増分コスト」はゼロです。そして公約(マニフェスト)の第一ページを破ることになります。マスコミも世論も、自分がいった「勿体無い」「そこまで清貧にしなくても」は、悪魔の囁きだったことが、後で分かるはずです。
 東国原知事にとって、「入る、入らない」の決断は、一にかかって、自分の収入の中から、家賃を払って賃貸住宅に住むか、もしくは、自腹で自宅を持つ「増分コスト」「公約を守る効用」との比較、もしくは家賃ただ、「増分コスト」ゼロと「公約を破るマイナス効用」との比較判断にかかっています。選挙戦に敗れたライバルも注視しているであろう、小さなそして重大な決断、とてもシンプルですが、難しい判断です。難しいのは己の心のあり様です。
 宮崎県にとって”増分”は、取り壊す費用と維持費の比較です。東国原知事が二期八年務めれば、入ろうと入るまいと、八千万円の維持費で公邸を維持できます。次の知事がまた公邸を五億円で建てるよりは八千万円で維持したほうが得ですね。
 東国原知事にとって”増分”は、「公邸に入らず」に二期八年やれば「公約を守った」上に、さらに、八千万円から取り壊し費用を差し引いたコストを、節約したことになります。しかも次の知事が改めて五億円で公邸を建てることは、選挙民の手前まず不可能ですから、県が年間一千万円の節約を永続する決断をした、素晴らしい知事として名を残すことになるでしょう。「そのまんま」では駄目なのです。
 企業経営にも個人の人生経営にも”埋没原価””増分”「捨てる決断」のためのシンプルで、役に立つ思考です。
 
 

 
 

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コメント

参照
あきらめられない心理

東国原新知事の「小さいけれど、大事な決断」と「埋没原価」

投稿: サンクコスト(埋没原価) ―諦める審理、諦めきれない心理― | 2007/03/10 13:21

>さて本題の東国原宮城県知事の件です。
>宮城県にとって”増分”は、取り壊す費用と維持費の比較です。

東国原氏は、宮城県知事ではありません。
「宮崎県」知事です。

投稿: かとうかず子 | 2007/02/12 22:54

コメントありがとうございます
<会長さん>
「学ぶ」のは己の心の中に眠っているモノに気付くためです。モノを仏教では仏心といい、陽明学では良知といっています。すでに自分の中にあるのですが、欲がそれを暗くしているのでしょう。そのことに気付いけばあとは楽になるのでしょう。他人の話も、書物も日々の行動の結果も、一生かかって己の中のものに気付くための媒体なのです。
 「捨てる」には己の欲を捨てることが大事なようです。東国原新知事は、今日(2/6)のニュースの中の言動では、僕が一番心配している決断をしそうです。公邸、公用車を捨てる決断が今必要なのに残念です。東国原知事が成功すれば、庶民の浮動票は目覚めると思うのですが、残念ながら今回も、そうはならないようです。

投稿: 懐中電灯 | 2007/02/06 10:13

難しいのは自分の心ですね、、
まだまだ自分の”埋没原価””増分”は何をどうすればいいか
会社の為になるか判断が難しいですけど
「捨てる決断」を実践する時には自分の心に勝てるように
自分の心の弱さを克服出来るようにならなければと思いました。。

投稿: 会長 | 2007/02/01 21:40

コメントありがとうございます
<三代目さん>
 タバコ販売を止めた決断の折、きっとタバコの収益を捨てて、得るものという決断をしていたと思います。タバコで得られるであろう収益が、タバコ販売を捨てるコストです。これは機会原価(オポチュニティコスト)というものです。三代目さんは自然とこれらを意思決定に取り入れているので、間違いのない意思決定が出来ているのしょう。
<雑草さん>
機会原価という思考もあります。なにを捨ててなにを得るか?
天秤秤にのせるものが眼に見えるものばかりではなく、過去のコストであったり、未来の収益であったり結構間違うことが多いのです。

投稿: 懐中電灯 | 2007/02/01 10:18

”埋没原価””増分”そのような考え方をすると良いのですね。
ありがとうございます。

投稿: 雑草 | 2007/01/30 09:23

 「大風呂敷を広げて、引っ込みが付かない」なんて言葉を、たまに聞きます。ふと思い出しました。
 東国原知事には、私の生業の「宮崎米」の件がありますので、期待しているところです。是非、納得行く決断をして欲しいと思っております。
 現在の私の商売では、埋没原価は無いようにも思いますが、バランスを考えながら、今一度、冷静に見直してみたいと思います。

投稿: 三代目 | 2007/01/30 07:15

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