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2010/07/29

小さな親切余計なお世話!

        <自己責任>
20100723dsc01547b 小泉・竹中政権の新自由主義の呪文「自己責任」が、とうとう北アルプス山頂まで覆ってきました。烏帽子岳2,628㍍の頂上へ、最後の岩場に取り付くところに高札が立っています。なんと「自己責任」。小屋の主人がまさか新自由主義者ではなく何気なく使ったのでしょうが、喘ぎ喘ぎここまで辿り着いて、さああと一息、360度の眺望を楽しもうと、岩に手を掛けたそのとき、「自己責任」を浴びせられると、大自然よお前もか!と叫びたくなります。山小屋の受付にも「自己責任」の張り紙が赤々と張ってあります。夕食の時、写真を見せて同宿の人たちに聞くと、異口同音に、「とても嫌な気分になった」とひとしきり話題が盛り上がりました。何時の日か、大都会の交差点の信号機の下にも「自己責任」の高札が立つようになるのでしょうか。

 このブログでも何度も書いていますが、「自己責任」は、他人(神ならぬ)が浴びる言葉で、「結果責任」のこと、「自分は責任を負わないよ!」という言外の意味が込められています。  
 責任とは己が背負うもの「自己の責任」です。「自己の責任」の究極は「己の命は、己で守る!」ということです。これは本来この地球誕生以来、神代の昔からの大自然の法則、神が生物に与えた権利(究極の自由)です。そのために自由の限界を定めて、食物連鎖の義務を負うことを善としたのです。あらゆる生命はこの食物連鎖のネットワークの中に生まれ死んでいきます。このネットワークの中では、己の命を守るためならなにをしてもいいのです。
 ところがいつの頃からか人間はその食物連鎖のネットワーク抜け出そうとするようになりました。そして食物連鎖を「弱肉強食」と言い換えて、弱いものは強いものに喰われて当たり前と強弁するようになったのです。シマウマは弱いからライオンに喰われるのではなく、大自然の法則として、喰われているのです。蟻がライオンより強いわけではなし、アフリカのサバンナは市場(シジョウ)ではないのです。
  友人との会話の中で「小さな親切、余計なお世話」が話題になりました。友人はそれは違う、今は「小さな親切、大きな下心」というんだ、と教えられました。けだし名言。
 新自由主義が「自由」を掲げるのもこの”大きな下心”です。食物連鎖を弱肉強食と言い換えて、強いものが幾らでも貪ることができる人間社会をつくるために、「自由」を謳いあげて、返す刀で「自己責任」と喰われた弱者に「結果責任」を問うのは、権利と義務を逆転させる詭弁に過ぎません。
 すでに神様が定めた食物連鎖という義務を放棄してしまった人間、その人間社会を弱肉強食と言うなら、強いものには檻に入って不自由を忍んでいただかないと人間社会は崩壊するのではないでしょうか?
 「自己の責任」という生きるための権利としての「自由」と、食物連鎖の鎖の中に止まる義務も西田哲学に言う「絶対矛盾的自己同一」ではないでしょうか?


  

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コメント

コメントありがとうございます
久しぶりですね。お子さんも大きくなったでしょう。

>他社との比較ではなく、自社でどれほど問題を洗い出せたかが
 仰るとおりですね。経営理念に照らして、日々問題点を抽出、解決してください。時には顔を出してください。

投稿: 懐中電灯→泰山北斗さんへ | 2010/07/31 16:37

先生、大変ご無沙汰しております。
北アルプスの山頂の看板にはびっくりしました。
ここ3年間、北アルプスに登れていませんが、特に長い工程をかけて、もう少しで頂上という最高のプレゼントが!という所に、自己責任の看板あったら、ちょっとショックですね。
食物連鎖と弱肉強食の話もはっとさせられました。最近では、どこに行っても「格差」という話がでてきますが、他社との比較ではなく、自社でどれほど問題を洗い出せたかが重要だと感じています。。

投稿: 泰山北斗 | 2010/07/30 12:52

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