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2007/05/31

岩井克人著「貨幣論」を読む(5)「ヨーロッパの自立」

<ユーロの誕生は米ドルからのヨーロッパの自立>
 第二次世界大戦が終わった翌年の1946年、偉大なる政治家イギリスの首相ウィンストン・チャーチルはスイスのチューリッヒでの演説で「我々は一種の『ヨーロッパ合衆国』といったものを築かなければならない。・・・・」と語っていました。
 第一次、第二次と二度にわたる世界大戦で主戦場となったヨーロッパはすっかり疲弊しきって、ヨーロッパの人々は戦争の悲惨さを十二分に味わったばかりでした。しかし戦後の復興が始まると、まず必要になるのが鉄鋼です。となるとドイツの鉄鋼産業の力が不可欠になってきます。石炭を売りたいベルギーとフランスも二度にわたるドイツの侵略に懲りて、警戒心を解くことはできませんでした。
 そこで1951年フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの6ケ国で、石炭と鉄鋼産業を共同管理する、ヨーロッパ石炭・鉄鋼共同体(ECSC)を設立しました。

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2007/05/29

岩井克人著「貨幣論」を読む(4)第二の敗戦記念日

<第二の敗戦記念日>
1985年9月22日ニューヨークプラザホテルで開かれた、米、英、独、仏、日の蔵相会議G5で、新たな米ドル救済策として為替の米ドル安誘導を合意しました。いわゆるプラザ合意です。米ドル・円レートはその年の内に240円から200円台へ、二年の後には、160円台へと円は高騰していきました。第二の敗戦記念日は9月22日になりました。
 輸出立国という過去の成功の呪縛から抜けることができない政府は、ここで内需拡大を旗印に、公共工事を中心に財政出動し、日銀は低金利政策と、資金供給を緩めバブルへの道を開いたのです。

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2007/05/19

鬼無里の水芭蕉

  <奥裾花湿原の若い水芭蕉>
20070504pict0011 2007年5月4日水芭蕉の株数では日本一といわれる長野県鬼無里へ。鬼無里はJR長野駅からバスで一時間、しかし、行って見ると、水芭蕉は鬼無里にはないのです。さらにバスで一時間奥裾花湿原に、水芭蕉はありました。雪を山肌に残した戸隠山の西側にあたります。
  水芭蕉の株数はここ奥裾花が日本一、尾瀬より多いそうです。尾瀬の水芭蕉は、泥炭層の湿原に群生していますが、ここはぶなの落葉が腐葉土となって、水をたっぷり蓄えて湿原を形成しいます。

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2007/05/18

岩井克人著「貨幣論」を読む(3)「モノの側からの反乱」

<オイルショックはモノの側からの反乱>
 1973年10月第四次中東戦争を契機に原油価格の高騰が起こり、1バーレル3ドルから12ドルへと跳ね上がりました。最近の若者にとっては、昔話のような出来事ですが、原油の高騰は、玉突きのようにあらゆるモノの価格を押し上げていきました。日本ではトイレットペーパーや家庭の洗濯用洗剤が店頭から姿を消し、パニック状態になったのです。当時僕は、日本の工業力を信頼していたので、「洗剤がなくなるはずはない、買い溜めをするな」と新婚早々の家内を困らせたものでした。買い溜めをさせなかったために、一年ほど続いた品がすれの最後の二週間、我が家は洗濯に困って、固形の化粧石鹸を溶かして凌いでいました。信頼していた通り、その後品物はどっと店頭に溢れ出しました。
 販売側の売り惜しみも相当あったようです。悪徳商売と囃すひとも多かったのですが、商品を仕入れる度に価格が高騰して、単価表の書き換えが間に合わなくなる状況では、ぼやぼやしていると、先月売った価格より次には高値で仕入れる羽目になってしまうのですから、売り控えも無理からぬことだったのです。

