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2008/01/01

「経世済民」の願いを年頭に祈念して!

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
「economy」に「経済」という漢字を与えたのは福沢諭吉だそうです。その経済は「経世済民」を略したものです。広辞苑には「経世済民」の意味を「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと」と記しています。経済≒政治です。
 しかし今の英米日の経済学の主流は新自由主義、政治から経済を切り離し、政府の役割を最小にして、自由放任の市場原理に委ねさえすれば経済は成長し、世の中は良くなり、民は幸せになるといって、世界中に新自由主義を推し進めています。
 政治と経済を切り離すことは、「済民」を切り捨てることになります。その結果がこれからも続くであろう格差の拡大、切り捨てられる「民」は、「自己責任」と罵声を浴びせられ、負け組の刻印を押されて、分別されてしまいます。

 昨年の世相を表す漢字は「偽」、政治家も、経営者も、官僚も「偽」の一字にまみれています。この世相は一朝一夕には直らないでしょう。
 この「偽」に代表される社会は不公正な社会です。不公正な社会で、新自由主義の猛獣を放ったら、この世の行く末は見えています。弱者の僕は、年頭にあたり、同じ発音ですが、「疑」に徹することを念じています。 一層「疑」を深め、
「なんのために」
「なんのために」と疑い、問い続けることにします。もし自分も僕と同じ、弱者と自認する方は、ご一緒に念仏しませんか?「なんのために」「なんのために」と。
「なんのために」は、「What」でも「How to」でもなく、「Why]です。
その行動は、なんのために、
その目標は、なんのために、
その手段は、なんのために、と問い続け、削ぎ落としていけば、きっと隠された”意図”隠された”目的”も見えてくるはずです。
 もちろん「疑」は自分にも向けられなければなりません。若いときは、人生の目的を問うて、自問自答して、悩みますが、人生の目的を「なんのため生きるのか」と問わないで、己の行動、己の目標、己の手段について、「なんのために」を問うと、己自身について、見えてくるものがあります。
 若い頃「自己啓発・・・・」と題するものを読み漁った時期がありました。老中になって振り返って、「なんのため」と自問すると、単なる自己中に過ぎなかったのではないかと、冷や汗がでます。
 二十才前に読んだまま、すっかり忘れていたサマセット・モーム、モームは著書「要約すると」の中に「人生に目的なんかない」とサラリと書いています。なんと四十数年の回り道をしてきました。それでもなお「なんのため」と問い続ける、迷える老中が一人、今年もホームストレッチを走って行きます。

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コメント

コメントありがとうございます。
<keytakakiさん、のぶさん>
 「なんのために」は結局、自分の行動、目標、手段を問うことですね。大事なことは「善」「悪」を問うことではなく、自然か?不自然か?を問うことだと思っています。
 自分の中の善悪の物差しも伸び縮みしたり、別の物差しに変わったりしますね。のぶさんの仰るように、その個々人の物差しの違いが多様性を作りだしていくのでしょう。
 戦後の日本人(僕も含めて)の多くはお金を主たる物差しとしてきました。豊かになった今、違った物差しをもつ人が増えるのは当然ですね。価値観の違う人々が共存できる社会が実現することを願っているんです。 

投稿: 懐中電灯→keytakakiさん、のぶさんへ | 2008/01/09 10:33

コメントありがとうございます。
<keytakakiさん、のぶさん>
 「なんのために」は結局、自分の行動、目標、手段を問うことですね。大事なことは「善」「悪」を問うことではなく、自然か?不自然か?を問うことだと思っています。
 自分の中の善悪の物差しも伸び縮みしたり、別の物差しに変わったりしますね。のぶさんの仰るように、その個々人の物差しの違いが多様性を作りだしていくのでしょう。
 戦後の日本人(僕も含めて)の多くはお金を主たる物差しとしてきました。豊かになった今、違った物差しをもつ人が増えるのは当然ですね。価値観の違う人々が共存できる社会が実現することを願っているんです。 

投稿: 懐中電灯→keytakakiさん、のぶさんへ | 2008/01/09 10:32

書き込みが遅くなってしまい申し訳ありません。
「なぜその行為をするのか」という質問を国や社会や経済にする視点をもつと共に、自分自身についてもしてみました。

ある部分、生き方を模索してきた過程で読んだ本や新聞などに影響された部分や、またそれは自己肯定のための言い訳といった部分もあります。しかし、おのおのの生き方はどれが正解というものではなく、今の時点では私はこのやり方や生き方が、自分にとって重要なことに取り組み、価値が見出せる道なのです。
懐中電灯さんと私では、多分ポテンショナルも適性も違うでしょうし、感じてきた人生も異なると思うので、私が輝ける道は今の時点ではこの生き方なのです。
今後、人生経験や勉強などの変化で、考え方を変わる可能性は多くあり、常に最善の生き方をしたいと思うので改善していきたいと思っています。
改めて今回考え自分のなかの「なぜ?」と問う姿勢は心がけていきたいと思います。
考え深い意見ありがとうございました。

投稿: のぶ | 2008/01/09 02:45

あけましておめでとうございます!

>ご一緒に念仏しませんか?「なんのために」「なんのために」と。

私も「なんのために」と、となえたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

投稿: Key(Takaki) | 2008/01/06 16:32

こんにちは懐中電灯です
<たかやんさん>
子供は素直に「どうして」「どうして」と納得するまで、聞いてきます。その時人はごまかさないで、最後まで答え続けないと、深く問う癖がつきませんね。大人になって、深く問う癖が、無事に生きるための、大事な癖になりますね。
 政治家と選挙民も大人と子供の関係だと思って、選挙民が納得するまで、説明する責任があります。子供は大人の嘘を見抜いています。絆創膏も、還元水も、テロ特措法も、大連立の本当の目的もみんなわかっています。

投稿: 懐中電灯→たかやんさんへ | 2008/01/02 10:02

あけましておめでとうございます。福沢諭吉の「経済」の話は何かの本で読んだことがあります。「経済」を辞書で引くと「節約」が一番に出てきますよね。「経世済民」もそうだけれど、今の政治は「節約」とも程遠い・・・。それこそ、湯水のように血税を使っている。「なんのために」その視点が大事なんですね。今年も元旦からいい話をありがとうございます。たかやん

投稿: たかやん | 2008/01/01 20:16

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