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2009/09/24

映画「カムイ外伝」のメッセージ「逃げろ!」「生き抜け!」

映画「カムイ外伝」を観ました。今回はポイントが溜っていて、夫婦で千円ポップコーン付きでした。若い頃は映画は料金も高く、年に数回しか観ることができない贅沢で、その上周囲の壁に張り付くように立って観ていました。入れ替え制もなく、上映途中から後半を観て、後から前半を観て、ストーリーを頭の中でつないでいました。今では、好きなときに好きな映画を毎々必ず座って観ることができます。、年を取るのも有難いことです。
 カムイのメッセージは、弱者は徹底して「”抗うな!逃げろ!”そして”生き抜け!”」です。”抗うな!逃げろ”は”自立への旅立ち”、そして”生き抜け”は”闘い続ける”ことです。
 逆境にあるとき、多くの人は抗うことと、闘うことを勘違いして、逆境に抗ってしまいますが、唯いたずらに抗っても、逆境から逃れることはできません。まずそこから逃げることが先決、しかし逃げて、自立して生きることは、闘いの連続です。唯抗うのは宿命への甘えであり後ろ向き、闘って生き抜くのが前向きです。

 その闘いに負けないために、罠に落ちないためには、研ぎ澄ました猜疑心が不可欠です。しかし”生き抜く”ための闘いの中で、自立とは孤立ではないこと、他人の助け、愛情を信じなければ、自立して、生き抜いていけないことに気づいていきます。猜疑心の極地から「仁愛」の心が育っていく物語です。
 物語の設定は江戸初期の階級社会、格差の最下層に生まれた、カムイは絶望の中に育ちます。その絶望的なポジションから抜け出すために「強くなる」ことを目指して、忍者集団に入り、闘いの技術を磨き、ひとり立ちしていきます。しかし強くなったはずの自分は、その強い技術で、忍者集団の首領、大頭の命ずるままに、人殺しを重ねる毎日です。その大頭は、時の権力者から、金で人殺しを請け負っているのです。
 カムイは、その絶望的なポジションから、さらに逃走を企てます。抜け忍という掟破りは、死を意味しています。次から次に大頭の手元から送り出される追忍との休みなき闘いの日々を送ることになります。闘わなければ、死あるのみ、それは”自立への旅立ち”逃げ出した意味がないのです。
 映画の中の忍者の闘いのアクションも原作の漫画から抜け出したように、激しく大胆で、見応えがあります。忍者カムイの得意技「変異抜刀霞切り」「飯綱落とし」のシーンも迫力があります。二つとも一度は成功しますが、二度目はその技を見抜かれ、幼馴染の娘だった女忍者にその先を、その弱点を衝かれ、あわや?でした。
 佐藤浩市扮する備中松山藩の殿様が時の権力者の代表として登場します。愛馬を失っただけで、馬回り役の首を撥ねて、晒す姿、領民の困窮する暮らしぶりなど、なんの興味も示さず、己の欲望のままに振舞う狂気の姿を好演しています。
 処刑の場面、民衆を虐殺する残酷な場面の脇に、必ず絵師が登場し、スケッチを描き続けています。映画の途中では、どんな伏線が隠されているのかと気に留めながら観ていましたが、ラストの場面で、巨大な地獄絵図の屏風として藩主の眼前に登場します。
 屏風絵を眺め絵師を褒めながら、「生血で描いたら、さぞいい絵が描けるだろうな。200や300の人間はいつでも殺してやるぞ」と叫ぶのです。
 さて映画「カムイ外伝」のメッセージ「”抗うな!””逃げろ!”生き抜け!」は、格差が広がり閉塞感漂う今日の、日本社会に生きる若者へのメッセージです。今の権力者はカムイの時代のような人間ではなく、無限の命を宿した資本(純粋紙切れ!浮遊霊)です。人間が生み出したその浮遊霊に、欲望を刺激され、使役される大頭、小頭が人間であり、その活動から生まれる格差拡大社会の下で呻吟するのがカムイに象徴される我々庶民です。人間が権力者なら、その欲望も暴力も、そのひとの命と共に有限ですが、無限の命を宿した資本という権力の欲望、暴力はその限りない命と共に無限なのです。
 ”未曾有の”と形容詞がついたはずのサブプライム不況は、失業率は上がり続け、実体経済は回復していないというのに、すでに株式市場はリーマンショック以前に戻り、40ドルまで下がった原油も70ドルを越えようとしています。紙切れ資本(浮遊霊)はすでに、資源へ、新興国へと活発に蠢動しているのです。
 民主党政権になり、政治家も官僚も変わり、国の形も変わっていくでしょうが、その政策に過大な期待をして甘えているわけにはいきません。民主党政権の下で、セーフティネットは幾分補強されるでしょうが、それによって格差拡大が止まるということはないと思ったほうがいいでしょう。グローバリゼーションという激流は日本一国の問題ではなく、浮遊霊が先導している地球規模の激流です。だからこそ、「抗うな!」権力に抗えば激流に押し流され、圧殺されるだけです。弱者の唯一の権利は”逃げる”ことです。
 己の弱さを自覚した者が弱者です。逃げることも、”自立への旅立ち”死ぬまで生き残るための闘いであることを、カムイは教えてくれているのかもしれません。強いから生き残るのではなく、生き残る闘いの中で強くなっていくのではないでしょうか。
 原作、漫画「カムイ外伝」の作者白土三平は、僕より10歳ほど年長で戦後紙芝居作家でデビューしたそうです。もしかしたら、僕が飴が買えなくて、おじさんから追い払われ、物陰からこっそり観ていた、紙芝居の物語りの一つは白土三平のものだったかもしれません。
 漫画「カムイ外伝」は1965年から少年週刊サンデーに連載されたものです。時給50円、日給500円のアルバイトを漁っていた頃、やはり紙芝居同様、当時読む余裕はありませんでした。今は懐かしい東京オリンピックの後、戦後最大の不況といわれた時、”大学は出たけれど”仲間もみんな就職難に喘いでいましたが、中小企業なら職にありつけた、今から比べれば有難い時代でした。
 近頃同世代の老中と会うと「近頃の若い者は!」という会話が多いのですが、僕はとてもそんなことはいえません。当時中小企業だった製薬会社にやっと就職できましたが、当時の自分の実力で、今の時代にワープしたら、きっと途方にくれていることでしょう。いやもしかしたらカムイのように”自立への旅立ち”を敢行し、生き残るために今も闘いの最中かもしれません。できれば後者でありたいと首を傾げながら微苦笑です。

