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2008/05/25

映画「靖国」を観て

 話題のドキュメンタリー映画「靖国」を見ようと5月9日、渋谷の映画館に10:00に到着しました。しかし当面都内上映最後の日とあって、すでにチケットは完売、どうにか13:40分のチケットを購入して、観ることができました。
 観客の中に混じってゾロゾロと映画館を出てきました。歩きながら観客の声を、聞き逃すまいと聞き耳を立てていました。「騒いだほど反日ではないよね」という声が多かったようです。そのせいか映画館の周囲を警備する警官の数も、数名と少なく観客の感想を裏付けるものでしたが、僕は少し違った感想を持ちました。
  21世紀はアジアの世紀、日本にとっては、靖国神社問題の整理は緊急の課題です。いずれ全国で上映されることになるでしょうから、そのときは是非ご自分の目で確かめて、日本人とアジアの人々との間の靖国神社の問題を考えて見てください。
 その折は日本人の視点は当然でしょうが、中国、朝鮮半島はじめ、アジアの人々が観たら、どんな感想を持つだろうか?といった視点も大事ですね。

 僕は満州生まれ、父親は乳飲み子の僕を抱えた母親の眼前から、赤紙一枚で現地招集、そのままシベリアに抑留されてしまいました。満州に残された多くの日本人は、国民を守るはずの国家から棄民されてしまったのです。シベリアから命からがら帰国した父は、国家権力の狡猾さ、靖国の欺瞞を常々語っていました。したがって、僕の靖国神社のイメージはあまりいいものではありません。
 しかしこの映画を観ているうちに、靖国神社の過去から現在をまともに掴んでいなかったことに気づかされました。映画では、毎年敗戦の日、8月15日に靖国神社の境内で繰り広げられる、鉄兜を被り、軍刀を捧げ、日の丸を高々と掲げて、英霊を慰める祭祀を淡々と映しています。靖国神社の祭神は、国家のために命を捧げた英霊です。それにしても、なんとも不思議な光景です。
 映画の中ではなぜかご神体は日本刀になっていました。そうして昭和8年から敗戦の日まで8,000余振りの日本刀が靖国神社で作られ、その日本刀は、靖国刀として、日本帝国陸海軍の将校の腰を飾ったのです。昭和の軍隊のニュースや様々な映画でも、将校は必ず日本刀を腰に下げています。何気なく見ていたのですが、靖国の御霊を移したものとして扱われたがゆえに、護身というより、自分の身体以上に大切にしていたのだと、納得した次第です。
 映画はその靖国刀を鍛えてきた最後の老刀匠の、日本刀を鍛える姿が縦糸になっています。靖国刀が航空兵器、原爆といった近代戦の中で、どのように使われたのか、李纓監督は淡々と、かつ巧妙なカメラワークの中で、老刀匠に問いかけますが、長い沈黙が続きます。
 切り取った過去のドキュメントは、突然中国大陸に飛び100人切りの英雄譚、捕虜を斬首し、その生首を左手にぶら下げ、右手に靖国刀を掲げる軍人の得意満面の姿(新聞記事)に飛んでいきます。このドキュメントの編集は日本人の僕には、 丹精込めた靖国刀は、戦いとは関わりのない、そんな悲しい愚かな場面にしか、役に立っていなかったと訴えているように観えました。しかし同胞を殺された中国の人々、アジアの人々がこの場面を見たら単に「愚かな場面」と観えるでしょうか?
 靖国神社の存在と同胞の惨殺が直結して観えるのではないでしょうか。李纓監督がドキュメントを繋いだ見えない糸は、映画を観た多くの日本人からは「騒ぐほど反日じゃないよね」といった暢気な感想を引き出したようですが、果たして、アジアの人々が観たらどうでしょうか。
 合祀された、戦没者の家族の訴えにも、靖国神社側からは、不毛の答えしか返ってきません。訴える台湾人の女性の美しさと、論理の通った訴えが、いっそうやり切れないものを感じます。
 僕の父親は二十歳のころ、日中戦争の初期に赤紙で召集され、中国大陸で傷つき除隊になりました。運の悪いことに通常なら、一生に一度のご奉公のはずが、終戦の間際の8月7日に満州ハルピンで、二度目の召集令状を受け取っています。もし戦死して合祀されていたとしても、自立心が強い父親のことですから、きっと勝手に「千の風になって・・・・」自由にどこかへ飛んでいっていることでしょう。
 中国、朝鮮半島の人々、そしてアジアの人々がこの映画を観た折に、どんな思いを抱き、いかに解釈するでしょうか。この映画の制作に補助金として、日本人の税金が使われていることが、この映画の制作意図を前向きに解釈する、一助になってくれることを願っています。
  映画を観終わって、あらためて21世紀はアジアの世紀、日本人が平和を享受し、アジアの人々と手を携えていくには、複雑にねじれた靖国神社の問題を、日本人が自らの手で主体的に解決する以外にないと思うのです。

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コメント

コメントありがとうございます
<しじみさん>
 元は明治政府が官軍の戦死者を祀ったのがはじまり、その後は、国民を戦争に駆り立てるための、一機関として国策で作られたものです。本来戦い終われば勝者も敗者もないはずですし、原爆の犠牲者、都市空襲の犠牲者など、戦争の巻き添えにあった庶民は祀られていません。その上戦後国家管理が、一宗教法人になり、さらにA級戦犯の合祀など 日本国民の感情中でも捩れてしまっています。
 とはいえ、個々の遺族の想いを重視して、一度整理をしなければ、ならないのではないでしょうか。いつまでも政治に利用され、蒸し返していては、鎮魂にならないと思います。
 小泉、安部政権の方向はあきらかに、防衛庁を省に昇格し、自衛隊を自衛軍にし、国民を米軍の先兵に駆り立てていく方向性が見えるように思います。そのための靖国神社でなければよいのですが。
 

投稿: 懐中電灯→しじみさんへ | 2008/05/26 21:01

こんにちは。ご無沙汰しております。
前回の「いのちの食べ方」もそうでしたが、
今回の「靖国」も果たして青森で観れるかどうか
定かではありませんので、観る前からコメントを
申し上げるのはいささか無礼な事をお許し願って、、

私の「靖国」についての考え方ですが、
戦時中天皇の名の下に戦地へ送られていった日本兵は
多くの場合、戦死した後はこの神社に祀られ
「未来永劫日本人としてその栄誉をたたえる」という
宣伝がなされ、それを多くの兵士たちが信じて
戦地で命を落としていったわけですから、
今更、それを反故にするのはいかがかと思います。

しかし、今回の騒動の発端は、江沢民さんが
その生い立ちから日本の戦争責任を引き下げて来日した
事に対して小泉首相が日本人のプライドを表現しようと
参拝を堂々と行ったことに起因してこじれたのでは
ないでしょうか。
胡錦濤さんの来日に際してはこの事に触れて
いない事から中国が国民皆が靖国の事について神経を
尖らせている訳ではないと考えます。

しかし、まだ中国の国民感情からしたら、小泉元総理の
ようなやり方は逆撫でするような行為に映ると思います。
今後は米国よりも中国との外交関係を重視していくべき
時期に来ていると考えます。
互いに独立国としてのポリシーをしっかり持って、
相互に尊敬し合う国家となるべきではないでしょうか。
そのプロセスの中に「靖国」の問題があるのであって
急激に解決へ迎えるとは思えないのですが、、、、

投稿: しじみ | 2008/05/26 16:07

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