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2011/07/08

映画「デンデラ」を観て-「生きること」への執着」を再確認

映画「デンデラ」を観ました。我々老中世代の男の、銀幕の恋人、憧れの美女勢ぞろいです。草笛光子100歳、倍賞美津子89歳、山本陽子85歳、主役の浅丘ルリ子70歳、等々もちろん実年齢ではありません、役の中の年齢です。若い頃憧れの銀幕女優が老婆になって雪山を駆け巡ります。どこか足がおぼつかないのも中々の名演技です。きっと皆さんアンチエージングの仮面をかなぐり捨てて、伸び伸びと楽しく演じたのではと想像させるシーンの連続です。
テーマは楢山節考その後、監督が今村昌平監督のご子息、天顔大介というのも、なかなかの企画です。
 若い方はご存じないかも知れませんが、前「楢山節考」は1983年に今村昌平監督が、カンヌ映画祭でグランプリに輝いた作品です。楢山節考は日本の山村に伝わる、棄老伝説“姥捨山”を、次代のために老いたものが退いていく物語として描いたものです。さてその後の楢山は?

映画のファーストシーンは、浅丘ルリ子が70歳白無垢姿で息子に背負われ雪の楢山に棄てられます。本人も極楽へいけると信じて。ところが降りしきる雪に埋もれ極楽へあと一歩のところで、引き戻されてしまいます。すでに生き残っていた先輩格の老婆に地獄に引き戻されるのです。30年前に生き残った草笛光子は、村里から隔絶された山奥に人知れず、たった一人から新しい共同体「デンデラ」を作っていたのです。70歳定年で楢山へ送られてきた老人の中から、女だけを助け30年かけて、とうとう浅丘ルリ子で目標の50人達成です。
 食料不足の時代に次代を守るために、村の掟として、必要以上に長生きした老人に70歳の定年制を設けて、雪の山へ置き去りにします。万に一つ死に損なって村里へ舞い戻った老人は、男達に時間をかけてなぶり殺しにされるのです。掟を守らせるための見せしめです。幼い幼児の浅丘ルリ子は嬲り殺される老婆に「恥知らず」「恥知らず」と罵るのです。
 歳月を経て己が当事者、一所懸命家族のために身を粉にして働いてきた、必ず極楽へいけるはずと、粛々と掟に従って、死を受け入れるはずでした。ところが極楽の手前で生き返ってしまったのです。「なぜ助けた」「なぜ生き返らせた」と詰め寄りますが、次第に己の覚悟の浅さに気がついていきます。そして「年を取ることは罪か?罪ではねえ。年寄りは屑か?屑ではねえ、人だ」と叫び、命の一滴まで生き抜く力が漲ってくるのです。
 草笛光子は、用済みになったら棄てるという村の掟の理不尽さに怒り、50人になったら村を襲い復讐するという誓いを立て、その怒りのエネルギーで臥薪嘗胆30年かけて、50人という共同体を作り上げます。その三十年の間に、何も無い山奥で山の実りの乏しい飢饉のときも、乏しい食い物を分け合い、力を合わせれば、一度は役立たずと死んだはずの老婆達も、生き残れることに気がつきます。貧しい山村とはいえ、すでに貧富の差もあり、豊かな村、助け合い、乏しきを分け合えば天寿を全うすることはできるはずだったと確信していきます。そして村を襲って復讐し、歯向かう者を殺し、掟を破壊して村を作り直そうと。
  備蓄した食料を残らず食べ尽くし退路を断っていざ出撃、ところが途中で雪崩にあって襲撃を見合わせデンデラへ引き揚げてきます。その晩この冬天候異変で食糧難の山奥、冬眠できなかった子連れの母熊がデンデラを襲ってきます。大自然が二つながら、三十年の憎悪のエネルギーを破砕してしまうのです。今度は老婆連合と母熊との壮絶な闘いが始ります。村への憎しみどころか、己たちの一度は死んだはずの「生」を守る、デンデラを守る闘いの始まりです。浅丘ルリ子扮する齋藤カユは一人生き残り、手負いの母熊を追い勢い余って、村里へ降りてしまいます。ラストシーン、手負いの母熊は数人の村人を殺し齋藤カユの前に仁王立ちします。幼い頃、死に損なって嬲り殺される老婆に「恥知らず」の言葉を投げつけたかっての少女は、仁王立ちの大熊と対峙し「負けたのか!」「負けたのか!」と叫んでいました。
 今村昌平の楢山節考は、貧しい山村の生きるための掟、若者の生への賛歌、それに「殉じていく老」の物語でした。この「楢山節考その後」天顔大介の「デンデラ」は、共同体をつくりながら「分け合えばみんなで生き残ることができる」と気づき「なぜ分け合わぬ」と怒りのエネルギーを燃やします。その怒りのエネルギーが過酷な自然の中で30年を生きるエネルギーになっています。そしてのうのうと暮らす、村の次代への怒り、掟への復讐のエネルギーにもなっています。
 「生きる」ことへの執着が「乏しきも分け合えば」、過酷な掟を作り守らせなくても生き残ることはできると教えています。この映画今彷徨える日本人の心に、「お金への執着」「富への執着」ではなく生き物の根源の「生への執着」を見つめ直そうと訴えているようです。
 「原発是か非か」の分岐点、経済第一主義ではなく、次代のいのちを第一に考えて見てはいかがでしょうか。日本列島はすでに「一億総中流→中流崩壊→中流貧困化」への道を一歩一歩歩いています。経済第一で原発を推進すれば、この歩みを止めることはできるのでしょうか?
 米国ではサブプライムバブル崩壊以後メキシコからの不法移民は大幅に減少していると報じています。米国の労働者の賃金が下がり、メキシコの労働者の賃金が上昇したのが原因です。エントロピーの法則は厳然と働いています。
  しかしどうして「姥」なんでしょうね。女偏に老で「うば」、爺棄山とはいわないのですね。好々爺とはいっても好々婆ともいわないですね。70歳定年、昔から女性のほうが長生きをしていたのでしょう。その妬みから女性は老いた姿を悪く表現されてしまったのではないでしょうか。「大事にされたかったら早く死ね!」といわれているようですね。
 映画「デンデラ」でも男は棄てられたまま朽ち果て、女だけの共同体です。いつの時代も、生への執着は女性のほうが強いということの証しでもありますね。
 僕はどうもこのテーマがよほど好きなのでしょうね。過去のブログに三回も書いています。併せてご一読ください。
<老中のための楢山節考>2004年11月1日
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2004/11/post_4.html
<本当は明るい楢山節考>2006年6月23日
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2006/06/post_dbf9.html
<今再びの楢山節考>2010年8月8日
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2010/08/post-d63a.html

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