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2011/11/13

映画「一枚のハガキ」を観て

20011年9月11日新藤兼人監督の最後の映画?「一枚のハガキ」を観ました。99歳の作品とは、思えない驚くほどの「生きる力」に溢れた作品です。「生きている限り生きぬきたい」「戦争はけっしてやってはならない」これが新藤兼人99歳が今3.11を経験した日本人に伝えているメッセージです。
 「ひとが『問い』を発するとき、答えはすでにその『ひとの内』にある」、正確には「ひとの内」ではなく、「『答え』はすでに『問い』の中にある」といったほうがいいのでしょう。
 戦争の悲惨さ、戦争によって引き起こされる不条理がテーマの映画ですが、一隻の戦艦も一機の飛行機も、戦車も一度の戦闘場面も描くことなく、戦争を引き起こした軍部や政治の上層部も登場しません。戦争責任を問うのではなく、戦争そのものが持つ悲惨さ、不条理を描くことで「けっして戦争をしてはならないと」と訴えています。
 100名の召集兵の中からクジ運よく生き残った6名の中の一人という新藤兼人自身の実体験からの叫びでもあります。近年日本人の多くが、人間の本質を問う、重いテーマを避ける風潮があるように見受けます。この映画もとても重いテーマですが、決して暗いテーマではありません。映画のラストシーンの「一粒の麦死なずば・・・・・・」、黄金色の麦秋が「生きているかぎり生き抜きたい」と楽ではないが、力強い未来を見つめています。

 クジ運よく生き残って家族の元に戻った松山啓太(豊川悦司)を待っていた不条理。クジ運悪く死地へ赴いた戦友の妻、森川友子(大竹しのぶ)に大津波のように繰り返し襲いかかる不条理、二人の身に起きた不条理は、戦争のたびに交戦国双方の多くの庶民に襲いかかる不条理(幸不幸ではなく)でもあります。
 森川友子は夫森川定造(六平直政)がくじ運悪く戦死し、その老いた舅、姑を養うために夫の弟森川三平(大地泰仁)と再婚します。その第二の夫も戦死して、再び小作農の家に嫁いだ嫁として、舅姑との暮らしを黙々と淡々とこなす日々。
 あまりの不幸にショック死する舅、姑はこの不幸な嫁を不運な家に縛り付けておく不憫さに首つり自殺を遂げます。夫の死に臨んで、お金が無いと医者も呼ばなかった姑は、己の死に臨んで、万一のために隠しておいた60円のお金を不憫な嫁に「不運な家から逃げろ」と託すのです。
 映画はここまでの森川友子に大津波のように襲い掛かる不条理を、淡々と少しコミカルなタッチで描いています。農作業中に昏倒する舅と介抱する嫁、医者を呼ぶという嫁に「この家には医者を呼ぶカネなど無い」と止めるぶ姑、その映像に一羽の鴉が唐突に割り込んできます。納屋の屋根に止まっている一羽の鴉の視線が、監督としての新藤兼人の覚めた視点を象徴しているように思えます。
 クジ運よく生き残った松山啓太を襲う不条理とは。玉音放送を聞き、生き残ったクジ運を胸に家に戻ると、家はもぬけの殻、啓太が戻るとわかって父親と妻が出奔してしまったのです。男と女、人間の奥底に眠っている、どうにもならない”弱さ”の部分です。戦争によって機縁した、眠っていたはずの人間の弱さ、愚かさ、親鸞が「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と弟子唯円に語ったとされる「悪」です。
 「因」は人間誰しも持っているもの、戦争を「縁」として起きてしまったこと、だからこそ阿弥陀如来は父親と妻こそ救われるのだと。親鸞はいうのです。
 この松山啓太と森川友子、二人の主人公を襲った不条理を結ぶのが「一枚のハガキ」です。森川友子が夫森川定造に「今日はお祭りですがあなたがいらっしゃらないので何の風情もありません。-友子-」と書き送った一枚のハガキが二人を結びつけます。
 友子の二人の夫の遺影も遺骨(?)も不運な家もろとも焼き尽くした炎が、生き残った二人の心の葛藤を象徴しているようです。ラストシーンでは、第三の夫と第二の妻が焼け跡に一粒の麦を蒔き、実り、黄金色の麦秋が来ます。 
 いつものように家内と映画館を出て駐車場に向かいながら、この映画の脚本に目立たないけれど大事なメッセージが届いた一枚のハガキと、書かなかった一枚のハガキにあると僕は思いました。
 一枚は映画のタイトルにある一枚のハガキ、俳優六平直政演じる森川定造は友子が貧しさゆえに売られてしまうところを、森川家が持つ家族の命より大切なたった一枚の畑を売って嫁として迎えています。その想いが友子に「今日はお祭りですがあなたがいらっしゃらないので何の風情もありません」の一枚のハガキを出させたのだと。
 そしてもう一枚は豊川悦司演じる松山啓太が書かなかった「生きている」とたった五文字のハガキです。松山啓太は大阪へ逃げた妻の気持ちを推し量りに、女給をしているキャバレーを客として訪ねます。そこで妻に「戦死すればよかったんじゃ」と罵声を浴びせられてしまいます。 妻と父親の罪は、己がたった一枚、たった五文字のハガキも書かなかったゆえに犯させてしまった己の罪でもあります。ここにも己は善人と思っている人間が犯す「悪」が問いかけられています。この二枚のハガキが対になって一粒の麦となって、新しい再生のエネルギーになっているのではないでしょうか。
 大竹しのぶの演技も素晴らしい。大竹しのぶが天秤棒を担いで谷川の水を運ぶシーンは若き日の乙羽信子、1960年モスクワ国際映画祭でグランプリに輝いた映画「裸の島」で天秤棒を担いだ乙羽信子の姿と重なっています。新藤兼人監督の映画作りの最大の協力者にして愛妻の乙羽信子が最後の作品にも出演しているように映っていました。
 人間が絶望の淵立って問う「何のために生きるのか?」という”問い”には、「生きているかぎり生き抜きたい」という”答え”が秘められている、人間新藤兼人99歳が、今の日本人に伝えるメッセージです。

 

 

 
 

 
 

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