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2008/09/28

もう虚しい!!いっそ財政再建なんてやめましょう(2)ロックフェラーセンターの二の舞に?

  日経新聞の9月23日の朝刊トップ記事は「三菱UFJモルガンに20%出資」でした。三菱UFJファイナンスグループ(銀行)がサブプライムバブルで死に体のモルガンスタンレー(証券会社)に9000億円を投じて筆頭株主になるという記事です。みずほコーポレート銀行も、メルリリンチ(証券会社)に出資をすると報じています。
 銀行は経済生活の血液供給する役割、証券会社は企業の直接金融を媒介する役割、似て非なるものを同じ金融部門という分類をするから、おかしな意思決定になるのではないでしょうか。
 例え役割論を別にしても、アメリカでは銀行持ち株会社の傘下にこの証券二社をぶら下げると報じています。銀行持ち株会社の上にはFRBが存在します。その傘下の銀行持ち株会社の傘下(孫会社)の筆頭株主になることに、経営的になんの意味があるのか、凡人の僕には理解を超えています。

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2008/09/26

もう虚しい!!いっそ財政再建なんてやめましょう(1)日本人の次代のために

 マスメディアの街頭インタビュで庶民も”財政再建派”が多いように見受けます。日本人の借金嫌いと、政府のプロパガンダの洗脳が効いているようです。
 しかし最も呻吟する庶民が、どうして消費税アップ、社会福祉切捨てに直結しているキャッチフレーズに賛同するのか理解できません。
 あえて言うなら、もう財政再建は止めて、政府に国債をどんどん発行させて、日銀券をじゃぶじゃぶ印刷して赤字財政にしたほうが、将来のためになりそうです。
「えじゃないか、えじゃないか」「ポピュリズムでえじゃないか!」生活保護世帯への補助をたっぷり増額し、介護サービスの法定最低価格をしっかり上げて、その補助に税金を投入します。そうすれば、若者の介護士志望も増えるでしょう。最低賃金を大幅に引き上げ、子供の教育の無料化、フリーターへの自立支援、子育て支援、育児手当の増額などなど借金をしてでも次代へばら撒いたほうがいいのではないでしょうか?

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2008/09/23

ナシーム・ニコラス・タレブ著「まぐれ」が面白い-人生における”まぐれ”の効用

書名 「まぐれ」
サブタイトル 投資家はなぜ、運と実力を勘違いするのか
著者 ナシーム・ニコラス・タレブ
出版社 ダイヤモンド社
 本を買う折は、たとえ購入書籍が決まっていても、可能な限り、アマゾンをクリックしないで、店頭に足を運ぶことにしています。タイトルやキャッチコピーから偶然出会う本、偶然手にした本を通しての著者との出会いが楽しいからです。この本もその偶然の一冊です。半年ほど未読、積読の中に埋もれていました。
 翻訳モノのさらに、面白いところは、読み終わってみても、日本語のタイトルやキャッチコピーでは、内容としっくりこない場合が多く、あらためて原題を見ると、語学音痴の僕にも原題のほうがピッタリと思う本も多いのです。しかしこの本のタイトルはまさにズバリです。さらにもっとズバリは、この本のサブタイトルにあります。サブタイトルの
「The HIdden Role of Chance in Life and The markets」がこの本の感想そのものです。
「人生やマーケットにおける『偶然』が持つ隠された役割」とでも訳せばいいのでしょうか。 邦訳のタイトルはこのサブタイトルの中の「Chance」をずばり”まぐれ”と翻訳したのでしょう。僕にはとても見事な翻訳に思えます。人生は自分の能力と努力をベースしながらも、それとは別の多くのChanceに彩られて進行していくもののようです。
 最近の若い方々はセレンディピティという言葉を好んで使います。前向きな明るい方が多いようです。しかし単に偶然出会ったあった出来事が、現在の自分にとって、都合のよいものであるとき、その出来事をセレンディビティと思っていいる方が多いように見受けます。
 老中の拙い経験では、セレンディビティとは、偶然の出来事を自分の人生にプラスになるように、生かす能力のことです。出来事そのものは偶然に過ぎません。
 僕自身も経営計画などの話の中で「因→縁→果」の話をしますが、「因果応報」と勘違いする方が多いのですが、「因果応報」とは似て非なるものです。
 若者に向かって「この世は因果応報」「努力が報われる社会」などと、のたまう無邪気な大人を見ると「お幸せに!」と皮肉を言いたくなります。努力は当然のこと、努力は幸せの必要条件です、十分条件ではないのです。努力が必ず報われるほど、人間の世の中はやわではありません。もしかすると、その大人は無邪気なのではなく、「カネで報われる」というメッセージを隠しているのかもしれません。
 人生の中での努力は、
「縁」といったり「運」といったりする、”偶然、””まぐれ”によって、報われたり、報われなかったりするのですから、努力のプロセスを大事にして、努力の成果だけで判断しないほうがいいのではないかと僕は思っています。

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2008/09/21

汚染米事件とサブプライムローン問題のアナロジー

 サブプライムという活断層が動き出して一年、リーマンブラザーズの倒産が本震?、まだまだ余震が続きますね。次の活断層を刺激しないで、リーマンが本震であることを祈るのみです。
 このタイミングで汚染米事件が明るみにでました。食糧という「実」の分野と、金融という「虚」の分野、分野が違ってもあまりの類似に驚きますね。人間のやることは古今東西あまり変わらないようです。

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2008/09/02

映画「闇の子供たち」を観て

 梁石日(ヤン・ソギル)の小説「闇の子供たち」が映画化され、今夏上映されています。アジアの闇に広がっている、幼児売買春、臓器売買の実体を暴いた作品です。アジアの貧困問題として、日々ごくわずかなお金、しかし生き延びるために欠かせないお金を得るために、ごみの山に登りごみを漁るストリートチルドレンの姿を、ドキュメンタリーなどで見る機会があります。その映像には子供達の頭上に、青空も白い雲も見えます。まだかすかな希望も見え隠れしています。
 その明るい部分を切り取って見せた映画が「マリアのヘソ」です。しかしこの「闇の子供たち」は、青空や白い雲どころか、鍵のかかった窓のないたこ部屋に繋がれ、欧米や日本の、経済的に豊かではあるが浅ましい人びとに、性的に弄ばれ死んでいきます。映画の中ではエイズに罹り、生きながらにして黒いビニールのゴミ袋に詰められ、ごみとして収集され捨てられる子供達がいます。
 かろうじて生き残れば、今度は自分が闇の勢力の手先になって、いたいけな子供の命をお金に換える仕組みの先兵となって生きながらえていきます。

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