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2007/04/16

「リストラ」と「リストラクチャリング」の違い

            <目的と目標の関係>
Photo_17マイミク<meirouさん>の日記にリストラの話題がありました。リストラを憂慮しての日記です。
 リストラクチャリングと、リストラとは別次元のものですね。いつでもどんなことでも、言葉が短小化され省略語になると、その物事は粗略に扱われるようになります。マイミクの<meirouさん>が粗略にしているというわけではありません。念のため申し添えます
  大学院の第一回の講義でいつものように「目的と目標の峻別」を話しました。目的とは「Why」であり、目標は「What」です。そして峻別するとは深く、深く問い続けることです。深く問うためには、Whyを「なぜ」と訳したのでは駄目なのです。「何のため?」と訳して「なんのため?」「何のなんのため?」と掘り下げて思考すると、今まで気づかなかった潜在意識の中に沈んでいた、より本音に近い「目的」が見えてきます。

 そして「What」で明らかになる目標とは、目的のための手段に過ぎないのです。「企業経営の目的は?」と問うと、多くの場合「利潤の追求」という言葉が返ってきます。その「利潤は、何のため?」と問わないと、不二家や雪印のように些細なコストを節約した結果、企業の存亡に関わる問題を引き起こしてしまいます。
 業績主義、能力主義を成果主義と強弁し、ノルマ主義に陥ってしまい、追い込まれた社員が起こす不祥事、内部告発に存亡を脅かされる企業は後を絶ちません。利潤が目的化してしまうと「企業の長期維持発展」という上位目的が脅かされることになってしまいます。長期維持発展はさらに上位の「お役立ち」のための手段です。
企業の利潤は、新製品開発、新技術開発、新サービスの開発、改善といった社員の「創造性発揮」によってもたらされるものです。その創造性の発揮は「社員の活性化」によってもたらされるものです。社員を日々活性化しておくためには、「ヒト、モノ、カネ、情報」という四つの経営資源を日々組み替えて、成長分野にシフトしていく必要があります。四つの経営資源の組み換えをリストラクチャリングというのです。したがって経営者は不断に構造改革をやり続ける必要があります。
 P・Fドラッカーは名著「現代の経営」の中で、「経営者は自分の座っている椅子の足の一本を、常に切っていなければいけないと」書いています。また一ツ橋大学の伊丹教授は、「蟹は己の甲羅に似せて穴を掘るが、経営者は自社の経営資源より少し大きい穴を掘らなければならない」と書いています。その不安定な椅子、少し大きな穴が、企業組織を次の安定へ向かって突き動かし活性化させるのです。しかし我々口舌の徒が言葉で言うほど、物事は簡単ではありません。
 「未来において確実なことは、『未来は不確実だ』ということだ」とP・F・ドラッカーもいっています。最善を尽くしたつもりでも、思い通りにいかないのが未来です。思い通りにいかないのなら「未来は思い通りに行かない」と思いを定めて生きることが肝要です。
 経営において大切なことは「正しい意思決定を行うことではなく、意思決定が、間違ったらただちに直す」ことです。やむをえず、リストラと省略語でいうような、大を生かすために小を犠牲にしなければならない事態も起こりうるのです。それが経営の定めでもありますす。
 だからこそ強者である経営者に求められるものは、武士道精神であり、ノブレスオブリージェだと思うのです。社員はもちろんのこと、経営者といえども個人一人一人としては弱者です。しかし5人、10人、100人、会社としての組織は強者です。トカゲが尻尾を切って生き延びるように、涙をのんで小を切らねばならない事態も起こります。
 そこで切る側には「涙をのむ」「心で手を合わせる」、社員をそんな切所に立たせてしまった己の不明を恥じる心、弱者に対する思い遣りが求められるのです。強者にはノブレスオブリージェ、武士道精神といわれる精神が求められるのです。
 近頃「勝ち組負け組」という言葉が気軽に使われていますが、僕は「強者と弱者」と「勝ち組と負け組」とは定義が違うと考えています。僕は次のように定義しています。

「強者(-)ノブレスオブリージェ=勝ち組」
「弱者(-)自立心=負け組」

弱者は日頃から強者と一定の距離を保っていなければいけないのです。それが”自立心”です。弱者が自立心を失って強者に依存していると、いつの間にか強者間の闘争のとばっちりを受けて負け組に転落してしまいます。
 弱者が弱者である限り負け組にならないと思っています。「国家の品格」がベストセラーになりましたが、願わくば書名を「強者の品格」「エリートの品格」として欲しいと思っています。著者は国家といって焦点をぼかして語っているように思えます。
 今企業の不祥事は内部告発で表面化しています。近年日本企業も、経営者が勝ち組として振舞う傾向が強くなっていることとの相関関係にあるのでしょう。
  日本が今失いつつあるのは、まさに「武士の一分」ではないかと思っています。

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コメント

コメントありがとうございます
<たかやんさん>
「なぜ」では問いを立てるのには、弱いのでしょうね。深く考えるには「なんのために」がいいと思っています。
 子供にも「なんのために学ぶのか」→「より良く生きるために」→「自分のとって『より良い生き方』とは」とか

投稿: 懐中電灯 | 2007/04/25 10:53

明賀先生。Whyは何故ではなくて、「なんのために?」と考えなくてはいけないのですね。教えていただいたことなのに、実際にはできないでいました。全ての分野に繋がる考え方ですね。実践あるのみ!たかやん

投稿: たかやん | 2007/04/24 08:59

コメントありがとうございます
<雑草さん>
その通りですね。心を磨く「努力」ですね。「現代に甦る陽明学」を手にしてみてください。
<yumenosimaさん>
粋、野暮、気障、下衆の定義、まったく同感です。ちょっと気障に生きたいですね。
 反論がひとつあります。弱者は永遠に弱者です。「自立」は弱者をキープするために必要なんですね。家では女房からも「自立」していないと危ないですね。個人はすべて、弱者です。だから家族を作り、会社を作り、国家を作るという視点があってもいいと思います。

投稿: 懐中電灯 | 2007/04/22 10:18

>「強者(-)ノブレスオブリージェ=勝ち組」
>「弱者(-)自立心=負け組」

勝ち組はいつかは負け組みに落ちますが、
強者は永遠ですね。
弱者は自立によって強者になれますが、
負け組みの末路は哀れですね。

江戸庶民の価値観に当てはめてみました。
粋=強者
野暮=勝ち組
気障=弱者
下衆=負け組

こんなこと言って溜飲を下げてます(>o<)。

投稿: yumenosima | 2007/04/18 12:37

武士の一分を感じる感性も努力なしでは身につかない気がします。

投稿: 雑草 | 2007/04/16 08:45

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