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2007/04/23

顧客の「自己責任」と「一分」と

 「自己責任」という言葉が巷に、飛び交うようになったのはいつの頃でしょうか。鮮やかに記憶に残っているのは、イラクでボランティア活動をしていた青年が人質になったときです。以来流行になったのか、企業の経営者も政治家も安易に使い過ぎているように思えてなりません。権力者が「自己責任」という言葉を、庶民に浴びせるようになったら、その国の庶民は要注意です。

先日新宿駅でO電鉄に乗ろうと思いながら、考え事をしていたのか、うっかりK電鉄の改札を通ってしまいました。パスネットを使ったために、便利(?)なことに、本人の意思を問うこともなく、初乗り120円が引き落とされてしまったのです。行き先案内の電光掲示板を見て気がついて、慌てて改札口で駅員に尋ねました。

「間違って改札口を通ってしまったのですが?」パスネットを差し出すと、出札のマーキングをして、初乗り120円を現金で返してくれました。一瞬顧客志向の計らいに驚いて、お礼の「ありがとう」をいおうとした瞬間、K電鉄の駅員さんは、「『自己責任』なんだから、本当は返さない決まりなんですよ。『今日は返しますが!』今後は気をつけてください。」と罵声を浴びせるのです。礼をいう気も失せて、そそくさとO電鉄の改札口へと向かいました。

 歩きながら、普通の小売店なら、商品を手にしただけで、お金を取るだろうか?そんな疑問が沸き出して、徐々に不満がエスカレートしていきます。よくよく考えれば、パスネットはすでに購入時に、前払いしています。確かに利用者に便利というけれど、総額では莫大なお金が乗車以前に集まっているはずです。
 その金利の一部を利用者に還元してくれてもよさそうだとも思うし、改札も切符売り場も省力化が進んでいるはずですから、その一部を我々に還元してくれてもよさそうだとも思います。

 そういえば「俺は今朝、友人のお祝いにと三万円のお花を同じK電鉄百貨店で買った客だぞ、その客に『自己責任』と雑言を浴びせるのか」とも思ってしまいます。顧客にも「一分」があり、”一方的に乗せていただいている”わけではないのです。

 マーケティングの世界では顧客の囲い込みと称して、顧客と接点ができたら、その顧客に可能な限り多くのものを買ってもらおうとします。元来電鉄系百貨店は、沿線の住民はすべて己の顧客だと思って、あの手この手と手練手管を繰り出してきます。

今、駅中が注目されていますが、駅中はその典型です。とすればK電鉄の社員は同じグループのK電鉄百貨店の店員でもあるのです。マーケティング上では企業の総合力といいながら、一方で部門別損益とか業種別損益、独立採算などと、平気で矛盾したことをやっています。いつこの矛盾に気がつくのでしょうか。

お客はもっと木村拓哉に見習って「己の一分」を通さないと、都合よく身ぐるみを剥がされてしまいます。企業が「便利、便利」と声を掛けてきたら、一度は疑ってかからなければいけないのです。それが顧客(弱者)の一分です。

今では私鉄もJR(旧国鉄、今は私鉄の)も百貨店を経営し、駅中ショップを経営し、クレジット会社を経営しています。人々は歩いている間中、誰かに鵜の目鷹の目で自分の財布を狙われていると思ったほうがいいのです。狙うなら狙うで、頭の中で戦略を組み立てるだけでなく、グループはひとつの統合体として、もっと顧客の「一分」を立てて、「買わせてもらってありがとう」と気持ち良く、払わせて欲しいと願っています。

お客様から「『お金』+『ありがとう』」をもらう作戦を立てたらいかがと思います。成熟社会で商いの機会(Q)は減っていくのでですから、一回、一回の出会いを大事にして、「売り手の一分」「買い手の一分」お互いに尊重したお付き合いをしたいものです。気のせいか、近年顧客の接点がギスギスしているように思えてなりません。「顧客の自己責任」と一蹴され、「顧客の一分」が犯されている兆しか、それとも老中になった、己自身の老化の証しなのでしょうか。

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コメント

コメントありがとうございます
<アントニオさん>
「言葉は文化」まさに同感です。ブログのように短い文章でも、会話の言葉とは違って後に残るので、こだわりが出てきますね。
 あらためて広辞苑を引いてみると、「自己責任」という語は載っていないのです。「自己」を引くと「自己の責任」と使い方で出てきます。コンサイス英和辞典(古いものですが)にも「Self-responsibility」という語は載っていません。
 日本語の責任は「任を責う」と書きますが、英語ではresoponse(応答)ability(能力)となっています。
 企業の不祥事でもトップはテレビの前で、「責任を取って」といい、「引責辞任」いう言葉を使いますが、「責めを負って」という意味がこめられています。日本人の根底に、責任は外にあるものと考えがあるように思えます。
 そこで他人があらためて「悪いのはお前だ!」という意味を込めて「自己責任」と浴びせるのではないでしょうか。しかしあらためて言われるまでもなく、自分の行動(生きている証)の責任は、自分のものでしかありません。
 近年日本人が発する「自己責任」は責任を転嫁する側からの言葉です。他人から言われたら直ぐに納得しないで、一呼吸おいて考えたほうがいいようです。
 事例に挙げた電鉄の問題は、パスネットを買った時点で5,000円の責任(義務?)をすでに果たしているのです。後は権利を行使するだけです。これほど他人を信頼し従順な民族は、他に類を見ないのではないでしょうか。
 予め責任を果たしているのに、「自己責任」を浴びせられるのですから、プリペイド時代、クレジット時代はよくよく自己防衛に気をつけましょう。


