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2011/03/29

哀しい夢を見た

  <仙台新港大津波の惨状1.>20110328dsc00183b                                     今朝(2011年3月29日)哀しい夢を見た。自分が地面に穴を掘り、白布で覆った遺体を三体埋葬している。土を被せるそのとき遺体が「まだ死んでいない。」「まだ死んでいない」と語り始めた。飛び起きた。怖いという心持ではなく、哀しいという思いの一語に尽きる夢だ。
 昨日仙台新港の大津波の惨状を見てしまったせいだろう。しばらくはバックからカメラを取り出すのも躊躇した。
 360度見渡す限りこの写真の風景だ。金曜日の15:30分過ぎ、大勢の人々が働いていただろう、散乱する車には人も乗っていただろう。全員が襲い掛かる津波から逃れられたとは思えない。まだこの瓦礫の中にその人々も残されているのだろう。この光景が夢になった現れたのだ。

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2011/03/26

水仙の花も夫婦喧嘩か?

   <水仙も仲違い?>
20110325dsc001471b 一つの球根から二輪の花をつける黄水仙、庭の主の今を暗示しているのか( ̄ー ̄)ニヤリお互い東と西にそっぽを向いている。西を向いているのが、僕なのか?仲直りをしようよねぇ。同じ庭の同じ水仙でも仲良く東を向いている花もある。
 答えてくれるものなら聞いてみたい。「どうして・・・・」「なぜ・・・・」「うるせい」ほっといてくれ」「嫌なものはいや」
「原発を止めようよ」駄目なものは駄目論理はいらない。未来は今証明できない。今(経済)のために未来(次世代の命)を犠牲にするのは止めませんか?。

 

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2011/03/24

庭のカタクリ一輪

   <カタクリ一輪>
20110324dsc00145b 庭のカタクリガ咲きました。8株ほどあるはずですが、昨年植え替えたためか、今年は花をつけたのは、わずか2輪です。
車で30分のところに近年カタクリの名所になった三毳山があります。毎年今頃8:00の開園を待って、朝日の雑木林に群生する花を愛でるのですが、今年はまだその気がおきません。さてどうしたものか?

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2011/03/21

第一次オイルショックのときの「買い溜め」を思い出す

 第一次オイルショック(1973年)のときの買い溜め騒動を思い出します。粉石けん、トイレットペーパーが店頭から消えてしまったのです。石油ストーブ用の石油も品不足で、寒い冬を過ごしました。当時新婚早々、若かった僕は、「日本経済を信じろ!」「粉石けんやトイレットペーパーが無くなるはずはない」と家内に厳しく言ったものです。まだ初々しく従順?だった家内は、夫の僕の言うことを守って、おむつを洗いながら、当用買いに苦労していました。
 店頭に並ぶ、そのたびに価格も上がっていきました。しかし本当に枯渇したのは最後の一週間です。化粧石鹸を削って袋に入れて洗濯機を回したりして凌いだのです。
 

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買い溜めするのは倫理観の差か?(2)

話しは変わりますが、今年一月に30数年ぶりの縁者(若い頃の勉強会)に再会しました。その縁者から精神科医V・E・フランクルの著書を紹介され、読み終えたばかりでした。
 ①「それでも人生にイエスと言う」V・E・フランクル著
 ②「フランクルに学ぶ」     斉藤啓一著
  V・E・フランクルは「夜と霧」の著者、アウシュビッツ収容所から生還した数少ない人の一人です。死と向き合った収容所で、「己の死」を眼前にした、奪う人、差し出す人、人間の様々な体様をつぶさに見た人です。
 タイトルにあるように「それでも人生にイエスと言う」今の僕にはとてもこのような言葉を発する自信はありませんが。

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買い溜めするかしないかは倫理観の差か?

「なぜ買い溜めする人が避難されるのでしょうか」にはFacbookにもミクシィにもブログにも縁者から意見をいただきました。それぞれのSNSで縁者が異なるので、ミクシィにいただいたコメントに返信したものをコピーしました。長くなりましたが、お手隙の折ご一読ください。
 コメントありがとうございます。
 第一次オイルショックの買い溜め騒動の体験を書きかけていて、近々アップしようと思っていた矢先です。1973年、長男が生まれたばかり、若いし自信もあったのでしょうか?、家内には「日本経済を信じろ!」「トイレットペーパー、粉石鹸が無くなるはずはない!」と怒鳴って、買い溜めしないで当用買いで、凌ぎました。本当に困ったのは最後の一週間、トイレットペーパーも粉石けんも無く、声無き声は「自己責任」「自業自得」とつぶやいていました。若い田舎者の家内は泣き出してしまう始末。化粧石けんを削って袋に入れて洗濯をしたりしました。しかし耐えること一週間、店頭に枯渇したはずの商品という商品が店頭に溢れ出てきました。結論は末端の買い溜めより流通過程の在庫、売り惜しみ(それにはそれの理由もあった)でした。今回も勿論、第一次オイルショック時にも増して自信を持って、当用買いを守っています。