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2007/05/13

岩井克人著「貨幣論」を読む(2)「日本への奇襲攻撃」

<日本への奇襲攻撃「リメンバー・パールハーバー」>
 アメリカは1971年8月15日突如ドルと金との交換を停止しました。それまでは米ドルは一定の割合で金との交換を保証していました。長年貿易赤字と財政赤字のいわゆる双子の赤字で米ドルを世界に垂れ流し(供給?)してきたアメリカは、金の流出を恐れ、兌換を停止したのです。世に言うニクソンショックです。8月15日という日付をみても日本を狙い撃ちした事件であることはいうまでもありません。同時に一ドル360円に固定されていたドル円レートは変動相場制に移行し、一気に300円台に突入しました。

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2007/05/12

岩井克人著「貨幣論」を読む(1)「純粋紙切れは信頼が命」

書名  貨幣論
著者  岩井克人
出版社 ちくま文芸文庫
 アメリカの貿易赤字と財政赤字、いわゆる双子の赤字は1960年代から恒常的に的に続いてきました。いつアメリカ発の大恐慌が再来するのか、経済雑誌は折に触れて特集を組んできました。その危機をアメリカはニクソンショックとプラザ合意と、二回大きな手を打って、巧みに回避してきました。そのたびにドル安という徳政令で、日本は対アメリカの米ドル資産を棒引きにされてきたのです。 そして今も双子の赤字は続いています。

どうしてアメリカは破綻しないのでしょうか?
なぜ純粋な紙切れで無価値のはずの米ドルを世界中の人々が受け取るのでしょうか?
アメリカは破綻しないのか?破綻するとすれば、何時、その時世界経済はどんな様相を呈するのでしょうか?
 長年の僕の疑問に終止符を打ってくれたのがこの本です。

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2007/05/07

雪の穂高を歩く(4)いざ下山

    <眼下に涸沢のテントが見える>
20070430pict0161昨夜穂高山荘に泊まった約60名の登山名者も三々五々下山を始めています。 自分も最終目標の北穂高岳をあきらめたので、三泊の予定を切り上げて一泊で下山することにしました。
 7:00眼下のテントを目指して一気に下ります。しばらく下っていると、一歩、一歩雪の斜面を、踏みしめながら新たな登山者が登ってきます。昨日の自分をみているようです。
  

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2007/05/06

雪の穂高を歩く(3)これぞ北アルプスの眺望

 <涸沢岳から北穂高岳そして槍ヶ岳に続く稜線>
20070430pict0134_3 4月30日夜明け前に外へ出ると、星もまばたいていて、今朝は絶好のご来光が拝めそうです。でも小屋にいてはご来光どころか、槍ヶ岳を中心とする北アルプスの全容を拝むこともできないので、奥穂高岳は無理でも、3、103㍍の涸沢岳に登ることにしました。
 へっぴり腰で、恐る恐る登ったので、ご来光には間に合わなかったのですが、涸沢岳の狭い山頂にたどり着くと、

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2007/05/03

雪の穂高を歩く(2)雪の殿堂

     <前穂高岳の北尾根>
20070429pict0098_1 涸沢の一方の壁、標高3、090㍍前穂高岳の北尾根は、恐竜の背のような岩峰を、天に向かって突き上げています。この季節は氷と雪でさらに鋭さを磨き上げて、触れるだけで切れてしまいそうです。
<涸沢岳から
 北穂高への稜線>

20070429pict0095_1   明日登る予定の涸沢岳から北穂高岳の稜線を仰ぎ見ると、新雪に覆われて輝いていますが、登っている人影は見えません。少し不安になってきました。それにしても新雪はあくまで真っ白、純白の白糖ようです。しばしの休息、持参の梅酒を振りかけて味わいました。

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2007/05/02

雪の穂高を歩く(1)雪山に泳ぐ鯉のぼり

       <雪山に泳ぐ鯉>
20070429pict0069 2007年4月29日三十三年ぶりに、かって会社の同僚と四人で登った、雪の穂高を目指しました。今回山旅の目標は、昨秋の目標の残り+北穂高岳です。夜行バスで上高地に朝6:00到着、脇目も振らず、一路涸沢へ。歩くこと6時間、雪の中から掘り出された、涸沢ヒュッテに、登山客を歓迎する鯉のぼりが涼風を口一杯頬張って、泳いでいました。遠くに小さく見える三角錐の山が、昨秋登った常念岳です。

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