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2007/03/12

「現代に甦る陽明学」吉田和男著

書 名   現代に甦る陽明学
著 者   吉田和男  
出版社  麗澤大学出版会

元大蔵官僚で、現在京都大学大学院教授の著者が「現代社会を考え、日本を改革するためには王陽明を勉強すべきである」と考えて、王陽明の伝習録をご自身の桜下塾で講じたものをまとめたものです。
 古典としての伝習録を逐条解釈したものを読んでも、凡人の僕には中々字面以上のことを理解できなかったのですが、著者は経済学者であり元大蔵省の官僚という経験を踏まえて、まさにタイトル「現代に甦る・・・」形で難解な王陽明を料理してくれています。
 陽明学といえば「知って行わざるは、唯知らざるのみ」「知行合一」が知られています。幕末の名教師、吉田松陰はじめ高杉晋作など幕末の志士も、陽明学に触れて、この「知行合一」をエネルギーに明治維新を成し遂げたといわれています。

徳川幕府は、朱子学を公の学問として定めましたが、倒幕の運気が陽明学から起こったというのも歴史の面白さ、「因→縁→果」を感じます。
 宋の時代に朱子が、孔子の教えである儒学の学び方として朱子学を確立しました。300年後、明の時代に王陽明が儒学の学び方としての朱子学を批判して、新たに提示したのが陽明学です。朱子は「まず学べ」「知→行」といい、王陽明は「まず実践」といい、「知即行、行即知」といいます。「知」の捉え方が違うようです。王陽明のいう知とは己の中に本来持っている「良知」です。だから当然行動のエンジンは己自身「良知」そのものということになります。
 子供に「何のために学ぶのか」と問われて、大人が答えられなくなってきています。著者は学生に「だまされたと思って勉強しろ」といっているそうです。「勉強の結果がどうなるかは勉強して見なければわからない・・・・知らないから勉強しなければならなし、知らないことをいくら詮索してみてもはじまらない」と書いています。我々がなぜ終世、学ばなければいけないのか、答えはとても明快膝を打って納得しました。
 一方でビジネスの場で「やってみなければ分からないではないか!」ビジネスは実践だ!」といって思考を停止してしまう、”自称行動派”の方も多いのです。中小企業に勤務していた若い頃しばしば、この手の上司に悩まされました。これは、日頃学び知を磨いているから、自ずから行動に間違いが少なくなるのだということを忘れた、「知行合一」の乱用です。
  王陽明の哲学は「すべての宇宙は一体」であり、複雑系である。朱子は要素還元主義であり、デカルトの心身二元論に近い」という著者の指摘も王陽明への興味、本書への興味をそそるに十分です。
 

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コメント

コメントありがとうございます
<会長さん>
萩の町を訪ねて驚くのは、想像と違って、とても小さな町だということです。あの小さな町から明治維新の炎が燃え立った。若者の心に火をつけたのが吉田松陰です。会長は山口県人ですから、なおさら郷土の偉人の業績を知って、子供にも郷土の誇りを語り継いでください。
 留魂録(吉田松陰-講談社学術文庫)を読んでください。松蔭の死生観がとてもよく出ています。
 2003年11月第一回自立化塾で山口市にいった折、豊福康則さんのお世話で、念願の萩を訪ねることができました。その折一首ひねりました。

 友と来て 留魂の碑を 見つめいる
 出でよ松蔭 平成の世に

 松蔭の 思想は消えて 幾く星霜
 平成の危機に おびえるばかり
       (松蔭神社にて)

 回天の 想いを馳せて 神馬翔ぶ
 今色褪せて 境内にいる
  (高杉晋作や桂小五郎が子供の頃跨って
   遊んだという木造の白馬がお寺の境内に繋がれていました)
 

投稿: 懐中電灯 | 2007/03/17 09:35

自分は山口の生まれですが
吉田松陰の偉業を詳しくは知りません、
こうやって懐中電灯さんの日記を読んでいると
吉田松陰の事についてもっと知りたいと思えるようになりました、
陽明学を少しでも勉強してみます。

投稿: 会長 | 2007/03/17 00:14

こんにちは懐中電灯です
<雑草さん>
 是非手にしてみてください。学ぶことの意味がよく分かりますよ。雑草さんのお膝元、熊本にも、幕末の賢人横井小楠がいました。実学党と称したそうですから、学者であり実践家だったのでしょう。
<アントニオさん>
己のオリジナルってなんでしょうね。きっとアントニオさんは根本に強いものを持った人なのでしょう。
 僕は弱いし、自分で分かることは知れているので、キーワードが自分の心に触れれば、片っ端から手にします。読みかけて投げ出すものもあり、読了するものもありです。知らない町で、日頃入ったことのない書店に入るのが大好きです。陳列、商品としての書籍の選択微妙に違うので、思いがけない発見があります。この「現代に甦る・・・」も初めて入った書店で見つけたものです。経済学者としての著者のお名前は存じ上げていました。吉田和男→陽明学といったキーワードです。
 読書は食事と同じだと思っています。老中になって、さてこのまとまりのない読書はなんだったのだろうと反省したり、あきれたりです。読書は単なる知的浪費に過ぎないと思っています。 
 「自分の哲学は」と問われるとはたと困りますね。「あえて自分にとって哲学とは」と問うとすれば、「より良く生きるための処世術」ではないか。読書も、仕事も、交友も、家族も、お金も、すべては「より良く生きる」が目的で、後は手段(目標)ではないかと思うこの頃です。
 口でいうほど簡単ではありませんが「より良く生きる」ために邪魔になるものは「捨てればいい」のですからね。
 「より良くとは?」とは「生きるとは?」その中身を追求することこそ、哲学であり、「生きて過去の道筋」「これから生きる未来への道筋」かも知れません。
 最澄は「山川草木悉皆仏性」といいましたし、王陽明は「己の中にある『良知』に気付くために、『良知』を曇らせる『欲』を取り除くために学ぶ」といっていますね。ここでいう学ぶとは、孔子の教え、儒学を学ぶことのようです。

投稿: 懐中電灯 | 2007/03/13 09:01

人は自分自身の哲学を持ちえるか?
大事なのは自分の頭で考えること。自分の頭で考えるオリジナルな事。
僕は常に人の色メガネを使い物事を見て、考えています。それを自分のオリジナルだと勘違いしています。陽明学おそらく感銘するでしょう。ただ、色メガネがもうひとつ増えそう気がします。
懐中電灯さんは、先人の哲学、智慧、教え等とオリジナルをどのように分けていらっしいますか?また、オリジナルな考えを本に邪魔されないようにするための方法はあるでしょうか?
僕はオリジナルなものは、自身の識の中にあるような気がしてなりません。

投稿: アントニオ | 2007/03/12 22:54

以前紹介いただいた「炎の陽明学」で陽明学に興味を持ちました。
この本も是非読んでみたいです。

投稿: 雑草 | 2007/03/12 07:53

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