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2008/09/23

ナシーム・ニコラス・タレブ著「まぐれ」が面白い-人生における”まぐれ”の効用

書名 「まぐれ」
サブタイトル 投資家はなぜ、運と実力を勘違いするのか
著者 ナシーム・ニコラス・タレブ
出版社 ダイヤモンド社
 本を買う折は、たとえ購入書籍が決まっていても、可能な限り、アマゾンをクリックしないで、店頭に足を運ぶことにしています。タイトルやキャッチコピーから偶然出会う本、偶然手にした本を通しての著者との出会いが楽しいからです。この本もその偶然の一冊です。半年ほど未読、積読の中に埋もれていました。
 翻訳モノのさらに、面白いところは、読み終わってみても、日本語のタイトルやキャッチコピーでは、内容としっくりこない場合が多く、あらためて原題を見ると、語学音痴の僕にも原題のほうがピッタリと思う本も多いのです。しかしこの本のタイトルはまさにズバリです。さらにもっとズバリは、この本のサブタイトルにあります。サブタイトルの
「The HIdden Role of Chance in Life and The markets」がこの本の感想そのものです。
「人生やマーケットにおける『偶然』が持つ隠された役割」とでも訳せばいいのでしょうか。 邦訳のタイトルはこのサブタイトルの中の「Chance」をずばり”まぐれ”と翻訳したのでしょう。僕にはとても見事な翻訳に思えます。人生は自分の能力と努力をベースしながらも、それとは別の多くのChanceに彩られて進行していくもののようです。
 最近の若い方々はセレンディピティという言葉を好んで使います。前向きな明るい方が多いようです。しかし単に偶然出会ったあった出来事が、現在の自分にとって、都合のよいものであるとき、その出来事をセレンディビティと思っていいる方が多いように見受けます。
 老中の拙い経験では、セレンディビティとは、偶然の出来事を自分の人生にプラスになるように、生かす能力のことです。出来事そのものは偶然に過ぎません。
 僕自身も経営計画などの話の中で「因→縁→果」の話をしますが、「因果応報」と勘違いする方が多いのですが、「因果応報」とは似て非なるものです。
 若者に向かって「この世は因果応報」「努力が報われる社会」などと、のたまう無邪気な大人を見ると「お幸せに!」と皮肉を言いたくなります。努力は当然のこと、努力は幸せの必要条件です、十分条件ではないのです。努力が必ず報われるほど、人間の世の中はやわではありません。もしかすると、その大人は無邪気なのではなく、「カネで報われる」というメッセージを隠しているのかもしれません。
 人生の中での努力は、
「縁」といったり「運」といったりする、”偶然、””まぐれ”によって、報われたり、報われなかったりするのですから、努力のプロセスを大事にして、努力の成果だけで判断しないほうがいいのではないかと僕は思っています。

 若いときは「運も実力の内」といったり、うまくいったら「自分の実力」「失敗したら他人のせい」といっていても、許されますが、さすがに老中になると、すべてなにかにつけて「お陰様で!」「運がよかっただけです」「縁に恵まれて」というようになります。時には、老中になっても「運も実力の内」と顔に書いている方を見かけますが、ついマジマジと顔を見てしまいます。
 この本が昭和の初期に出版されていて、当時の権力者が読んでいたら、負けると分かっていた太平洋戦争は避けられたかもしれません。二度の蒙古襲来を台風という偶然、、まぐれに助けられた日本、日露戦争も、英米の影の支援でかろうじて勝った(?)日本、昭和の権力者は、その偶然、まぐれを自分の力と勘違いして、「日本は神風の吹く神の国、負けるはずはない、神がついている」と叫んで国民を地獄に落としてしまいました。
 
驚くことに、東条英機は敗戦後も「これほど国民が軟弱だと思わなかった」と敗戦の責任を国民に押し付けています。
   著者は多くの人が、勘違いしやすい事柄を一覧表にして示しています。その上でAとBを間違えた場合のコスト(被害)の大きさを比較して、AをBと間違えるコストのほうが、BをAと間違えるコストより格段に大きいと述べています。本文からいくつか抜粋しておきます。(A)VS(B)
運⇔能力
偶然⇔必然
信念⇔知識
憶測⇔確信
まぐれ⇔法則
予測⇔予言
ノイズ⇔シグナル
確率変数⇔確定変数
主観的確率⇔客観的確率
帰納⇔演繹

 本文の中で、ほどほどにうまくいっている一人のトレーダー、ネロを登場させ、ネロの生き方を書いています。抜粋しておきます。
「ちょっと損をするのはかまわない」しかし「どんな場合でも、トレーダーをまとめて押し流してしまう稀な現象、つまりパニックや急な暴落で吹き飛ぶ可能性を避け、逆にそんな事態が起きたときに儲けたいと考えている」
「プロ意識があると、シグナルよりもノイズに注意を向けてしまう」
「リスクを意識し、規律を保ちながら一所懸命働けば、気持ちよく人生を送れる可能性がとても高いと信じている。それ以外はみんな偶然の産物で、膨大なリスクを(そうとも知らずに)とっているか、あるいは運がいいかどちらかだ。中くらいの成功は能力と努力で説明できる。とても大きな成功は、むしろ不確実な結果のばらつきが原因だ。」
  滅多に起きない事象を「黒い白鳥」に例えています。その「黒い白鳥」がいることを忘れるなとも書いています。
「運の助けで得られたものは、運に(おうおうにして急に、そして思ってもみないときに)取り上げられてしまうことがある。その逆も同じように重要だ(むしろ大事なのはこちらのほうだとさえ言える)。運の助けを借りずに得られたものは偶然に左右されにくい。・・・・・・・・
どんなに成功する可能性が高くても、失敗したときに失うものが大きすぎれば可能性の高さなんて関係ない」
 敗軍の将兵を語らずといいます。最近は結構語る人も多いのですが、語っている話では成功の途中で、この黒い白鳥が出てしまったケースが多いようです。
 もしあなたが天才でないのなら、
AをBと間違えないために、物事を少しだけ批判的な視点で切ってみることです。明け透けの楽観主義に立つのではなく、少しだけ物事を悲観的に見ることです。そして、悲観的に予測して、楽観的に行動すること、”勝つこと”に焦点を合わせないで、”負けないこと”に焦点を当ててはいかがでしょう。
 まずは店頭で”まぐれ”を手にしてみてください。

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