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2008/06/03

ひとの生と死を考える-梅原猛[編]「『脳死』と臓器移植」を読んで

<梅原猛編「『脳死』と臓器移植」-朝日文庫-を読んで>
 
後期高齢者医療制度が弱者切捨てとして問題になっています。打ち止めはパチンコの専売特許かと思っていましたが、昨年リハビ治療の診療報酬を180日限で打ち止めにする法案が可決されています。国民皆保険、介護保険が崩壊の危機にあり、日本の社会福祉制度は、弱者を切り捨てる政策で延命を図るという、おかしなことになっています。しかし我々庶民は法案が可決され、実施されてしばらくマスコミが騒いでいるうちは、一緒になって騒ぎますが、すぐに忘れてしまいます。
 政府は、けして忘れることなく着々と、一つひとつ手を打って、経済政策では経済成長なくして福祉無しと、構造改革という名の下に格差を拡大する政策を取り、福祉政策では弱者を切り捨てる政策を取っています。

「選択の自由」を標榜する経済学にドップリ浸かっている今の日本の政治家、官僚の政策ですから、後々我々庶民が「誰がこんな国にしたのか」と叫んでも、「選んだのはお前たちだ!」と庶民は最後通告を受けることになるのでしょう。もう崩壊が止まらない日本、我々庶民は覚悟をしておかなければなりません。最後通告は消費税15%でしょうか?20%でしょうか?

 崩れつつある日本の介護・医療制度には、まだまだ問題が残っています。健康保険対象診療と健康保険外診療との混在を、認めるか否かという混合診療の問題、臓器移植とそれに伴う脳死を人の死とするか否かの問題、終末期医療に関する尊厳死(安楽死?)の問題等などです。僕はこれらの問題への対応を間違えると日本の社会は、世界に類を見ない非人間的な悲惨な社会になるのではないかと恐れています。

しかし一方でなんとなく世間に容認されつつある臓器移植医療、その臓器移植医療には、死の決定を、これまでの心臓死から脳死へと変え、臓器提供者の臓器を鮮度の高いうちに取り出すことが必要になります。崩れつつある日本の医療制度の下で、もし「脳死を人の死」と法律で定めたとき、日本人は、日本の社会はどこへ行くのか?

僕のこのような問題意識の下で、哲学者梅原猛さんが各界の有識者の論をまとめた、この朝日文庫「脳死と臓器移植」をお奨めします。テーマ「脳死と臓器移植」を以下の三つの立場から、有識者の意見をまとめて掲載しています。

1.  医学の立場から

2.  法学の立場から

3.  哲学・宗教の立場から

 ソクラテスの徒を自認する、哲学者梅原猛さんは、この本の中で「哲学の本来の目的は生と死を明らかにすることである。哲学の開祖ソクラテスは、哲学することは『死の練習』をすることであると言う。・・・・」と書いています。
 この本を読み終えると、テーマ「『脳死』と臓器移植」を超えて、「ひとの死とはなにか」西欧の価値観と日本人の価値観の違い、など執筆者が読者の心に問う、鋭い問いの刃が迫ってきます。「あなたの死生観は?」「あなたならどうする」と。

 余談ですが、長年僕は自分の経営講座で「ゴルフの練習はするのになぜ『経営の練習』をしないのか」と申し上げてきました。塩野七生さんはマキャヴェッリ語録の最後に「天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することだ」を挙げています。このマキャヴェッリの弁と、ソクラテスの弁を借りると「ゴルフの練習はするのに、なぜ「倒産の練習」をしないのか」というべきかもしれませんね。

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