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2011/11/13

オリンパス粉飾事件の意味するものは?

オリンパスの粉飾決算事件が大きく取り沙汰されています。20年に渡って金融取引の巨額損失を隠してきた、そのガバナンスを問題にしている論が多いように思います。
 もし20年前1990年頃バブルの終末期に巨額の利益を出していたら、当時の経営者は隠したでしょうか?当時の経営者は、きっと満面の笑みで決算発表をしたことでしょうし、マスコミも経済評論家も多くは、こぞって絶賛したのではないでしょうか。では当時の経営者はなぜ(Why)損失を隠したのでしょうか?
 今秋パナソニック、シャープ等々薄型テレビの事業縮小で巨額の損失を出した企業は、なぜ(Why)隠さないで、それも3月決算を待たずに発表したのでしょうか。どこが違ってどこが違わないのでしょうか?
 

 パナソニック、シャープの薄型テレビ事業は本業です。本業で出した損失を隠さなければならないようなら、経営者なんてやっていられません。本業による損失だから、その経営行動を誰も咎めたりしないのです。当時のオリンパスの経営者は、巨額損失だから隠したのではなく、その金融取引という経営行動に”疚しさ”があるから隠したのではないのでしょうか?
 その”経営行動が疚しいのであって、”損失”そのものが疚しいのではないのです。したがって巨額利益を計上しようが、巨額損失を計上しようが”疚しい”ものは”疚しい”のです。オリンパスの当時の経営者の責任が大きいのは、その疚しさを隠すことによって、後継経営者に経営者の椅子と共に疚しさを20年の長きにわたって引き継いできたことです。企業の頭の”てっぺん”が疚しいのですから、その後の企業日々の行動が健全であるはずはありません。過去の自社の世界に冠たる優れた技術と、日本の世界に誇るべき優れた健康保険制度、二重の優秀さに守られ、甘えてきたがゆえに、自社と顧客との共有の場である医療現場の異変にも気づかないまま過ごしてきたのです。しかし20年の歳月はその世界に冠たる優れたものを持ってしても守りきれなくなったということではないでしょうか。
 オリンパス粉飾事件を巨額損失隠しの側面のみ批判するなら、批判する側も同工異曲、一つ穴の狢であり、今多くの日本人が蝕まれている”儲かれば善””得になれば善”"成長さえすれば善”という病理ではないかと思うのです。
 きれいごとのようですが、金融取引の善悪を問題にしているのではなく、オリンパスの経営者はせめて、金融取引を定款に定めて取り組んでいたら、それは本業ですから隠す必要はなかったのではないか?監査法人も見逃すことはなかったし、見逃すことはできなかったのではないでしょうか?

 隠したことによって、20年の長きにわたって自社の社員、監査法人の社員等々多数の人々をその”疚しさ”に荷担させた”悪”は大きいと思うのです。知ってか知らずかその”疚しさ”を共有してしまった人々はその”悪”をも共有してしまったのですから。
 今なぜ親鸞なのか?親鸞が問う悪人とは「悪人になるかどうかは”機縁”によるのであって一人ひとりに悪が備わっているからではない」というものです。親鸞が弟子唯円の口を通して伝える「善人なをもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいわく悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」という衝撃のことばです。
 さすれば「悪を知らずして悪を行うこれ善人という」ともいえるのではないでしょうか。今なぜ親鸞なのか?高度成長の恩恵に浴した日本人一億総中流は、豊かさと安心を享受してきたゆえに、日本人一億総善人化してしまったところにあるのかもしれません。一億総善人化の時代を末法とか末世というのかもしれませんね。 

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