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2007/05/18

岩井克人著「貨幣論」を読む(3)「モノの側からの反乱」

<オイルショックはモノの側からの反乱>
 1973年10月第四次中東戦争を契機に原油価格の高騰が起こり、1バーレル3ドルから12ドルへと跳ね上がりました。最近の若者にとっては、昔話のような出来事ですが、原油の高騰は、玉突きのようにあらゆるモノの価格を押し上げていきました。日本ではトイレットペーパーや家庭の洗濯用洗剤が店頭から姿を消し、パニック状態になったのです。当時僕は、日本の工業力を信頼していたので、「洗剤がなくなるはずはない、買い溜めをするな」と新婚早々の家内を困らせたものでした。買い溜めをさせなかったために、一年ほど続いた品がすれの最後の二週間、我が家は洗濯に困って、固形の化粧石鹸を溶かして凌いでいました。信頼していた通り、その後品物はどっと店頭に溢れ出しました。
 販売側の売り惜しみも相当あったようです。悪徳商売と囃すひとも多かったのですが、商品を仕入れる度に価格が高騰して、単価表の書き換えが間に合わなくなる状況では、ぼやぼやしていると、先月売った価格より次には高値で仕入れる羽目になってしまうのですから、売り控えも無理からぬことだったのです。

 当時製薬会社で原価計算をしていましたが、製品原価は毎月、計算する度に上がっていくのに、製品価格は厚生省が薬価を改定してくれるまで、上げることが出来ないわけですから、月々赤字が積上がっていく様を、計算しているだけで、倒産するのではないかと、恐怖感に襲われたことを思い出します。
 自分の給料も三年で2倍に上がったのです。三年間に30%、30%、20%とベースが上がっては、どこの企業も給与体系は、つぎはぎだらけの滅茶苦茶になってしまいました。
 一見すると
戦争が原因のようですが、モノと貨幣とを交換する、貨幣経済の下にあって、ニクソンショックというアメリカの徳政令で、貨幣が突然紙切れになったわけですから、モノを供給する側からの反乱が起きるのは当然です。 
 その後さらに1978年末から79年春イラン革命を契機に原油は1バーレル34ドルにまで跳ね上がり、第二次オイルショックといわれました。二度にわたるオイルショックは、貨幣が純粋紙切れになったことを、世界中が追認するためのセレモニー、純粋紙切れとモノの価格との大調整(インフレーション)だったわけです。
 その後日本は省エネなどの技術革新で、二度のオイルショックを世界一巧みに乗り越えて発展し、1980年代前半ジャパン・アズ・ナンバーワンと持て囃され、日本人自身も有頂天になっていました。
 その間もアメリカは双子の赤字を止めることはありません。日本の貿易黒字(日本人の汗と知恵)は、対米ドル債権として積みあがっていきました。
そして日本は第二の敗戦へ
<つづく>

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コメント

「皆が価値があると思っているから価値がある」とおっしゃっていたことを思い出します。金塊というバックを無くした紙幣へモノ達が「俺はこんな紙切れの価値しかないのか」と反乱を起こす気持ちが解ります。

投稿: 雑草 | 2007/05/18 09:27

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