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2010/10/19

平等院鳳凰堂に在る浄土とは

       <宇治川のライトアップ(1)>20101009dsc024021                                
 10月9日は奈良で三日間の後継者育成講座の最終日、翌日大阪在住の孫娘に会うべく、宇治平等院の近くに宿を取りました。本音は中学生の修学旅行以来の平等院を見たかったのですが。

<宇治川のライトアップ(2)>
20101009dsc024061  なんとこの日から三日間平等院鳳凰堂のライトアップ企画に遭遇、明日の早朝平等院を観たいと欲張ってはいたもののまさか、まさか。さらに午前中まで雨が降っていたので、観光客もまばらで、ゆったりと観ることができました。「三脚禁止」にはがっかり。観光客も疎らなのに何故」。

<宇治川中州の十三重石塔>
20101009dsc024261 ライトアップ初日に遭遇出来て、観光客も疎らと、すでに期待を超えているのに今度は、いい写真を撮りたいとたちまち欲が出る、修行が足りないと反省することしきりです。。「宇治川の中州のライトアップも美しいです。
 写真奥に見える橋の左手に平等院があります。藤原頼通が藤原氏の極楽浄土として建立した平等院、建立から120年後この橋のあたりで、平家追討の挙兵をした源三位頼政が平家に敗れ憤死したところです。 

  <藤原氏の浄土(1)>
20101009dsc024071 親子二代に渡って藤原氏全盛期を縦にした道長、頼道、その頼通が1053年贅を尽くして建立した平等院鳳凰堂が浄土庭園の池に金色に輝いています。
 浄土教を信仰していた頼道は、父道長の別荘を浄土教の寺として建立して、己が往生する浄土はかくあれかしと、浄土庭園を築造したのでしょう。鳳凰堂に安置した阿弥陀如来が金色に輝いて池に映る様は息を呑む美しさです。

  <藤原氏の浄土(2)20101009dsc024151>        
 
道長も息を引き取るときはこの阿弥陀如来の指から赤い糸を垂らして、その糸の端を握って冥土へ導かれんことを願ったそうですから、この美を独り占めした時代の最高権力者といえども死ぬときは阿弥陀如来のもと、衆生の一人として救われたのでしょうか。                

<藤原氏の浄土(3)>
20101009dsc024171 時の権力者が独り占めしていた極楽浄土も今では観光の目玉として、誰でも観ることができるようになっています。ありがたいことですね。
 平清盛に信頼され、重用され源氏としては最高の地位正三位まで出世した頼政が齢72歳にして平家に叛旗を翻したわけはいずこにあったのだろうか。
 道長、頼通が信仰した浄土教は、宮中から大衆へと拡がっていき、150年後、法然によって浄土宗として確立します。 
 その法然も、法相宗の興福寺が朝廷に強訴するに及んで、法然とその弟子親鸞達は、遠流に遭っています。興福寺は今から1300年前、平等院建立の300年前に藤原氏が一族の守護寺として建立したお寺ですから、歴史は不思議な変遷を重ねていくものです。中洲の石塔は千年の昔からその歴史を見つめ、ただ黙って立っています。
 今の日本の諸問題も100年、200年とはいかなくても、せめて5年、10年、少し目線を引いて遠目に見れば、少しは見えてくるものもあるのではないでしょうか。 

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コメント

コメントありがとうございます
<malicoさん>
天皇を凌ぐ時の権力者が贅を尽くしたものですから、息を呑む美しさ。当時は、かがり火でも焚いたのでしょうか。この美しさを
独り占めしていたんですね。そんな権力者も死ぬときは一人です。。

投稿: 懐中電灯→malicoさん | 2010/11/02 22:48

写真の風景は、映画のワンシーンのよう。
黄金に輝く様子は、歴史の中にある神秘を感じます。この建物が建築された頃は、夜間の照明など無かったでしょうから、昔の人はどんな思いで風景を見ていたのでしょうね。

投稿: malico | 2010/10/30 20:58

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