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2010/04/23

今読む「善の研究」西田幾多郎著

書名 「善の研究」-全注釈 小坂国継-

著者  西田幾多郎

出版社 講談社学術文庫 

 日本では哲学というと、西欧哲学の研究が最大の関心事です。明治維新で和魂漢才から和魂洋才に切り替えて以来、今日まで続いています。この「善の研究」はその明治時代がまさに終る明治44年に出版されています。

西田幾多郎が自身の禅の修行を通して直覚した“何か”を、カント、ヘーゲルといった西欧哲学をも紐解きながら、西欧の哲学ではなく、日本人の心の奥深くに潜んでいた(今失いつつある)もの、直覚した“何か”を、言葉を駆使して日本人の哲学として論じ明らかにしてくれています。日本人による、日本の哲学を象徴する一冊です。西田哲学の探求者小坂国継教授の懇切丁寧な解説が、難解な西田哲学をとても読み易く読者の理解を深めてくれます。

1980年代後半、日本はジャパン・アズ・ナンバーワンの掛け声に万能感に陥りバブルに沸騰しました。バブル崩壊からすでに20年、今もその万能感から解き放たれることはなく、多くの政治家、多くの経済人そして多くの評論家達も、方向感を見失っているようにみえます。先日老中仲間の集まりでも、日本の現状を憂いて、「日本人には宗教心がない」と嘆いている方がいました。いつもKYな僕は「本当に無いのでしょうか?」「胸に手を当てて考えてみてはいかがでしょう」とあわや、口をついて出そうになりました。もしお酒が入っていたら、口が滑ったのではないかとヒヤッとしました。

こんな時、己の意識を外へ向けるのではなく、「人生とは?」「哲学とは?」「宗教とは?」「生きるとは?」様々“反省的思惟”を“内なる自分”に向けてみるのも一興ではないか、そうすれば、もしかしたら自分の立ち位置も見えてくるのではないかと思うのです。

西田幾多郎は、主観と客観の分化する前の原初の経験、“純粋経験(直接経験)”という言葉を基調に、寄せては返し、返しては寄せる、浜辺の波のように、噛んで含めるように「二元論を廃せ!」と説いています。西田哲学の結論は“人は何のために学ぶのか?「真理の探究のためである。」しからば、何のための真理を探求するのか?「善き生のためである。」”混迷の今、「善の研究」を紐解いて、まずは西欧の二元論からの脱却を試みるところからはじめてはいかがでしょう。

肉体と精神、心と身体、善と悪、主観と客観、自分と他人、過去と未来、自力と他力、全体と個、等々、様々な様相を二元論で切り分けるのではなく、それらはすべて、“唯一実在の二つの要素であり、側面であり、機能にほかならない”(西田幾多郎の思想―小坂国継著)と言っています。

 経済学でも、生身の人間を生産者と消費者と二元論で分けて論じます。単純化のために止むをえないというのでしょうが、生身の人間を二元論で切り裂いているのが、両刃の刃、貨幣(紙切れ通貨・浮遊霊)です。ここでいう消費は貨幣というエネルギーの費消です。生身の人間は、生産者(働く者)であり不可分に消費者です。この働きかつ消費する者を生活者というのではないでしょうか。

この二元論が浸透し過ぎて多くの人々が、ビジネスの場でも、個人の日々の生活の場でも、いとも簡単に何の疑問も持たずに“消費者”“消費者”といってしまいます。「顧客満足」「顧客第一主義」「社会的責任」を標榜する企業の経営者も社員も自社の商品・サービスをマーケティングと称して議論し、“消費者目線で!”“ターゲットは?”と言って憚りません。顧客は貨幣(浮遊霊)を吸い上げる標的だと得意げに語っているのです。法衣の下の鎧がちらついて見えます。

消費は常に過去であり、生産は未来です。生活とは“活き活きと生きる”こと、過去と未来の狭間、生活こそ“現在”なのです。生産者、消費者という二元論を止めて、我々庶民も生活者という視点で、己の日々の生活を見直し、政官財を統べるエリートの方々も日本経済のこれからを「国民の生活」という視点から見直してみてはいかがでしょう。今とは違った風景が見えると思うのですが。

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コメント

コメントありがとうございます
<利根川豊さん>
>西田幾多朗について質問ができるようになるかもしれません
  星空の下で、じっくり語りましょう。
「純粋経験が唯一実在である」だから”今ここ”が目的、未来は目標(手段)しかし、しかし”今ここ=現在”、過去と未来の絶対矛盾的自己同一である。とすれば、目的と目標も絶対矛盾的自己同一ということでしょう。
>岩波文庫の(275ページ)に対し518ページと
 昔は岩波第一でしたが、講談社学術文庫やちくま学芸文庫、中公クラシックなどの文庫、新書にもいいモノが沢山あります。
 利根川豊さんが次に読むであろう、鈴木大拙の「日本的霊性」も岩波のものより、中公クラシック版のほうが読みやすいです。  

投稿: 懐中電灯→利根川豊さんへ | 2010/05/03 09:47

先生

こんにちは。利根川豊です。
良いお天気のゴールデンウィークですね。

西田幾多朗『善の研究』全注釈 講談社を入手ました。岩波文庫の(275ページ)に対し518ページと、大幅にページが増えている分の注釈が付加されているということでしょう。

格段と大変読みやすくなりました。

しかも、同時に購入した小坂国継『西田幾多朗の思想』講談社2009(第7刷)が実に読みやすく、理解度が格段に向上しました。

例えば、純粋経験の思想の原点はW.ジェイムズのpure experienceにあったということも。

また、「知性」とは能動的なものに対し、「経験」とは、受動的であるという近代西洋哲学、一方、西田もジェイムズも経験というものをどこまでも能動的なものとして考えた、ということも理解することができました。

なによりもホッとしているのは、「純粋経験そのものが如何なるものか」という問いに対し、まるで厚い雲が覆われていたかのような状態から、その厚い雲の合間から時よりお日様が見えるお天気の状態に理解度が好転したということです。

現在、右手に黄色の蛍光ペンを持ちながら、まずはエッセンスを抽出し理解できるよう努めております。

夏の北八ヶ岳の頃には、西田幾多朗について質問ができるようになるかもしれません。

まずは、経過報告まで。

利根川 豊

投稿: 利根川 豊 | 2010/05/02 07:24

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