« 「鳩山民主党VS岡田民主党の違い」はどこに? | トップページ | 公的資金(税金)で産業再生することの哀しみ(1) »

2009/05/16

映画「グラン・トリノ」を観て(1)責任の取り方

クリント・イーストウッド監督&主演の映画「グラン・トリノ」を観ました。ラストシーンで静かに涙が滲んできました。観客はたった6人、家内と二人で2,000円、老中とはありがたいものです。お礼を兼ねて毎々パンフレットを求めることにしています。
 このところ、テレビ報道でも新聞でも、解説者、評論家、学者、政治家は”説明責任”という言葉を連発しています。街頭でテレビのマイクの前で、街を歩く人もためらいの翳りも見せず「説明責任」を声高に語ります。「責任は取るか、取らないか」の一点にあると思っている者としていつも疑問に思っています。今の日本ちょっと変です。
 責任とは説明することなのでしょうか?
 テレビカメラの前で頭を下げることなのでしょうか?
 それとも懺悔をすることなのでしょうか? 
 グラン・トリノのラストシーンで、クリント演じるコワルスキーの責任の取り方に美を観るか、ドンキホーテの影を観るのか、是非映画館に足を運んで確かめてください。

 コワルスキーはラストの部分で、妻の遺言に従って、牧師の前で懺悔をします。その内容は、妻の見ていないところで、行きがかりから別の女性とキスをしたといった、ささやかな、心のわだかまりです。
 心の底に背負ってきた罪は懺悔でも拭えないもっと大きな別のものです。朝鮮戦争の戦線で兵士として、若い怯えている敵兵を殺した戦果で勲章を貰ったのですが、それはその後の人生を心の傷として、周囲にも頑なに心を閉ざし、不機嫌に生きてきました。その心の傷の象徴が勲章でした。
 己の頑固さゆえ、正義感ゆえの硬さからモン族の姉弟スーとタオを不良グループのリンチに遭わせてしまいます。
 その事件で、それまで大人しく女々しかった弟タオは復讐のため、不良グループを襲撃しようとコワルスキーに迫るのですが、その顔は、朝鮮戦争で殺してしまった若い敵兵と重なっています。復讐心に逸る若者の胸に勲章をつけ、地下室に閉じ込め、単身丸腰で不良グループの家に乗り込み、全身蜂の巣になって倒れるのです。己の死をもって、モン族の姉弟へのリンチの罪を不良グループに問いリンチに遭わせてしまった己の責任、朝鮮戦争で敵兵の命を奪った責任を取ったのです。そして地下室に若者を閉じ込めることで、自分と同じ罪を背負う機会を封じ込めたのです。
 モン族は、ラオス、ベトナム周辺の山岳民族です。ベトナム戦争で米軍に加担したため、戦後虐殺を恐れアメリカに移住しました。アメリカ政府の保護も十分ではなく辛酸を舐めている、にも拘わらず不機嫌にもならず、不満を撒き散らすでもなく暮らし、アメリカ人コワルスキーの閉ざされた心を開こうと心を砕く、コワルスキーの隣人なのです。
 コワルスキーの死は、責任を取らないアメリカ政府、アメリカ人へ責任の取り方を示しているようにも見えました。
 クリント・イーストウッドの映画は、毎々観客や社会に問いかける、問いの多い作品です。自分として受け止めた、幾つかの断面を取り上げたいと思っています。

|

« 「鳩山民主党VS岡田民主党の違い」はどこに? | トップページ | 公的資金(税金)で産業再生することの哀しみ(1) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50017/45027103

この記事へのトラックバック一覧です: 映画「グラン・トリノ」を観て(1)責任の取り方:

« 「鳩山民主党VS岡田民主党の違い」はどこに? | トップページ | 公的資金(税金)で産業再生することの哀しみ(1) »