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2008/03/11

「自利と利他」そして「他利」とは

顧客満足(CS)という言葉が企業人の間で飛び交うようになって、既に20年なろうとしています。はじめは恐々語っていた経営者も、いまでは声高に標榜するようになり、確信を持って社員を鼓舞する経営者も多くなりました。曰く「お客様の立場に立って!」「相手の立場で考えよう!」言うは易く、行なうは難しです。経営者が確信的に、声高に唱導すればするほど、まともな社員は白けて、心を閉ざしていきます。
 僕も1991年からマネジメント・ゲームの経営体験の環境を情報社会型に変えて、お客様カードを入れたり、顧客満足(CS)を取り入れてきました。しかし疑い深く、極めつきの自己中心的人間の僕は、己には「利他行」などできないとあきらめていますし、他人の言う「利他行」にも「本気ですか?」と声をかけたくなります。
 自分にできないことを声高に語る自信もないので、講義では、「顧客の立場に立つ」「相手の立場に立つ」と言い切ったら嘘になる、「冥土に行って戻って来る」というくらい難しい、限りなく近づく、日々の精進は必要だが、彼岸には立てないと申し上げてきました。

 仏教を学び、実践されている方の中にも「自利、利他」「利他行」と 確信を持って語る方が大勢います。 しかし時には、自分が行っていると思っている「利他行」は本当に相手のためになっているのか?もしかすると、相手にとっては、独りよがりの、おためごかしではないのかと、己を疑ってみる必要がありそうです。
 今年に入って親鸞の「教行信証」を紐解いています。藤場俊基著「教行信証を読み解く(Ⅰ)-教・行巻」から読み始めました。曇鸞大師、親鸞上人、大師、上人と尊崇される歴史上の聖人は、すでにこの人間の性悪な自己中心性を、見通していました。親鸞は著書「教行信証」の中で、このことに釘をさしています。僕にとっては、まったく新しい言葉「他利」という言葉です。「利他」ではなく「他利」だというのです。
<自利→利他>(衆生の利他)
「自利に由るがゆえにすなわちよく利他す。これ自利にあたわずしてよく利他するにあらざるなり、と知るべし。」
<利他→自利>(仏の利他)
「利他に由るがゆえにすなわちよく自利す。これ利他にあたわずしてよく自利するにはあらざるなり、と知るべし。」そして
他利と利他と、談ずるに左右あり、もしおのずから仏をして言わば、宜しく”利他”というべし、おのずから衆生をして言わば、よろしく”他利”と言うべし、いま将に仏力を談ぜんとす、このゆえに”利他”をもってこれを言う。」
 親鸞は、自ら浄土教七祖の一人として尊崇する曇鸞の教えを引いて、「最後の一人まで浄土へ摂取できなければ、自分は仏にならない」と誓った弥陀の本願を唯一の方便と定めた上で、その方便の本願力(仏力)を「自利⇔利他」という、と定めています。
 そして男女の愛、夫婦の愛、親子の恩愛など「関係性の歓び」を著者藤場俊基は次のように記しています。
 「対象としての相手を好きだということではなくて、あなたが私にしてくれる行為、あなたの気遣いが私を心地よくしてくれる、あるいは一緒にいる時の安らぎとか、そういう状態にある『自分が好きだ』ということを、『あなたが好き』と表現しているだけではないか。だから、一緒にいてイライラするようになったら、『あなたが嫌い』ということになる。つまり弥陀と衆生の関係のように、相手の成就を自分の成就に不可分のこととして内包してしまうような関係は、私たち人間同士の間には成り立たない、曇鸞は、あくまで自己中心的にしか見ていけない人間のありようをあらわそうとしているのではないか。」
 衆生のいう「利他行」はどこまでいっても、他利の域をでることはできない「自利=他利」だ、という聖人の言葉を戒めとして、ビジネスに携わる者とりわけ企業の生存を左右する意思決定に携わる経営者は、「顧客満足CS)経営」「企業の社会的責任(CSR)」を標榜すればするほど、それもつまるところ他利であり、イコール自利であると心得て、せめて「自利⇔他利」そして「自利⇔他利⇔>利他」の限界まで”利他未満”を求めていく自覚が必要ではないでしょうか。

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