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2011/04/10

「見たいと欲する現実しか見ない」

<見たいものしか見ない>
Photo_2 現在進行形の福島原発事故の大惨事、恐怖の出来事で、”原発安全神話”の欺瞞をいやというほど見せつけられました。自分自身が己に情けないのは「己がこれほど情報に疎かった(鈍かった)のか!」ということを見せつけられたことです。
  福島原発の工事現場でのずさんな工事とその隠蔽は2002年既に内部告発され、週刊誌で報道されていたし、「地震と津波で日本の原発は壊滅する、しかも日本列島は地震が活発化する周期に入っている」と2005年に国会の公聴会でも取り上げていた。「千年前の貞観地震の巨大津波のことも警告されていた」のに。
 塩野七生さんは、著書ローマ人の物語Ⅵ巻の冒頭をユリウス・カエサルの言葉で語り始めている、「人間ならば誰にでも現実のすべてが見えるわけではない・・・・・・・」己は、これを座右の銘にしてきたはずなのに。

                           <考えたくないことは考えなくなる>                        Photo_3 
 塩野七生さんは、著書「ルネサンスとはなんであったのか」の中で「人間とは・・・考えたくないと思い続けていると、考えなくなるものなのです。」とも語っています。
 戦争体験が忘れられようとしている今日、再び第五福竜丸の被爆に続いて、今日三度放射能の恐怖を味わっている我々日本人は、これを再び繰り返さないための、再び心の中の碑に刻みこみましょう。「二度と過ちは繰り返しませぬから」と。
 今回の東日本大震災の大津波で最大38㍍の波に襲われた田老地区で、家を一軒も流さず、一人の犠牲者も出さなかった集落があったと聞きました。先人が「ここより下に家を建てるな」と石碑に刻み、それを守ってきた集落です。再び「過ちはくりかえしませぬから」と碑に刻み、今度こそ「脱原発」「原発廃絶」を実現したいものです。次代に「四度目の正直」と語らせないために。
 塩野七生さんは、 「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、後世の人々によってルネサンスと名づけられることになる精神運動の精神でした。」「信ずるものは幸いなれ、・・・・その反対は、疑うということです。あなたのように”なぜ”を連発する態度からして、あなたには”ルネサンス精神(スピリット)があるということになる」「となれば天国行きは絶望的ということですね」とも語っています。 
 「見ようと思い続けていれば見える」そのためには「なぜ?」「どうして?」「何のために?」と”幼子の純な心”で疑い続けることでしょう。たとえ”天国”へはいけなくても、日本人ですから”冥土”か”浄土”か極楽”へはいけることを信じて。「問い続けることが”若さの印”であり、”若者の特権”なのですから。          

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コメント

コメントありがとうございます
<タキ衛門さん>
 紙切れ紙幣に脳内を支配されろようになって、「体験」からも学ばなくなりつつあるようです。
 サブプライムバブルは、住宅を媒体として、庶民の未来を奪い、原発ビジネスは、CO2を媒体として次代の命を脅かす。汚染米、偽装肉、耐震偽装、媒体をとっかえひっかえやるのは、訪販詐欺、振り込め詐欺、ねずみ講と根っこは一緒。
 始末に悪いのは「合法的に」する「悪」です。
ビスマルクがこっそり大久保利通に耳打ちしたと言われています。
 「いくら条約を結んでも強者は自分に都合のよい約束しか守らない」と。
 弱者は常に、強者と一定の距離(逃げられる)を保つ。僕の自戒です。

投稿: 懐中電灯→タキ衛門さんへ | 2011/04/11 09:13

懐中電灯さん

 今回、知識として知っている「人は見たい現実しか見ようとしない」という行動特性。体験として再確認しました。悪い情報は知りたくないという人が非常に多いようです。

 ビスマルクの言葉で「賢者は歴史に学び、愚者は経験(または体験)に学ぶ。 」

 推察するに、後者は自分で一度災害に会わないと学ばないということなのだと思います。

投稿: タキ衛門 | 2011/04/10 23:02

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