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2011/03/19

なぜ「買い溜めする人が批判されるのでしょうか?」

今買い溜めが批判されていますが、なぜ?、どうして?、なんのために買い溜めをするのでしょうか?
 ではなぜ、なんのために店頭に並んでいるのでしょうか?店頭に無ければ、買えないのです。神前で拍手を打ったら、どちらが先に鳴ったのでしょうか?右手か?、左手か?。
 では買い手と売り手、どちらが、より弱者でしょうか?、弱者は家族の命を守るために、不安(いつ、強者が隠すのか怖い)から買うのです。後で腐るほど買ってしまって泣くのはだれでしょうか?、もし東北の被災者に届かないなら、店頭に並べないで東北に送ってください。店頭に並べる意思決定者は、買い手ではなく、売り手なのですから。
 被災者の惨状を利用して、弱者と弱者を対立させるのも、強者のいつもの手ではないかと、弱者は疑ってかかったほうがいいのでは。己の命、己の家族の命を守るためにね。

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2011/03/18

壮絶!「あの原発の注水の現場で苦闘する青年がいる!!」

あの想像を超える福島原発の原子炉冷却の現場で、苦闘している青年がいるという。今仕事で奈良にいる僕。栃木県に老妻を、娘を置いてきた。ただそれだけで眠れないというのに。あの現場で父と子が苦闘しているとは。言葉にならない涙が溢れてくる。ありがとうございます。申し訳ない。
 それにしても、マスコミ、政府の、東・・・・・・・・・、もう言うまい。ここでは唯、唯、感動と、感謝と無事であって欲しいと祈るのみ。

<あの現場からの発信>
http://x66.peps.jp/darkbal/diary/?cn=27&tnum=229&rc=&rows=
 

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2011/03/03

大学入試カンニング 「四字熟語を「針小棒大」から「棒小針大」へ改定する?」

今の日本、未熟な若者の小さな不祥事を大きくしてしまう大人に問題があるのではないだろうか?大人の心から「慈悲」が、権力にある人々から「仁」が消えつつある今の日本社会。
 マスコミ曰く「犯人はこれほど大きな問題になるとは認識していなかったのではないか」それはそうでしょうね。未熟な若者だけではなく、まともな大人だったら、そう思うのではなかろうか。
 一方で『耐震偽装事件」「汚染米事件」といったもっと大きな大人の事件はうやむやに話題に上らなくなってしまいます。英語塾の問題、商工ファンドの問題、相撲の八百長問題、早くから問題が指摘されていたにもかかわらず手をつけない大人たち。
 今回のニュージーランド大地震の建物の損壊を見て、耐震偽装事件を思い出した人も多いのでは?。もし東海大地震が来たら?

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大学入試カンニング 「なぜ被害届けを出すのか」

大学入試カンニング問題を斜めに見ると。最も国家権力の介入を排除しなければいけないはずの「知の源泉」である大学当局が、なぜ警察に被害届けを出してしまうのだろか?
 カンニングをさせてしまい悪を働かせてしまった罪(監督責任)は無いのだろうか?「自己の責任」を消すために声高に叫ぶのではないのか?もし入学できても、たいした人間にはならないだろうし、学内で調査をして、そっと退学をさせれば、改心してよき社会人になるかもしれない。
 もっと個が本来内にもっている「自浄能力」を信じ、涵養する余裕が日本社会にはあったはずだし、今もその芽はあると信じたい。せめて「知の源泉」の大学は、その芽を育んで欲しいと願っています。

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来るべき総選挙の前に読んでおきたい一冊の本

著者  植草一秀
書名  「日本の独立」
出版社 飛鳥新社
 期待に溢れた民主党政権も、たった一年半年で無惨な姿でのたうち回っています。ただの一度も、自らの意思で、自ら掲げた理想のかけらも国家予算に反映することもなく、潰えていくのでしょうか
衆議院解散総選挙も近いようです。今の流れのままでいくと、次期政権は、第二次小泉・竹中政権と称する性格を帯びたものになるのではないかと思います。次期総選挙の前に読んでおきたい一冊です
 民主主義の下、選挙権の一票は、秀吉に刀狩りで武装解除されて以後、庶民の唯一の武器、たった一発の弾丸、丁寧に照準を定めて引き金を引きたいものです。悔いを残さないために。

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