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2009/12/23

戦国上杉「義と愛」のその後

大河ドラマ「天地人」が終りました。NHKの大河ドラマは日曜日の夜八時のお茶の間へ向けたドラマでした。お茶の間がリビングルームと言われるようになって、大河ドラマもテーマは歴史上の物語でも、描き方はホームドラマになっています。若い小椋旬や妻夫木聡が熱演する髭の顔も少し滑稽でもあり、微笑ましくもあります。ラストシーンで兼続が広縁で日向ぼっこをしながら眠るように冥土へいく姿、肩にそっと手を添えて見守る糟糠の妻の姿は、昔の勇ましい大河ドラマとは終り方も違ってきています。老中の己のあらまほしき冥土入りが重なって見えます。
 関が原の合戦に参陣することも出来ず、無傷のまま家康に敗れた会津上杉は120万石を米沢30万石に減封されてしまいました。その折家臣団をリストラすることも自己都合の退職もなく、米沢へ移ったことは上杉家の結束「義と愛」の象徴の美談として伝わっています。  

 バブルが崩壊した1990年以降日本企業の構造改革の折、終身雇用を維持する手本として持てはやされたりしています。30万石の米沢上杉はさらにその後継嗣の不手際からさらに15万石に減封されますが、その折も美風として「義と愛」は貫かれています。
 資本主義社会の現代なら収入は商品・サービスの提供ですから、極力リストラを回避し終身雇用を貫くことはあらまほしきことではありますが、封建社会の当時本当に美風だったのでしょうか?
 120万石の家臣団は戦国の世(高度成長期)なら必要な武装兵力ですが、すでに徳川家に対峙する力は尽きています。その上平和の時代(成熟期)には家臣団は官僚に過ぎません。その官僚団を養い支えるのはすべて領民の年貢です。封建社会といえども年貢は五公五民が限界といわれる中、米沢藩は”七公三民”という苛斂誅求の政治になっていたのです。徴税される領民にとって果たして美風、美談だったのでしょうか。
 兼続から100年後すでに15万石に縮小した上杉家に九州高鍋藩2万7千石から治憲(鷹山)が養子として入りました。そのとき、名門上杉家の大国意識を捨てられなかった上杉家家臣団が残した借金が20万両あったといいます。当時の上杉藩財政予算は3万六千両余り、年間予算の5.6倍の借金です。
 余談ですが、15万石に減封されても生き残るために五代藩主として養子に迎えたのが吉良上野介の息子綱憲です。20万両の借金には上野介の贅の付回しも入っていたようです。
 上杉治憲(鷹山)は財政改革の名人として聞こえていますが、農本主義の下の改革は貨幣経済の流れに抗えず、必ずしも実効はあがらなかったようです。借金を返済して健全財政に戻ったのは、さらに100年後の1867年明治維新一年前ですから、領民は江戸時代の250年余りずっと戦国上杉家の美風「義と愛」の下に呻吟したことになります。
 藤沢周平は「漆の実のみのる国」で上杉治憲を領民や家臣団と苦しみを分かち合った名君として描いています。16才で藩主の座に着いた折の短歌や34才で隠居した折に十代藩主治広に書き残した三か条に名君ぶりが凝縮されています。

「受け継ぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母」

一.国家は、先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべきものには無之候
ニ.人民は国家に属したる人民にして、我私するべき物には無之候
三.国家人民の為に立ちたる君にて、君の為に立たる国家人民には無之候
                   右三条御遺念有間敷候事、

 上杉鷹山は名君として称賛されてたことが財政改革の名人と混同されたのではないでしょうか。財政改革の名人はなんといっても幕末松山藩の陽明学者山田方谷でしょう。山田方谷が石高5万石の藩財政の再建を託されたとき借金は10万両でした。治憲が九代目を継いだ15万石の米沢上杉の借金は20万両でした。
 山田方谷はたった8年で借金を完済して10万両の累積黒字残して、宰相の地位を退いています。鷹山と方谷の違いは、藩主と農民出身の学者出自の違い、100年という時間の経過ではないかと思います。鷹山は藩主ゆえに貨幣経済を知りつつも農本主義から抜け出せなかったが、方谷は農民出身の陽明学徒であり、100年後という貨幣経済の浸透を肌で感じていた.。新藩札を使うに際しては、集めた旧藩札を河原に積み上げ、民衆の面前で燃やしてしまいました。眼に見える形で新藩札の信用ひいては藩の政治の信頼を取り戻したといいます。貨幣経済を知り抜いた他に例をみない改革手法です。
 今の日本経済も幕末の日本の状況に似て、グローバリゼーション(地球化)の流れは止まることもなければ、止めることも出来ないのですそのことを周知した上で、小泉、竹中政権のように激流に棹を差すことなく激流を下る船頭が必要です。政界、官界、経済界共にこの激流を乗り切る難しさを共有することなく、自浄作用も発揮せず、ただ立ち往生しているように見えます。
 鳩山政権の「友愛」は、直江兼続の「愛」と同じ「仁愛」ですが、「出でよ治憲(鷹山)!」名君を得て、グローバリゼーションの激流に流されて呻吟するのか、「出でよ方谷!」名宰相を得て救われるのか。
 残念ながら政権交代した今もいずれもならず長期政権の負の遺産を抱え込んで立ち往生がしばし続くようです。いま我々個人、家庭にできることは、「義と愛」は誰にとっての「義と愛」なのか?を確かめること。名君、名宰相の出現を待たず、鷹山、方谷も説いたごとく、ひたすら「自助」「互助」を貫いて己の棹さばきで生き抜くことなのでしょう。

山田方谷については左袖の「乱読のすすめ」でも紹介していますが、「炎の陽明学-山田方谷伝ー」で著者矢吹邦彦が説得力有る筆致でその人となりを伝えています。
<河井継之助と山田方谷>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2004/11/post_6.html
<山田方谷を訪ねて>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2005/03/post.html
<早春の備中松山城>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2005/03/post_4.html



  

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コメント

コメントありがとうございます
<pascal風さん>
 簡素なものでいいから、5ヵ年の計画を立ててみてはいかがですか。計画を立てることで未来を想像する癖がつきます。バック・トゥ・ザ・フューチャーの未来へのタイムマシンに乗ってみる。
 又クリスマス・キャロルの未来へ誘う精霊の訪れを期待して眠ってみてはいかが。

投稿: 懐中電灯→pascal風さんへ | 2010/01/11 11:24

ご無沙汰しています。
私は相変わらずもがいています。
どうにかして活路をみいださねばと。

投稿: pascal風 | 2009/12/24 18:29

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