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コメント

コメントありがとうございます
<こんこんさん>
 私たち老中世代が育つ頃は、貧しいひとが多かったので、みんな上を向いて歩いていましたから、足元の貧しさを気にしている余裕もなかったんですね。とにかく、勉強さえすれば、何とかなった時代でした。今は親世代がそこそこ豊かなので、その線を守ろうと思うとしんどいんですね。
 自分自身の子育てを振り返っても、つい甘やかしてしまったことを後悔しきりです。
 これからの世代には、生きる力、具体的なスキルを身につけさせることが大事ですね。いかなる分野でもいいから、己の提供する労働力で他人からお金をいただくスキルではないでしょうか?
 カムイの格闘技、忍術の技はそれを象徴しているように思います。悲しいかな今の時代、相田みつをさんの言葉通り、「お金がすべてではないが、あると便利、無いと不便」です。 

投稿: 懐中電灯→こんこんさん | 2009/09/30 08:09

「カムイ外伝」早くも観られたのですね。
私も心待ちに、先日の連休に家族と観てまいりました。
中学生の娘には少し刺激が強かったようです。
事前に今回の映画の原作部分がまとまり出版されましたので購入して「予習」をしていきました。
原作に忠実で雰囲気が出ていたよい映画だと思います。
先生が言われるように、今の若い人たちには本当に困難な時代になったと思います。自分の子どもたちにも伝えようとするのですが、なかなか理解できないようです。
自分が若いときに現在のような世の中であったら、生き延びられるかどうかわからない・・・
まさにその通りだと思います。しかし、子どもたち、後輩たちには厳しく伝えていかなければなりません。
原作と同時期に「カムイ伝講義」田中優子著も読みました。いかにカムイ伝が広範囲のテーマを扱っているのかが改めてよくわかりました。歴史、民俗学、歴史の裏側などなどものすごい情報の宝庫です。
いつか全巻読破してみたいです。

投稿: こんこん | 2009/09/27 20:05

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