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2010/11/19

晩秋の大菩薩欲張り縦走(1)峠をつないで歩く

    <柳沢峠の秋>
20101106dsc025221b 2010年11月6日~7日今回は大菩薩連嶺から小金沢連嶺を富士山三昧縦走をすることにしました。33才のKSさん、50才のJHさんお二人とも健脚の様子なので、地図のタイムスケジュールで初日7.5時間、二日目9.5時間、一泊二日としては精一杯のロング縦走です。果たして完走できるのか。
 8:50分JR塩山駅到着タクシーで一路柳沢峠を目指します。柳沢峠は昔武州と甲州を結ぶ街道の要衝、甲府から丹波、青梅へと往来したようです。 

<苔むした倒木群>20101106dsc025241b           
 今は山深いところも昔は、旅人の往来する街道だったのですから、日本列島も時の流れとともに移ろっていくのでしょう。柳沢峠から六本木峠を経て黒川鶏冠山の山道は大菩薩連嶺の北面、東面を歩くので、苔の緑がとても美しいところです。苔むした倒木、岩を右手に見ながら歩きます。黒川鶏冠山は、信玄の財源だった黒川金山の跡ですから武州との境は重要な山域だったのでしょう。今は崩落が激しいので、坑道付近は立ち入り禁止になっています。山裾に沿った青梅街道においらん淵という名のついたところがあります。
 武田勝頼が滅亡するに際して金山の場所を秘匿するため、金掘人たちを相手にした飯盛り女たち五十人余を殺戮した所だそうです。
 又信玄は城攻めの折は、城の水道を絶つために、常にこの金山衆を率いたとか。          

       <ススキの丸川峠>                  20101106dsc025301b                            黒川鶏冠山から大文字峠に戻り、一路丸川峠を目指します。ほぼコースタイムどおり14:00丸川峠。ここにはランプの山小屋丸川山荘がススキの原に隠れるようにたっています。ここに来るたびに、ご主人只木貞吉さん自慢のコーヒーを飲みながらひとしきりだんしょうするのです。                                         

 

                          <我が家に動座した不動明王>                        20101106dsc02616         五年前の春立ち寄った折のことがブログに記してありました。貞吉さんは小屋を守りながら仏像を彫っています。五年前にあった悲母観音はどこかに嫁入り?したようですが、不動明王はまだ凛として立っていました。お顔は笑顔で貞吉さんにソックリです。
 話の様子では棚の上の仏像群には値札はついていないのですが、頒けてくれるようです。といっても「お幾らですか?」と聞くのも憚るので五年前も写真の収めただけでした。同行のJHさんが、ずばり聞いてくれたので、それならと、我が家の出窓書院にご動座いただいた次第です。長年講義の中で「経営者は不動明王」とお話してきたこともあり、心の隅の穴が一つ埋まった気分です。JHさんの一言に感謝です。
 丸川峠から大菩薩嶺2,057㍍を越えると眼下に大菩薩峠に建つ今日の宿、介山荘が見えてきます。17:30分コースタイムに遅れること一時間まずまずの時間配分です。夕食にもどうにか間に会いましたが、ガイドブックのコースタイムは休憩時間を含んでいないので、老中にはちょっとしんどい行程でした。 
<大菩薩の不動明王>
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2005/04/post_85ed.html
明王を背負いて歩く大菩薩
若きともがらの足の怨めしく
        -雛鳳-
 今雁腹摺山下山中        

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