 
 

投稿: 懐中電灯 | 2007/05/01 19:35

K電鉄の職員さんの、自己責任という言葉。

彼は自己責任という言葉を考えたことがあるのでしようか?
おそらくマスコミで広く流通している言葉を吟味することなく、自動機械的にインプットしているのでしょうね。
その職員さんの自己責任という言葉は、面倒だ、何故間違えるの?
という自らの不平不満という欲動に対し、便利な自己責任という言葉を置換することにより、ちっぽけな内的均衡を保っただけですね。

さて、この自己責任。もともと日本の文化的辞書にはないものだと推測しています。
僕はこの言葉の発端で思い出すことがあります。
小沢一郎のある著書。名前は忘れてしまいました。
印象的はエピソードから論理を発展させて行きます。
ある時彼は、アメリカのグランドキャニオンに行きます。
そこには、観光客の安全を守る柵がないというのです。
この象徴的な柵。彼はアメリカの自己の事は自分でという精神を
感じ感動したということでした。

たしかに僕もそこへ一度行きました。柵がなくすばらしい景色を
堪能できます。また、ガイドさんが言うには毎年何人かは落ちるそうです。

その柵。それをとることが自己責任。たしかにアメリカにとってはそうでしょう。しかし、我々が住むこの日本。土が違います。
その土には土にあった柵のとらえかたがあるはずです。
ただ、柵をとること。それが僕が叫んでいる自己責任という世界。
義務を放棄し権利だけを叫ぶ日本的自己責任。
さもないと先の職員さんのようにたんなる欲望の置換のために都合よく使われてしまう恐れがあります。

格差、勝ち組、負け組、自己責任。
説明義務、個人情報等わけのわからないアメリカ的発想なる底の浅い言葉の流通。
言葉は文化。もっと注意深くなりたいですね。

投稿: アントニオ | 2007/04/28 18:43

コメントありがとうございます
<雑草さん>
大丈夫、雑草さんならできますよ。
<たかやんさん>
スイカ専用の改札が増えてきて、僕のような切符派も不便になってきました。自分の都合の良い方向に、誘導していくのでしょう。昔は間違って乗り越したら、駅員さんに申し出れば、切符に「誤乗」という印をついてくれて、戻る事ができました。今なら「自己責任」です。
 怖いのは、スイカも電子マネーの一つだということです。自動的に銀行口座から吸い取られていきますし、現金を扱わないので、買い物に対する意思決定が希薄になり使いすぎてしまうことです。銀行口座はクレジットとつながっていきます。電子マネーがシームレスにクレジットにつながっていく、欲望を掻き立てて、欲望とシームレスにつなげていく、そこが相手の狙いですから。自己責任社会では、己の欲望をコントロールできるように、子育てをしておかないととても危険ですね。

<三代目さん>
 言葉は、しばしば心の叫びでもあるわけですから、用心したつもりでもつい忙しかったりすると、本音の言葉が出てしまいますね。
 顧客満足とかお役様第一主義を掲げることは容易いことですが、それを実行することはとても難しいということですね。馬脚を現すといいますが、あちらこちら、馬脚があちらこちらに見えている時代ですね。自自分も用心しなければと自戒しています。
<yumenosimaさん>
 高齢社会といいながら、一方で省力化、コストダウンが進んで、年寄りには不便になります。わが町のJR駅では緑の窓口が閉鎖になり、自動販売機を使うか、隣町へ行く以外になくなりました。

投稿: 懐中電灯 | 2007/04/25 10:39

スイカを切符を入れるところに入れて、機械を止めてしまいました。
「機械が壊れます」といわれました。
誰でも間違えることがありえます。
間違いで壊れるような機械は作らないで欲しいですね。

それにこの頃はすべて横文字です。
見てもすぐピンと来ないのです。
いつも思うのですが、停電になったらどうするのでしょうか。

投稿: yumenosima | 2007/04/24 13:09

駅員さんは、もう少し別の「言い方」が無かったものでしょうか?
残念ですね。

投稿: 三代目 | 2007/04/23 20:47

明賀先生。全く違う話ですが、この間スイカで困りました。私鉄に乗れると聞いていたので、改札を通ろうとしたのですが、どうかざしたらいいのか分かりません。私鉄のパスは中に入れるのだから・・・一瞬入れてしまおうかと思って・・・何とかかざすことに成功して、恥をかかずに通ることができました。僕でさえ、これですからお年よりは利用するのが大変だろうな、と思いました。便利な反面、帰って不便を感じる人もいるのでは・・・と思いました。
自己責任、自立支援・・・何だか同じ響きを感じます。嫌ーな感じです。

投稿: たかやん | 2007/04/23 20:17

『ありがとう』と言ってもらうには、少しの気遣いができるかどうかということでしょうか?自分はできているのかな?

投稿: 雑草 | 2007/04/23 07:56

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